阿呆の美学

賽子

 

 隣の人の髪を試しに引きちぎってみた。

 

 髪を握った掌がその感覚を取り戻したとき私は漠然とああ、やってしまったなと思った。けれども私を咎める者はいなかった。私とて、多少の罪悪感こそ抱いたが咎められてやる気はさらさらなかった。

 

 彼らは目を真っ赤に腫れさせて、ただ私のことを見ていた。可笑しな話である。あの少女を蔑んでいた彼らは泣いていて、私に哀れみの目を向けているのだ。

 

 引き抜いた髪はひどく脂っぽくてとても美しいとは言えなかった。排水口に詰まった髪を彷彿させる手触りがして、太くて平らなざらざらしたのもあれば細くて頼りなくくったりとしているのもあった。先が枝分かれしていて傷んでいた。私はそれを床に捨てた。

 

 髪を抜いた相手が誰であるのか、私は知らない。しかしその黒髪を見たとき、私はどうしようもなく、あの少女の面影をそこに見てしまった。

 

 彼女はもう手の届くところにはいない。それを思い出したときひどい寂寥感に襲われた。そうなるともう勝手に手が伸びていた。赤児が自然に母親の乳房へ手を伸ばすように。そして髪を抜いた。

 

 でも彼女の髪は、こんなのじゃなかった。それに気がついてやっと我に返ったのだった。彼女の髪にはもっと芯があって尚且つ嫋やかで、いつまでも眺めていたいなんなら触れてみたいとさえ思ってしまう、純潔な彼女にぴったりな、そんな髪だった。棺の中の彼女の髪はやっぱり今も美しいのに違いない。

 

 

 

 彼女の名は樋田といった。級友の弁を借りるなら、彼女は今世紀類を見ない阿呆であった。樋田は駅前に延びる歩道の酔っ払いの吐瀉物の掃除を日課としていた。誰のものかもわからないそんな汚いものを片付けるだなんて、私たちのようなまともな人間にはとうていできるはずがない。他にも彼女の異様な行動は、級友らの間で話題となった。

 

 彼女は落し物は必ず拾っては駅員だとか交番だとかに預けた。財布や鍵はもちろんのこと、ハンカチやティッシュ、比較的中身の残ったタバコなど、落ちていてもそれを目にした大半の人はまあいいか、と見過ごすようなものまで拾っていた。また、落ちているゴミは絶対に拾った。例えば車両の片隅に置き去りにされたコーヒーの空き缶、道に散らばったタバコの吸い殻。別に彼女に収拾癖があるとか、綺麗好きだとか、私はそういうことが言いたいのではない。彼女は私たちの多くが見過ごす正しいことを無意識のうちに行なっていた。

 

 また、彼女は駅の階段などに座り込んでいる汚い酒呑みの男たちと仲が良かった。彼らに話しかけられたら大概の人間は返事をしないで避ける。けれども樋田は同級生たちと喋っているかのように、親しく接していた。それは近所ではかなり有名な話で、後に彼女を家に上げた時にはお父さんから、彼女と関わりを持つなと言われた原因の一つだ。

 

 彼女はその奇妙な行動こそ目についたが、電車の席を譲ったりだとか一般的に考えて善い行いだってしていた。ある時は重そうな買い物袋を持ったおばあさんの荷物を家まで送り届け、車椅子を押す手伝いをし、またある時は体調を崩した例の酒飲みの男の介抱もしていた。それで学校を遅刻してくることもあった。

 

 何より、彼女は誰の悪口も言ったことがなかった。たったの一言も言わない。これが本当にできるのは日本の学生のうち、一厘にも満たないに違いない。

 

 そしてあの日、私は初めて吐瀉物の掃除をする樋田の姿を見た。思いの外嫌悪感は抱かなかった。それどころかその奇怪な行動を間近で見た時、私の中で薄い膜のようなものが音を立てて弾け、視界がさあっとひらけた気がしたのだ。

 

 私はもっと樋田のことを知りたくなった。そして、今まで決して関わることのなかった彼女に話しかけていくうちに私は彼女の初めての友人になった。彼女は私の初めての友人になった。私が樋田と親しく言葉を交えたときのクラスメイトらの顔といったら!

 

 誰かが彼女のことをいい子ぶっているのだと言った。彼女はそれを知らなかった。私が憤りながらそのことを話したとき、彼女はちょっと困った顔をしてでもすぐに笑った。あながち間違いではないのだと、そう言った。

 

「私はいい子じゃないから、いい子になりたいとは思うよ。そのためにいい子がしてるようなことをしてる」

 

 樋田はあんまり〈いい子ぶっている〉の意味がわかっていないのかもしれない。馬鹿だから。でも、樋田の言葉を聞いていると、いわゆる〈いい子ぶってる〉ひとと、善い者になりたいと善い行いをせんとするひとは同じであるかのように思われた。〈いい子ぶってる〉とは、その意味では褒め言葉であった。己を研鑽し、人として正しく生きたい、善く生きたいと願うことのいったい何が間違っていようか。

 

 いつしか私は樋田以外の人間を受け付けなくなっていた。何をするにも樋田と一緒だった。彼女の全てが正しく思えて、それに倣おうといつでもその言動を追っていた。私がそんな態度を示しても、彼女は何も変わらなかった。媚び入ろうとする他の女子とはまるで違う。私はそんな樋田が好きだった。

 

 ところが樋田と共に過ごす日々も安寧に過ぎることはなかった。私は所謂女子にモテる。それは私の容姿のためかもしれないが、本当のところどうなのかはわからない。その理由が何であろうと、私にとって彼女らが取るに足りない存在であったことは確かだ。けれど彼女らはわたしへの好意のために樋田のことをよく思っていなくて、やがて樋田は執拗な嫌がらせを受けるようになった。

 

 それでも私は樋田と離れることはできなかった。樋田と離れるくらいなら、彼女をすべての悪意から守ろうと固く決意した。樋田を正とするならば、彼女を理解するつもりもなく悪意ばかりを向けることしか知らない級友らは間違っているのだと、そう確信していた。

 

 その頃からだろうか。周囲の私を見る目が変容した。私は陰で

 

「阿呆をストーキングしている阿呆以上にヤバイ奴」と言われていたらしい。まるで異物を見るかのような視線。それはまさに以前私自身が樋田に向けていたもので、それに気づいて身震いをした。

 

 樋田は自分に直接向けられたもの以外の悪意、陰口だとか、無視されたとかそういうことにはまるで気づかなかった。人を疑うことを知らなかった。無視されても単純に自分の声が聞こえなかっただけなのだと自分の中で完結させていた。私は今でもそれに習って、疑うよりも、信じて裏切られることの方がはるかに尊いことなのだと思っている。樋田の価値観に伴う行為と思想は、もはや私の中に刷り込まれて消えることはない。

 

 

 

 そして昨日、私には以前から樋田に聞て見たいことがあって試しにそれを訊いてみた。樋田を虐める彼女たちのことが、嫌いではないのかと。

 

 彼女に勉強を教えてやった帰り道。歩道橋の上。樋田は一瞬、ふっと笑みを消した。

 

「みんなは悪くないの。みんなを怒らせるのも、みんなを好きになれないのも、全部私のせいだから」

 

 でもね、最近は好きになれてきているんだよ、と樋田は明るい口調で言った。私には樋田が無理に笑っているかのように見えた。樋田はひとりひとりの良いところをあげては、自分のことを虐め蔑んでいる彼女らを褒めた。すごいんだよ、本当にすごいのと、目に涙の膜を張りながら。

 

 樋田は強かった。どれほど非道いことを言われようと仲の良い友人のように接した。決して気に入られようとか、虐めないでほしいとか、そういう思いからではない。そうすることが正しいことだと、本気で思っていたからだ。

 

 己の美学に生きる樋田に私は恐怖を感じ始めた。その時は彼女を理解したいという気がまるで起こらなかった。

 

 そして初めて、私は彼女の正しさを拒絶した。彼女は黙って微笑んだ。西陽が射して、熱気を孕んだ浅緋色の風が私たちの間を通り抜ける。樋田の穿いていたスカートの裾がふわりとはためいた。

 

 その時だった。

 

 私たちとすれ違った男がコーヒーの缶を車道に投げ捨てて、樋田はそれを追って手を伸ばした。

 

 彼女の手は確かにそれを掴んだ。

 

 樋田はこちらを振り向いて、私はその双眸と視線を交えた。

 

 そして落ちた。

 

 車のタイヤが道路を引っ掻く音がした。

 

 鈍い音も、した。

 

 樋田は昏夜の空に美しい髪の残像を残して死んだ。ポイ捨てされた缶を掴もうと、歩道橋から落ち、車に撥ねられ、頭部を強く打って。

 

 缶を捨てた男はもうどこにもいなかった。

 

 彼女は自分の行為が誰に理解されなくとも決して悲観はしなかった。ただ己の美学に則って生きていた。だから彼女が死んだのはただの事故で、私には誰を恨むことも許されない。その事実が何よりも辛かった。

 

 世界は一人の聖人を失った。

 

 その誰よりも高潔な彼女を彼女の周りの人たちは白痴と呼んだ。かつては私もそう思っていた。誰が私たちの感覚をおかしくさせてしまったのだろう。今の私には、私たちこそ狂っていたのだと思えた。けれど、愛ゆえにそんな間違いだらけの世の中を壊してやろうとはさらさら思わない。それは彼女の美学に反するからだ。阿呆なまでに正しい彼女の、阿呆みたいな美学。私はそれに恋をしていたのだ。だから、噂話だとか低俗な会話だとか、やたら浅ましく無駄な行為をしている他の女子には、何一つ彼女に勝るものを感じなかったのだと思う。彼女の純朴さは、化粧なんかでごてごて飾っている女子たちの虚構の何かよりもはるかに価値があった。

 

 

 

 

 

 ふと気がつくと私は級友の腕の中にいた。立ち上がれなくなった私を抱えて屋外に連れ出してくれたらしい。これは彼の正しさである。樋田を虐め、間違えていた彼にも正しさがあった。それを私は不思議に思った。

 

 暫くすると、お父さんが迎えにきてくれた。私の顔を見るなり大きな手を頭に置いて何も言わずにいてくれた。これはお父さんの正しさであった。その温かさを感じたとき樋田の言葉を初めて本当の意味で理解した。

 

 他者を受け入れられないのはひとえに己の未熟さであった。未熟さとは、彼らを見てその正しいところを認められないほどの盲であることと、彼らを好くことのできない器のちっぽけさである。私は急にそれらがわかってきて、あの日私が否定した樋田の美学の核心をつけそうな気がした。

 

 お父さんの手がやっと頭から離れたとき、私は泣いた。声を上げて泣いた。恥ずかしくはなかった。私は彼女のように正しく生きたいと思った。

 

「帰るぞ。腹、減ったろ」

 

 お父さんがそう言った。それなのに、どうしたことだろう。今度はくつくつと笑いがこみ上げてきた。

 

 この顔だ。全てを知った、阿呆の笑み。人は私を非常識な人間だと非難するかもしれない。それでも構わなかった。彼女さえわかっていてくれれば、本質の見えていない人間に何をどう思われているかなんて興味がなかった。

 

 先刻まで、あんなつまらないことで死んだ彼女が不憫でならなかった私がいる。阿呆の中の阿呆だと思っていた。そんな私に彼女なら言うだろう。

 

 

 

「けれど人間、阿呆なくらいが美しい」

 

 

 

 私はふと、樋田の最期の表情を思い出した。笑っていたのだ。死の直前まで。あの阿呆のような美しい笑みを浮かべて私のほうを見たのだ。そして私は今、あの時の彼女と同じ顔をしている。阿呆の境地に至った微笑をたたえている。そうだ、これからは微笑を持って正義をなそう! 私を見ていてくれ、樋田!

 

 私は葬儀場に向かって来た道を走りだした。樋田と再会し、この阿呆の笑みを見せるために。お父さんのお腹が鳴ったが見向きもしなかった。