時限式テロリズム
「ここと、ここに陰があるでしょ? これらはすべて悪性腫瘍、所謂ガンです」
「あ……。そう、ですか」
薄暗い診察室の、蛍光灯が不規則に点滅した。言葉が見つからない。向かい合った先生の顔を見るのが怖くて、意味も無くタイルの染みを見つめた。
初めは少しの違和感だった。最近、激しい運動をしていないのにも関わらず、息が切れるようになった。俺も年を取ったんだなぁ、とその時は思っていた。
でも息を吸い込んだけで、胸に激痛が走るようになったり、痰に血が混じるようになったりして、ただ年を取っただけじゃないことに気付いた。それでも、まぁタチの悪い風邪でも引いたんだろうと楽観していたら、まさかガンだったなんて。散歩をしていたら、突然後ろから鈍器で頭を殴られた、そんな感じだ。口腔内が無性に乾いて、薬の臭いのする空気を胸いっぱいに吸い込んだ。ズキリと、体の奥が痛んだ。
「――あの、がんって、肺がんでしょうか? でも俺、たばことか一本も吸わないし、近くに吸う人もいないんですけど……」
「いえ、確かに肺にも腫瘍はあります……」
先生は胸部のレントゲン写真が写しだされているモニターを拡大する。そして、机の上に置かれていたクリアファイルを手にとって、
「確認しますが、今のお仕事は会社員ですよね。解体業とかは経験なさったりとかは?」
「解体業? いや、転職はしたことないですからずっとデスクワークですけど」
大学を卒業して、すぐ俺は近くの商社に入社した。先生は、少し首をかしげて俺の方を見た。
「恐らく末期の中皮腫……だと、思われます。ハッキリさせるにはもう少し詳しい検査をしていただく必要があるのですが」
「――ッ」
苦い記憶がよみがえる。ずっと前に忘れようとしたはずの記憶だ。具体的に言うと数十年位前の中学生の時の記憶。中皮腫か、昔、気が狂うぐらい詳しく調べたっけ。
中皮腫はアスベストが原因でかかる疾患の一つで社会問題にもなっている。ニュースでも一ヶ月に一度ぐらいは見かけることもあるだろう。逆に言えばアスベストを吸わないと罹患しない病気。
「大丈夫ですか!? すいません、誰か鎮痛剤持ってきて下さい!」
先生は、急に呼吸が荒くなった俺を見て症状が悪化したと思ったらしい。近くにいた看護師さんに慌てて何か薬の銘柄を言っていた。
「だ……大丈夫です。別に、はい、平気、です」
ホントは全然大丈夫じゃ無いけれど。そういえば一つ大切なことを聞いていなかった。
「多分末期ってことは、俺もう治らないんですよね。後どれぐらい生きられますか?」
「う~ん、肺以外にも転移していると思われるので、長くて三ヶ月ほどだと思われます」
もっても三ヶ月。普通に生きてる人には長く感じる時間。けれど余命宣告された俺にとってはあまりにも短かった。
俺は病院を後にしてすぐそばの公園で、コーヒを飲んでいた。ある同級生の事を思い出していた。
彼はとても賢いヤツだった。
試験では毎回満点近くの点数を取り、鬼軍曹と呼ばれていた体育の佐々木にも、アイツは将来大物になる、と言わせるほどには文武両道で、優秀だった。
だから、あの地域で彼の名前を知らない人は居なかったと思う。顔も良かったから、ヴァレンタインのチョコも隣の学校から渡しに来ていたっけ。
馬鹿ばかりの中学だったというのもあるが、それを差し引いても、彼は他の同級生とは何か違う物を持っていると、平凡な俺にでも分かった。
彼との関係性が急変したのはある秋の日のことだ。
直接手を出してきたのは、いつも、彼について回っていた取り巻き二人。それこそさっきの例えのように、夕暮れの道を歩いてきた時急に体を押さえつけられて、路地裏に連れ込まれた。そして繊維状の白い粉末が入ったビニール袋を俺の口にかぶせて強制的にその中身を吸わせてきた。少し後からやってきた彼はただ一言、
「今吸わせたのはアスベストだから」
と言った。そこから先はお察しの通りだ。
結局行き着いた答えは、彼の嘘だということにした。
中身の入っていないアルミ缶を握り潰した。そんなに力を込めたはずじゃないのに、鈍い金属がひしゃげる独特な音が公園に響いた。黄疸が目立つ右手の中で小さくなったそれを捨てる為に、俺は重い腰を上げてゴミ箱へ向う。
すると鈍く光る物が底の方に見えた。気になって目を凝らしてみると、特徴的な形をしていてそれが銃だと判るのに時間は数秒もいらなかった。ゴミは幸いなことに大した量は入ってなかったから、俺は躊躇無くゴミに手を突っ込んで、それを取り出した。
家に帰って調べてみると、割とスタンダードな型らしく、使用方法から、命中精度の上げ方まで実に様々な情報が手に入った。けれど、弾倉に装填された弾は一発しかなかった。
「復讐するか」
別に本当に復讐しようとは思ってなどいなかった。それでも口に出してみると、何だか彼に復讐し無ければいけない、するべきだという気になった。そうじゃないと、俺は。
俺は仲の良かった中学の同級生に、彼が今何をしているのかとか、どこで働いているのかを尋ねた。
だが、皆口を揃えて知らないと言う。仕方ないから、卒業アルバムの住所から、彼の実家を調べ勝手に行くことにした。
案外近くに彼の家はあった。インターホンを押すと母親らしき人が出てきた。サイドバックに入れている銃の型を確かめると動悸が治まった。
適当な理由をつけて彼の実情を調べようとしたら、驚くべき事実が分かった。
「息子は、中学を卒業してからすぐに自殺したんです」
「――は?」
状況が飲み込めない。どうして、彼が自殺するんだ。
「あなたが来たら、この手紙を渡して欲しいって言われたの。親友だからって」
親友? もっと分からない。
震える手で手紙を開けてみると、特徴的な文字でびっしりと何か書かれていた。
最初に言ってけど、君は別に僕の親友じゃあない。君が一番知ってるだろ。『親友』とか言っていた方が、色々と都合が良いから僕はそう嘘をついた。君が僕を思い出すのは、君が僕のせいで死にかけてるときだろう。まあ、でも普通は死にかける事なんて無いはずだ。僕の両親は、どうしようもなく親バカでね。勉強に使うからなんて言ったら、何でも買ってくれるんだ。鬱陶しいったらありゃしない。僕が君に吸わせたアスベストも実を言うと、親が貰ってきたんだ。確か平賀源内が作った火乾布は、実はアスベストから作られていて、再現したいとか何とか言ったら、大学教授の所にまでいって貰ってきたはず。馬鹿だねえ。結構余ったからどこかで使おうと思っていたんだ。だから、君に吸わせた。余ったから吸わせたただそれだけ。あぁ、あと席が近かったからかな。本当にただそれだけの理由だよ。何で僕が死にたいのかと言うとね……。
まだ続いていたがそこで俺は見るのを止めた。彼の母親に一礼して帰ろうとしたら、引き留められて、ご丁寧な事に彼の思い出の品を渡された。少し大きな石ころだ。母親はこれが何だか分からなそうにしていたが俺には分かる。これも余ったからあげた、と彼は言うのだろう。どこまでもふざけている。
彼の遺書めいた手紙は帰宅してからすぐに捨てた。でも、家に帰ってからもずっと頭の中に彼の言葉が残っていて、ソフトボールほどの大きさの石ころは捨てようと思っても捨てることが出来なかった。
理由無く俺は、アイツに殺されるのか。彼の気まぐれで、俺は死ぬのか。それだけは
いやだ。どうすれば俺は彼のお遊びから逃げられる?
理由が無ければ理由をつければ良い。そうだ、俺も彼と同じ事をしよう。彼と同じ事をして、俺が彼の行動に理由をつけよう。どうせ死ぬんだから勝ち逃げできるじゃないか。
そうして俺は、少し大きめの袋に石ころを細かく砕いた物と、量が足りないので小麦粉などを混ぜた物を入れて、日曜日の市バスの中に乗車した。俺は二駅ぐらいたったあと、家族づれが前の席に座ったので、袋を開けて、中身をぶちまけた。
何が起こったか分からなくて、座ったままぽかんとしている子ども。
「――今のばらまいたのは石綿です」
状況を理解したのか半狂乱で、子どもの口をふさぐ母親の姿がまぶしくて、ついついよけいなことまで喋ってしまった。
「安心して良いですよ。短期間に大量摂取した場合のリスクはまだ解明されていませんから。俺みたいにガンになるかもしれないし、ならないかもしれない。でもこれから先を、俺と一緒に、大切に生きて貰いたいです」
そう言い切って、こめかみに銃口を当てた。勿論、撃鉄は起してある。
乗客達のざわめきがすうと、遠くに引いていった。
不思議と気分が良い。数秒後の死も全く怖くない。
だって、これで少なくとも十何年間は、彼らの恐怖心と共に生き続けられるんだから。