ジュラルミンケースの男

音呼

 

 これは、終わりから始まる物語である。

 

 そう、金剛寺の計画は、あと一歩のところで終わってしまったのだ。目の前で疑い深そうな目を向ける警察に向けて、そしてついでにバレンタインデーに浮かれてきゃっきゃうふふしている周りのカップルにも向けて、大仰にため息をつく。

 

「なんなんですかねぇ、見て分かる通り私は急いでいるんですよぉ」

 

 ジロリと睨み付け、そう言い放つ金剛寺。いかにも警察とは何度も渡り合ってきたヤクザらしい態度に、二人の警察官の目にも緊張が走る。

 

「いやぁね、ここら辺で通報があったんだよね〜、ジュラルミンケースを持ったスーツ姿の中年男性が挙動不審だーって」

 

「そうそう、だから、ちょっと職質と持ち物検査をさせてもらいたいんだけど」

 

 柔らかい言葉遣いとは裏腹に、じりじりと金剛寺を道の端に追い詰めていく。二十代前半の金剛寺は、中年と思われたことに若干の哀愁を感じながらも、左手に持つジュラルミンケースをしっかりと握った。

 

 今日は、待ちに待った、とある計画の実行日であった。計画通り、昨日は徹夜し、例の貴重なものを手に入れ、それをとある所縁の人に渡すためにジュラルミンケースで運んでいた。しかし、まさか警察が介入してくるとは。金剛寺の徹夜明けの頭は高速回転し、サングラスの奥の目は、こちらから顔を背けながら通り過ぎようとする男を見つけた。もう、これしかない。

 

「うわぁあっ、こりゃすいません」

 

「ひぃっ、あ、いえ、大丈夫です……!」

 

 足が絡まり、通りすがりの男に突っ込んだ。カラン、と開いたジュラルミンケースが地面に落ちた。だらだらと汗をかきながら急いで離れていく男。よし、完璧だ。金剛寺はほくそ笑んだ。

 

「……おい、ジュラルミンケースの中のブツはどうしたんだ!」

 

 中を確認した警察官が叫び、金剛寺を壁に押し付けて拘束、身体検査を始める。

 

「ない、ない……どういうことだよ、畜生!」

 

「ははは、私はこのジュラルミンケースが好きでしてね、空っぽでいつも持ち歩いているんですよ」

 

「五月蝿い、もう取引をしたというのか!?

 

「取引? このジュラルミンケースはお金に変えられない価値があるんです、そんな、売れないですよぉ」

 

「もういいお前は黙ってろ!」

 

 ひとしきり検査を終えた警察は、苦虫を噛み潰した上に飲み込んだような顔をして、金剛寺を解放した。ふん、と金剛寺は歩き出した。あと少しで目的は達成する、まずはあの男を探さないと……。

 

 

 

 例の通りすがりの男を先に見つけたのは警察だった。というのも、職質をした警察官らはいち早く事態を悟り、応援を呼んで探させ、尾行させていたからだ。パトカーで駆けつけると、そこは銭湯であった。あの見るからにヤのつくジュラルミン野郎にぶつかられた時に、余程冷や汗をかいたのだろうか。同情を寄せながらも、仕事を続ける。

 

「いいか、白い洋服にジーンズ、それからミッキーのパーカーを着ていた。それらを探して、荷物全部持って来い!」

 

 そう、金剛寺はきっとあの一瞬で、男に中身を押し付けたのだ。そこまで隠すということは、ブツは薬か、盗難物か。何にせよ押収せねば。

 

「持ってきました、確認しましょう!」

 

 男のハンドバッグ、ポケット、帽子の中まで探す警察。だがしかし。

 

「嘘だろ、それっぽいものは何もないぞ……?」

 

 狼狽を隠せない二人。なぜだ、どういうことだ、奴はまさか本当にジュラルミンケースが好きなヤクザだというのか……?

 

 その時、向こうから走ってくるジュラルミンケースが好きなヤクザかもしれない男に気づき、間一髪で自動販売機の後ろに隠れた。

 

 

 

 ふー、色々と聞き込んだ結果、ここにいるみたいだな。つかつかと店の前に向かう、と見せかけ、金剛寺は傘立てに向かった。そして例の男が持っていた黒の傘を手に取り、バッと広げた。

 

「……そこかよ」

 

 コロリ、と落ちた白い四角を拾い上げ、立ち去る金剛寺。脱力した警察らは、最後の力を振り絞って声をかけた。

 

「おい、それは、一体何なんだ……?」

 

「おお、またお前らか。しゃーない、教えてやろう。これは昨日から徹夜して並んで、今日朝イチで買った、一日限定十個のスペシャルチョコレートだ!」

 

 膝をつく警察。鼻歌とスキップと共に駆けていく金剛寺。

 

「……ジュラルミンケース好きじゃないのか」

 

「……そこかよ」

 

 重い足取りでパトカーは出て行く。全ての持ち物を失った哀れな男を湯船に置き去りにして。

 

 

 

 るんるん、これからはやっと計画の最終段階、アイツとの最高に甘いバレンタインデーが始められるぜ。二十代前半、保育士として身を立てる金剛寺とその彼女のロマンスが始まろうとしていた。

 

 これは、始まりで終わる物語である。