つつゐづつ

 

 今から、僕と親友の体験談をしよう。

 

 僕の親友はとても賢い。そして同い年のはずなのに僕よりずっと大人びている。大人びているというか、世の中を斜に見ている。僕からすれば本当に簡単なことも、親友にとってはとてもむつかしいことらしい。

 

 そんな親友と体験した出来事の始まりは、のんびりとした教室の朝だった。

 

「ねえねえ、明日の天気を予想してよ」

 

「天気予報を見るがいい」

 

 親友はちょっと冷たい。僕だけに冷たいんじゃなくて、みんなに冷たい。今も僕の方を見ようとしない。

 

「いつも言っているが、私は未来予想なんてできない。いいかげん、なんでもかんでも私に聞くのはやめてくれ」

 

「でもこの前は当てたでしょ」

 

「未来なんて当ててないだろう」

 

「僕の友達の恋路を当てたじゃないか」

 

 そう、親友は僕の友達の恋愛相談に乗ってくれたときに、彼が歩む恋路をピタリと当てたのだ。それ以来僕は親友が未来予知でもできるのかと思い、未来を教えてもらおうとするのだが、なかなか教えてくれない。

 

「私は君の友達の恋路を予測したんだ。予想したんじゃないね」

 

「それ、この前にも聞いたけど、予測と予想の違いってなんなんだよ」

 

「予測は情報から未来を想定すること、予想はもっと漠然とした妄想に近いものだ。だから天気についての情報を持たない私は天気の予測はできない」

 

 もう聞くんじゃねえぞ、とでも言いたげな親友に、僕は口をつぐんだ。これ以上天気の予想をせがむと、親友は一日中口を利いてくれなくなるのは実証済みなので、ここらへんで留めておく。だがそれとは別に、僕には今日どうしても親友に予想してもらいたいことがあった。

 

「雲井さんが付き合ってるみたいなんだけど、この先どうなるか予想してくれない?」

 

 雲井さんは僕たちのクラスメイトで、明るくて元気な人気者だ。親友はそんな雲井さんが苦手らしく、雲井さんの名前を聞いて少し眉をひそめたが、何も言わずに先を促した。

 

「雲井さん、いつも霧島くんっていう子と一緒に下校するんだ。だから付き合ってるのかなあって思って雲井さんに聞いてみた」

 

「付き合ってるのか、と?」

 

「そう。じゃあ雲井さんは、別に付き合ってないし、好きでもないって言うんだ」

 

「本人がそう言うんだったらそうなんじゃないのか?」

 

 僕も最初はそう思っていた。けれども、それ以来意識して雲井さんと霧島くんを見るようになって、二人のつながりが友情だけだと僕には思えなくなった。

 

「それだと説明がつかないんだよ。雲井さんは明らかに霧島くんといるところを周りに見せつけたがってるし、霧島くんもそれを嫌がってない。あれじゃあまるで――」

 

「まるで恋人みたい、か?」

 

 僕は口にするのをためらったが、親友はさらっと言葉を継いだ。恋人――確かにそれがあの二人を表すには一番しっくりくる。二人を見ているとそこにだけ特別な世界観があることがありありとわかるのだ。二人だけで完結する世界観は外部の人間を寄せ付けない。誰が見ても特別な関係であることは明白なのに、それでも雲井さん本人は付き合っていない――恋人ではないと言う。

 

 黙り込んだ僕を面白そうに眺めながら、親友は口を開いた。

 

「それで、君はなんで雲井と霧島だっけ? の恋路が知りたいんだ?」

 

 僕は返答に困った。どうして僕が雲井さんと霧島くんの関係を知りたいのか、僕にもわからなかったからだ。

 

「単なる知的好奇心だよ」

 

 苦し紛れに少しとまどいながら口にすると、親友はにやあと口角を釣り上げた。この親友は、面白いことに出会ったときに、決まってこのピエロの笑みともいうべき満面の笑みをたたえる。

 

「そいつはいい。だが、随分と下世話な知的好奇心だな」

 

 下世話で悪かったな、という意味を込めて親友の座っている椅子を軽く蹴る。でも、親友は怒らなかった。むしろピエロの笑みを深くして僕に言う。

 

「面白い。その話、予測してやろうじゃないか」

 

 

 

 親友は予測する代わりに、情報を集めるために僕を使うと言い出した。なんでも、情報収集には僕の交友関係の広さは有効らしい。眠気を誘う教師の声に一応耳を傾けながら、親友から渡されたメモ用紙を見る。

 

 ①二人が知り合ったきっかけ

 

 ②二人の知り合うまでの関係

 

 ③二人それぞれの家族構成

 

 これが調べ終わったら私のところに来るように、とメモ用紙の端に小さく書かれた親友のメッセージは、僕にため息をつかせる。いくら僕の交友関係が広くても、これを調べるのはむつかしい。誰彼かまわず聞いて回れば噂が立つのは避けられないし、そうなればその噂は雲井さんの耳にも入ってしまうだろう。人気者の雲井さんに嫌われてクラスからはじき出されるようなことにはなりたくない。自分の好奇心からきたことだが、それを棚に上げて親友を恨みそうになる。でも親友にそれを言って嫌われてしまうのも嫌なのだ。僕は臆病なのである。自分のサガに小さくため息をつきながら、メモ用紙をポケットに突っ込む。

 

 八方塞がりに近いが調査の方法が思いつかない訳でもない。今日の放課後にでもその算段をつけようと決めて、僕は眠気の海に溺れていった。

 

 

 

 僕が目をつけたのは雲井さんと同中出身だという斯波である。僕と斯波は同じ部に所属しており、部室ではよく話す仲で、いつかちらっとそんなことを聞いたのだ。七限目が終わってすぐ斯波に連絡を取ると、図書室にいるから今すぐおいでよ、とのことだったので、僕はすぐに図書室に向かった。

 

 図書室に着くと窓際の一番奥の席に斯波が座っていた。僕を見つけると人畜無害な人の良い笑顔をして手を振ってくれる。手を振り返しながら斯波のいる机まで歩いて行き向かいの席に座ると、斯波が小声で尋ねてきた。

 

「珍しいな、俺を呼び出すなんて。どうした?」

 

 僕の部活のメンバーは仲は良いが個人的に呼び出すなんてことは滅多にしない。それは代々続く慣習みたいなものらしい。その証拠に、先輩たちが部室以外で一緒にいるところを僕はまだ見たことがないのだ。

 

「斯波さあ、霧島くんって知ってる? 霧島夕樹くん」

 

 とは言っても斯波とは気の置けない親しい間柄。僕はもったいぶらずに本題に入った。もし雲井さんと同中出身の斯波が霧島くんを知っていれば、雲井さんと霧島くんの関係は中学校からのものということになる。二人が知り合った時期が割り出せるかもしれない、と思いながら斯波の答えを待った。

 

「ああ、知ってるぞ、霧島夕樹。雲井の幼馴染だろ」

 

 予想外の答えに僕は一瞬思考回路を凍結させ、情報過多でシナプスがショートするのを防いだ。そしてゆっくりと解凍しながら情報を整理する。

 

 雲井さんと霧島くんが幼馴染? そうなると①と②はなんとなく予想がつく。大方親同士が仲良しで――とか、家が近所で――とかそんなあたりだろう。確証がある訳ではないが、幼馴染の馴れ初めなんてだいたいそんなものだ。なら僕が二人の間に感じた友情ではないなにかのつながりは幼馴染というつながりだったのだろうか。だとすると僕の知る幼馴染のつながりとは大きく異なる。人間関係における距離感には確かに個人差があるものだが、それを理解してなお、僕はやはりあの二人には恋人というつながりがあると思う。

 

 思考の海に身を沈めて考え込む僕を見て、斯波が遠慮がちに声をかけてきた。

 

「――どうしたんだ、考え込んで。雲井と霧島が幼馴染ってところにそんなに驚いたのか?」

 

 まあね、と僕は返して逆にもう一つ質問することにした。

 

「じゃあさ、斯波。その雲井さんと霧島くんが付き合ってるのは知ってる?」

 

 付き合っているかはわかってないけど、と心の中で付け足しながらそう聞いてみると、今度は斯波が思考を停止したらしい。普段は穏やかに微笑む口がぽかんと開かれている。その形のまま微動だにしなくなった斯波を見て、少なくともあの二人は斯波の知る限りでは恋人っぽくなかったということを僕は知った。では何か『きっかけ』があったということか。斯波の知らない期間に何かがあったとみてほぼ間違い無いだろうと僕は読んで、斯波が復帰するのを待った。

 

 しばらくすると金縛りの解けた斯波が話し出した。

 

「悪い、そんな風に見えなかったから少し驚いてしまった」

 

「大丈夫だよ、それよりそんなに恋人っぽくなかったの? あの二人」

 

「ああ、俺が知る限りではそういった雰囲気はこれっぽっちもなかった。俺が気付かなかっただけかもしれないがな」

 

「そうなんだ。――ちなみにそれっていつぐらいのこと?」

 

「中二の時。たまたま雲井と霧島が俺と同じクラスだったんだ。俺はそんなに親しくなかったけどな」

 

 ということは中三の時に何か『きっかけ』あった可能性が高くなる。斯波は自分が気づかなかっただけかもしれないと言っているが、おそらくそんなことはない。斯波は恐ろしく空気を読むのが上手いやつなのだ。

 

「だけどそんなこと聞いてどうすんだよ、お前」

 

 僕は曖昧に微笑んで、答えることを暗に拒絶した。

 

「ありがと、斯波。とても助かったよ。今度は部室で会おうね」

 

「――ちょっと待て」

 

 斯波に感謝を伝えて席を立とうとすると、斯波が僕を呼び止めた。

 

「雲井と霧島について知りたいんだったら良いやつがいる。三組の馬場っていうやつで雲井と小学校からの親友だ」

 

「馬場さん?」

 

「なんだ、知っているのか。じゃあ俺が渡りをつけなくても良さそうだな」

 

「うん、一緒に文化祭の実行委員をしたから連絡先も持ってるよ」

 

「そうか。――いつかそのうち、お前が言う気になったら俺にも教えてくれよ」

 

 僕はまた曖昧に微笑んで、今度こそ席を立った。

 

 

 

 翌日学校に行くと、親友は学校を休んでいた。途中経過を話すつもりだったが、本人がいないのなら仕方がない。明日全て報告できるようにしておくために、僕は馬場さんに連絡を取る。馬場さんはおとなしく、自己主張をあまりしない控えめな人だ。文化祭実行委員会では、ええ、そうですね、それでいいですよ、くらいしか発言しなかったはず。それでも不思議と目にとまり、個人的に話しかけると聞き上手で話していて気持ちが良かった。そんな経緯で知り合って今は連絡も取り合う仲なのだが、今回の話は文面ではなく、直接会って話をしたい。そう思って、今日、お弁当を一緒に食べませんか、という用件だけを簡潔に記した文面を送信すると、いくらもたたないうちに返信が届いた。無機質な文字で、昼休みに談話室に来てください、とだけ書かれた文面に馬場さんらしさを感じつつ、携帯を閉じた。

 

 

 

 四限目が終わってすぐに教室を飛び出したにもかかわらず、談話室に入るとすでに馬場さんが椅子に座っていた。談話室はカウンセリングなどを行う関係で防音仕様になっており、僕の事情としてはとてもありがたい。馬場さんに小さく会釈して向かいの椅子に座ると、僕は世間話から始めることにした。

 

「ごめんね、忙しいのに呼び出してしまって。予定は大丈夫だった?」

 

「ええ、問題ありませんよ。正直なところ、昼休みはいつも一人なので今日あなたと過ごせて嬉しいです」

 

 馬場さんは花がほころぶようにふわっと笑った。そして一緒にお弁当をつまみながら、先日発表された夏休みの宿題があまりにも多いこと、期末テストの順位が百位くらい落ちてしまったこと、夏の始まる前にあがる変わり種の花火が綺麗なことなど、たわいない日常の出来事で盛り上がる。相変わらず癒される笑顔だなあなんて思いながら、卵焼きを頬張った。ちょっとこの卵焼きは甘すぎるよ、と小さくこぼすと、馬場さんは苦笑という雰囲気でふわっと笑う。

 

 しばらくしてお弁当も終わり、口直しにお茶を飲み始めた頃に僕は本題に入った。

 

「そういえば、雲井さんと親友なんだってね」

 

 それまでの話の延長のように何気なく聞いてみると、馬場さんは困ったようにふわっと笑って口を開いた。

 

「親友というわけではないのですよ。たまたまクラスが一緒になった時に仲良くしていただいたというだけで」

 

「そうなんだ。斯波が馬場さんのことを雲井さんの親友だ、って言ってたから気になって」

 

 まあ、と口に手を当てながらまたふわっと笑う。そんな仕草がいちいち様になってかわいらしい。

 

「親友のように見てくださったのなら身に余る光栄です。雲井さんは私のような目立たない者にもお声をかけてくださる優しくて快活な、皆さんの憧れのお方ですから」

 

「目立たないなんて謙遜だよ」

 

 僕がそう言うと、いえいえ、と言いながらまたふわっと笑う。

 

「それにしても、雲井さんってそんなに人気があるんだね」

 

「ええ、それはもう。雲井さんは一人っ子らしく、姉や妹が欲しかったとおっしゃってましたが、本当に一人っ子かと疑うくらいに世話焼きがお上手で皆さんに慕われているんですよ」

 

「そうなんだ」

 

 いつもより少し饒舌に語る馬場さんは頰を少し上気させている。本当に雲井さんに憧れているようだ。

 

「そうそう、雲井さんといえば幼馴染に霧島くんというお方がいらっしゃいましてね。お二方のお母様同士が大層仲がよろしくて幼い頃からよくご一緒に遊んでいらしたそうです」

 

「二人っきりで?」

 

「いいえ、霧島くんには三つほど歳の離れたお姉様がいらっしゃって、その方と三人で遊んでいらしたそうですよ」

 

「へえ、よく知ってるね」

 

「雲井さんが時々話してくださったので。霧島くんのお姉様は、雲井さんをとても可愛がられていたそうです。――すみません、私ばっかり話してしまって」

 

 予鈴のチャイムが鳴って、馬場さんは申し訳なさそうに口をつぐんだ。ああ、そんなふうにうつ向かなくてもいいのに。

 

「全然大丈夫だよ、とても楽しかった」

 

 本当に楽しくて有意義な時間だった。馬場さんとの会話はとても楽しかったし、これで親友から指示された情報収集も完了。僕にとっては良いことだらけだ。

 

 最後に、僕から聞かなくても霧島くんのことを話してくれた馬場さんに心からのありがとうを言って、談話室を離れた。

 

 

 

 そのあと眠気と闘いながら六限目まで受け終わり、やっと帰宅できると校門を出たところで、僕は心底呆れ返った。

 

「授業お疲れ、それで情報は集め終わったか?」

 

 今日一日学校に来なかったくせにこんなところで何してんだ、という意味を込めて僕は親友を軽く睨む。すると親友は悪びれた風もなく苦笑して肩をすくめ、両手を挙げた。その仕草が妙に様になっていてイラついたが、そこに噛みついていたら話が始まらない。僕は諦めて集めた情報を報告することにした。

 

「うん、終わってるよ」

 

「さすがだな。正直冗談で聞いたんだが、本当に集め終わっていたとは」

 

 冗談なら聞くんじゃないよ、と思いながら、僕はこの二日間で集めた情報を全て報告した。雲井さんと霧島くんが幼馴染ということ、母親同士の仲が良いこと、雲井さんは一人っ子で、霧島くんには姉が一人いること。僕の話が終わると、親友はお得意のピエロの笑みを浮かべた。

 

「いやはや、久しぶりに面白い案件だったぞ」

 

 どこに面白い要素があったのか全くわからないが、僕は黙って先を促す。

 

「君は雲井と霧島の関係がどうなるかが知りたいんだったよな」

 

 その通りなので素直に頷く。すると親友はピエロの笑みを深めた。

 

「私が予測するに、あの二人はずっと一緒だよ。高校を卒業しても、大学を出ても、社会に出ても。二人のつながりが切れることはないだろうね」

 

「それは二人が付き合ってるってこと?」

 

「付き合ってる、というよりも、小さい頃から決められた結婚相手みたいなものさ。それが当たり前で、他に選択肢がないんだよ」

 

 それは本当に幸せなことなんだろうか、と僕は思った。最初から選択肢を奪われているだなんて、僕だったら耐えられない。そんな僕の考えを読んだのか、親友はピエロの笑みを引っ込めて、聞き分けのない子供をたしなめるような声音で僕に言った。

 

「君の幸せと私の幸せが違うように、君の幸せはあの二人の幸せとは違うんだ。あの二人は、二人だけで完結する世界が幸せだと感じるんだろう。だから二人だけの世界に閉じこもる。それを無理矢理こじ開けるのは無粋というものだよ」

 

「でも雲井さんはみんなと仲が良くて、みんなに慕われる人だよ。そんな世界に閉じこもってるようには見えないけど」

 

 僕がまくしたてるようにそう言うと、親友は少し驚いたようだった。

 

「そう言っても、君だって薄々わかっているだろうに」

 

 独り言のように呟いて、ポケットからメモ用紙を取り出す。

 

「これを君にあげるよ。そこに書いてある人と会って話してみると良い。その人が語ってくれることは、あの二人が今現在の関係になった『きっかけ』だ」

 

 そのメモ用紙を僕に持たせて、親友は学校の中に消えていった。メモ用紙には僕の知らない苗字とメールアドレスが書かれている。僕はなんだか追いかけるのがおっくうになって、そのまま家に帰った。

 

 

 

 親友の予測を聞いて五日が経った。確かに僕は、雲井さんが霧島くんとの二人だけの世界に閉じこもっている、ということを薄々わかっている。少し二人を意識して見ると、二人とそれ以外を分ける見えない壁を感じるのだから。でも、それで雲井さんが本当に幸せなのか、考えても考えても僕には検討がつかない。四日目に、これはいくら考えても僕にはわからないんだろうな、と気づいて、親友がくれたメモ用紙に書いてある人に会いに行くことにした。連絡をとると、明日の朝十時に下谷駅前で会いましょう、と返事が返ってきた。下谷駅は僕の家から一時間ほどの場所にあり、こんなことでもなければ絶対に行かないのだが、行き帰り二時間で僕の疑問が解決するのなら安いものである。

 

 その下谷駅について五分くらい経った頃だろうか。辺りを見回す僕に、ぱたぱたという音をたてて近づいてきた人物に僕は目を剥いた。

 

「くれ葉!」

 

「久しぶりだね、小六以来かな」

 

 果たして現れたのは、小六の時に引っ越していった僕の幼馴染だった。なぜくれ葉がいるんだ? と思ったが、くれ葉なら放っておいても良いだろうと辺りを見回す。もうすでに約束の十時を回っている。会う約束をした人がどこかにいないかと探す僕を不思議そうに見ながら、くれ葉が言葉を継いだ。

 

「どうしたの? あたしを呼び出しといて無視?」

 

 僕は今度こそ絶句した。

 

 

 

 あたしの親が離婚したから引っ越したのよ、だから苗字が変わってるの。言ってなかったっけ? とくれ葉に笑われながら総合公園まで連れていかれた。僕はそんなこと聞いてない、と思いつつ、ベンチに並んで座る。久しぶりの再会を喜ぶでもなく、僕は早速本題に入ろうと質問を投げかけた。

 

「で? 雲井さんとどういう関係なの?」

 

「あたしが関係あるのは霧島くんの方。雲井さんとも無関係じゃないけどね」

 

「霧島くんと関係があるの? てっきり雲井さんの方だと思ってたよ」

 

 僕がそう言うと、くれ葉は苦い顔をして、雲井さんはちょっと苦手だから、と呟いた。親友と似たようなことを言っているなあ、と思いつつ、僕は質問を続ける。

 

「じゃあ、霧島くんとはどういう関係?」

 

 くれ葉は黙った。不思議に思って顔を覗き込むと、ちょっと待ってね、と言われた。くれ葉の言う通り、ひらひらとちょっとというには少し長すぎる時間が過ぎて、くれ葉はやっと口を開いた。

 

「あたしね、霧島くんに告白したの」

 

 いきなりの告白に僕は驚き過ぎて思考がショートした。くれ葉が霧島くんに告白した? そしてそれが『きっかけ』?

 

 固まっている僕の様子に構うこともなく、くれ葉は話し出した。

 

「中三の秋だったかな、ここで告白したの。このベンチよ。なんて言ったんだっけ、緊張しててあんまり覚えてないんだけど、好きです、とかベタなこと言った気がする。そしたら霧島くんさ、あたしがびっくりするくらい驚いて、罰ゲームか何かですか、って敬語聞いてきたの」

 

「え? 霧島くんが?」

 

「うん、おかしいでしょ? カッコよくてなんでもできてちょっとだけ優しい霧島くんがモテないはずがないのよ。それなのにあたしに告白されたのが初めてだって言ってたわ」

 

 嘘だろ、と思ったが口を挟まずに先を促す。

 

「それで、初めてのことだから一日考えさせて、明日絶対返事するから、って早口で言って走って帰っちゃったの」

 

 それは本当に僕の高校にいる霧島くんなの? 人違いじゃないの? と思ったが声に出すのをぐっとこらえる。意味もなく、くれ葉が話すのを遮ってはいけない気がした。

 

「結論から言うと振られちゃった。俺には香里奈がいるからごめん、って」

 

 香里奈というのは雲井さんの名前だ。

 

「結構傷ついたんだよ、一応初恋だったわけだし。それで諦めるためにも聞いたんだ、雲井さんとはやっぱり付き合ってるの? って」

 

 僕が雲井さんに聞いたのと全く同じだ、と思った。僕たちは案外似たもの同士なのかもしれない。

 

「じゃあ霧島くん、付き合ってもないし、別に好きでもない。でも、俺の隣にいるのは香里奈なんだ、って言ったのよ」

 

 僕とまったく同じ返しをされてる、と少しおかしくなった。

 

「正直意味がわからなかった。だから、どういうこと? って聞いたのよ。そしたらね――」

 

 

 

「――君に紹介されたのがくれ葉だとは思わなかったよ」

 

 携帯の向こうで親友は面白そうに笑う。

 

「私だってくれ葉が君の幼馴染だとは思ってなかったよ」

 

「どーだか」

 

 僕以外はもう誰もいない総合公園のベンチに座って、僕は親友に電話をしていた。僕の前にあるブランコは真っ赤に染まっている。随分と長いこと座り込んでいたものだと他人事のように思う。わずかに揺れるそのブランコを眺めながら僕は携帯の向こうの親友に向かって喋りかけた。

 

「君の言うとおりだったよ。雲井さんも霧島くんも、二人の中では幸せなんだろうね」

 

 親友はまた面白そうに笑う。本当にこの親友は人の不幸が大好きだ。雲井さんと霧島くんは不幸ではないのかもしれないけれど。

 

「くれ葉って雲井さんと同じ中学校に通っていたんだね、僕は全く知らなかったけど」

 

「君、知らなかったんだ。幼馴染なのに?」

 

 その言葉に僕は、くれ葉の両親が離婚したことも知らなかったよ、と笑いながら返す。

 

「僕とくれ葉の幼馴染のつながりはそんなものだよ。もしくれ葉が引っ越さなくても、過剰に一緒にいることはなかったと思う」

 

 僕は心からそう思っているし、くれ葉だって同じだろう。そう思うことが僕とくれ葉のつながりなんだろうな、とまた少し笑った。

 

「そうか、そういうつながりも良いんじゃないか」

 

 親友はそう言ってまた面白そうに笑う。そして、じゃあまた明日学校で、と言って勝手に電話を切った。基本的に自分勝手な親友に苦笑して、僕は携帯を閉じた。

 

 

 

 乗り慣れない帰りの電車の中で、僕はくれ葉との会話を思い出していた。

 

『そしたらね、霧島くんはこう言ったのよ。昨日母親に告白されたって言ったら、〈香里奈ちゃん? よかったねえ。香里奈ちゃんなら大歓迎よ、お姉ちゃんも喜ぶわあ〉って当たり前のように言われたんだ。それを聞いて俺は、確かに俺には香里奈がいるって思った。だからごめん、ってね。おかしいでしょ? 中三よ? マザコンも行き過ぎてるわ。そう思ったら気持ちがすうっと冷めてしまったの。あたしの中で霧島くんに対して残った気持ちは、この子は一生母親や姉、あと雲井さんに囚われて生きていくんだわ、かわいそうに、っていう同情だけ』

 

『霧島くん、雲井さんにも囚われてるの? 雲井さんは霧島くんのこと好きじゃないって言ってたよ?』

 

『そんなわけないわ。だってあたし言われたのよ、霧島くんに振られた次の日に雲井さんに呼び出されてね、霧島くんは私のだから、って。正直引いたけどわかったことがあったの。多分ああやって霧島くんに近づく子達を牽制してたんだなって、だから霧島くんが告白されたことがなかったんだなって。ね? かわいそうでしょ、霧島くん。でも本人に、それで幸せ? って聞いたら、俺はそれで幸せだよ、って。あたしには一生理解できないな。自分の自由を奪われていてそれで幸せなんだからさ』

 

 くれ葉が話してくれたことは僕にとって衝撃的すぎて、とてもすぐに消化できるものではなかった。放心したように考え込む僕を見て、くれ葉は、またね、とだけ言って帰っていった。やっと気持ちの整理がついたのはそれから何時間も経った後で、思い出したように僕は親友に電話をしたのだ。何もかもわかっていただろうに、親友は何も言わなかった。それが僕にはとても嬉しかった。

 

 

 

 あれから僕は、雲井さんと霧島くんが二人で帰っているのを見ても、なんとも思わなくなった。それを少し寂しいとは思ったけれど、初恋は叶わないものだ。ほろ苦い思い出を胸の奥に閉まった僕に隣にいた親友が笑いかける。それにつられて笑うと、僕は親友と一緒に教室を後にした。

 これは、僕と親友の体験した、僕の初恋ものがたり。