新しい星

 

「一京! 一京が出ました、さあこれ以上を出せる人は!?

 

 やむを得ないことなのだ。人は生きる限り、歩むことをやめない。前進と後退、そしてまた前進を続けたら、行き止まりにぶち当たる。

 

「最後の落札となります、落札者は橘氏です。支払いに関しましては……」

 

 もはや行き止まりが予測可能だっただとか、打つ手があっただとかは関係ない。ぶち当たった行き止まりはぶち破るのみ。そうしてまた次の段階へと歩んでいける。

 

「……くそったれ、誰のおかげだと思って」

 

「やめなよ、もう、どうもならないんだから……」

 

 私は宇宙へ行く。こんな地球では、生きることは幸せではないのだ。

 

 

 

 

 

 西暦三〇〇〇年を過ぎた頃からだろうか、人間は年を数えるのをやめた。時代の流れから目を背けたと言い換えてもいい。もはや地球が終末を迎え始めたのは誰の目にも明らかだった。

 

 各地で起こる異常現象、アラスカの地表は熱せられた砂になり、アマゾンのジャングルからは生命反応が消え、中国のビル層は連日の地震で地面が見えない。東南アジア方面は見渡す限りの海となり、日本の存在した場所は富士山が顔を出している。

 

 また、人間の数は大幅に減少したと思われる。思われるというのは、つまり連絡を取る手段が壊滅したからだ。ネットワークを機能させる建物もなければ機械もなく、ましてや従事する人間も確認が取れない。

 

 しかし、そんな凄惨な状況でも、人間は簡単には終わらない。かろうじてここ、テキサスに集まった数百人は、アメリカがまた栄えていた頃に計画された巨大な宇宙センターに活路を見出した。というのも、施設の地下で暮らし、ひたすらに研究を続ける研究者が存在したからである。起死回生の望みをかけた研究が完成したのは昨晩、そして天にも舞い上がるような気持ちが消えたのは一時間前だった。

 

 

 

「やっぱり納得がいかねぇ、なんで先生が行けなくてあいつらが行けるんだよ」

 

 真っ先にやってきたのは二〇人ほどの若者だった。今にも殴り込みに行きそうな雰囲気に苦笑しつつ、私は部屋へ上げた。

 

「そうは言ってもねぇ、私には行けるだけの食糧も日用品もないしねぇ。あ、ミルクと砂糖はいる?」

 

「それはそうですが……。両方お願いします」

 

 律儀にリーダー格の子が答えると、周りも落ち着きを取り戻しつつ紅茶を飲んだ。自然と笑みが溢れる。一時間前の殺伐とした空気とは大違いだ。

 

「……ですが、先生が行かないと、どんな不足の事態に陥るか分かりません。宇宙は未知の領域ですし、それにちゃんと新しい星を見つけられても……」

 

「他人に協力することを知らないやつらだ」

 

「そうだそうだ、どうするか分かったもんじゃないですよ」

 

「食糧や物品のことだって、自分達で独り占めしやがって……」

 

「本当だよ、先生がせっかく研究して下さってるのに、なーんの協力もしないんだから!」

 

「そのくせ、星を探しに完成した宇宙船には溜め込んでた財産を注ぎ込んででも乗ろうとするなんて」

 

 まぁまぁ、と宥めながらも、あまり心がこもらないことに気付いて少し自分に呆れる。確かに、まだあのお偉い方々には働いてもらえてないけれど。

 

「でも先生、なんでオークションなんかにしたんです? もっと高くしてもあいつらは買ってましたって」

 

「……どれくらい乗りたいのかなって思っただけよ」

 

 ふーむ、と難しい顔。

 

「まあでも、今日のオークションで大量の食糧を確保できたし。いいのよ、本当に。私は他にもここで研究したい事があるし。だからこれからも手伝ってもらうことになるんだけど……」

 

 勿論です、と笑う顔が頼もしい。そう、私にはあんな研究よりも、もっと役立ちそうな考えがあるのだ。世界がひっくり返って、私は一人になったけれど、まだやるべきことはあるのだから。

 

 

 

 

 

「こんにちは、わたくしはこの宇宙船を指揮する人工知能のソラです。この中での規律は、円満を崩さないこと、そして、各自で筋トレをすること。宇宙へ出るのに、体力は必須ですので。では、何かありましたら、気軽にお申し付けください」

 

 打ち上げ当日の朝八時、私はついに宇宙船へ乗り込んだ。乗員は全部で一〇人ほど、いずれも金有り権力有りの有力者のようだ。何人か顔見知りもいるにはいるが、という感じか。

 

 各自に割り当てられた個室は、中央にシングルベッドが置かれたのみのシンプルな造り。試しに寝転がってみると、背中にスプリングが食い込んで痛いことこの上ない。とは言っても壊滅状態にある地球に残っても仕方はない。などと思っていると、突然天井から先ほどの声が下りてきた。人工知能が残っていたとは。

 

「ソラ、発射はまだか?」

 

「はい、あと一分で発射となります」

 

 なるほど。あと一分で生まれ育った場所を離れるのだな。新しい星はどんな感じだろうか。あの研究者によると、機械が勝手に周りを検知して探してくれるそうだ。じゃあ人間を載せる意味は無いだろうが、私達から食糧を調達するためなのは容易に想像できる。あれだけの量があれば、逆に感謝されるかもしれないな、ハハハ。

 

 

 

「皆さま、夕飯の時間です。食糧温存のため、皆さま等しく缶詰一つです」

 

 ……どうやら寝ていたようだ。缶詰一つとは、犬じゃないんだが。全く足りないが、私には地球から持ってきた食糧がある。あれを食べればいい……あれ?

 

「ソラ、部屋に置いていた私の荷物はどこだ」

 

「はい、皆さまの持ち込まれた荷物は、全て管理室に運びこみ、保管しております。食糧品は貴重なものなので、こちらでお預かりし、皆さま等しく配分させていただきます」

 

 等しく配分……まあ、妥当ではある、のか? オークションで結構な量を渡したので、あまり持っては来れていないし、諦めもつく。シーチキンの缶詰は、少しパサついていて、やはり物足りなかった。

 

 

 

 宇宙に行ったからとて、何か特別な事があるわけでもなかった。窓は作られていないために外は見れないし、誰も出てこないから、延々とソラと話すか筋トレをする毎日。勿論つまらないが、人工知能とは言え、誰かと喋るのは気が紛れる。そうして、出立してから約一ヶ月が経った頃。

 

 

 

 ジィリリリリリリリリリリ

 

 

 

 サイレン音に叩き起こされて、苛立ちながらも音の出る方に向かう。部屋から出るのは久しぶりで、迷うかとも思ったが、幸いにも他にも出てきている人がいた。顔を合わすのも当然久しぶりなのだが、皆の頬はこけ、髪はペタつき、見るも無残な姿に変貌していた。かくいう私もきっと変わらないのだろうが。

 

「ま、待ってくれ、俺はもう耐えられなかっただけなんだ。お腹は減るし、新しい星の影すら見えない。限界だ、お菓子を食べさせてくれ、俺の持ってきた……お菓子を……」

 

 管理室で喚くだけ喚いたその男は、確か大手お菓子メーカーの末裔だ。お菓子だけを食べてきたかのような豊満な体がしぼみ、顔には絶望が浮かんでいた。

 

「おい、ソラ、俺のお菓子は、どこに……」

 

「はい、栄養価の低い食糧などの持ち込み物は、燃料として皆様に等しく還元しております」

 

「なっ、なんだと」

 

「ひとつ、質問すべきことがございます。お菓子の栄養価は低いですが、提供している缶詰は、生きていけるだけの十分な量を支給しております」

 

 質問、すべきこと、か。

 

「それでも、お菓子を欲しますか? もしそうなら、どうぞ、管理室の奥の小さな扉にお入り下さい。戻りの便がございます」

 

 どよめきが起こる。そりゃそうだ、こんなにあっさり帰れるのなら、早くに言ってしまえば良かったのだ。壊滅した地球での死を待つ日々にうんざりしたとは言え、ここでの一ヶ月は生きている実感すら得られない。喚いていた社長はもちろん、見物人の中からも数人が足を踏み出し、我先にと小さな扉に押し寄せた。

 

「俺はインスタント食品を大量に持ってきたんだ、あんな缶詰なんかで我慢ができるか。ただでさえ筋トレだなんだとしんどいのに」

 

「そうだそうだ、何が燃料だ、そんなのに何故わたし達が協力しなければならないんだ」

 

「俺はゲームがしたいんだ、こ、こんなところもううんざりだ。それに、新しい星に行けたところで、こんな生活なら、なんの意味もない」

 

 どやどや、と足音を立てて扉に向かう。

 

「ちょ、ちょっと待てよ、燃料が無くなるのなら残された俺たちはどうなるんだ」

 

「知らないさ、そんなこと。勝手にしてくれ、こちらも勝手にするから」

 

 制止の声も振り切り、屈んで小さな部屋を通り抜けていく。私はその奥がなんとか見えないかと覗き込むが、奥にはただ暗闇が広がるばかり。

 

「じゃあな、新しい星が見つかることを祈るぜ」

 

 おざなりに振られた手が扉の向こうに消え去る。残された五人は顔を見合わせるしかなかった。

 

「食事の時間です」

 

 無機質な声に突き動かされるまで、私達は呆然と立ち尽くし続けた。

 

 

 

「それじゃ、今日も昨日の続きから話し合おう」

 

 去った五人は、やはり帰ってこなかった。

 

 私はついていかなかったことへのほんの少しの後悔と、人工知能の言うことを信じられるかという反発心と、いつまで続くか分からないこの旅への不安に押し潰されそうであった。残された人の中でも、実際はこの旅に飽き飽きとしている人が多いように私は思う。かといって本当に地球へ帰還できるほどの機能、燃料があるのなら、あんなに人工知能が食糧に固執する訳もない。つまりはどちらにせよ、人工知能ソラは信用ができないのだ。

 

「……もし、諸君達が良ければだが。毎回の食事の時間に大広間で集まり、意見交換を行うのはどうだろうか」

 

 皆の心にかすかに芽生えつつあるであろう人工知能、ひいては研究者への疑惑。それを踏まえた上で、大国の大統領一族の末裔らしい男が提案。定期的に集まり話せるのは、良い気分転換だと言えるだろう。

 

「えー、まずは人工知能ソラ。この旅の目的は?」

 

「はい、新しい居住区となる天体の発見です」

 

「発見した後は?」

 

「速やかに地球へ連絡を送ります」

 

「それから?」

 

「それからは、研究者が決めることです」

 

「つまり、この計画はまだしっかりと決まっていないわけだ」

 

 大統領の男は、エドと名乗った。エドはソラとの会話を終えると、テーブルに両肘を置き、身を乗り出す。

 

「不確定要素が多く、周りに頼れる専門家もいない。私達がすべきことは、一致団結し、この孤独な旅を乗り切ることだ。心配するな、私の一族は、紛争、革命、災害と数多の危機を乗り越えてきたのだから」

 

 半分が離脱してから早一週間、特に何も進展しないながらも、前向きな言葉に気が軽くなる日々だった。

 

 

 

「橘、ちょっと。話があるんだけど」

 

 気は軽くなっても、現状は全く前進しない毎日に、三人は次第に鬱憤が溜まっていったらしい。何しろ、エドの会議は堂々巡りと推測だらけ、指示も曖昧で、ただ気を紛らわせるのみのものであった。そして、ついにエドを除く三人で話すこととなった。

 

「ねぇエドをあのままにしておくつもり? 無駄な時間よ、どうにかしないと」

 

「どうにかって……」

 

 周りの二人を見ると、少し目を伏せている。喋っているのは、乗組員唯一の女性、榊原。この調子だと、後の二人は既に榊原の方についてるらしい。

 

「リーダー面してこのままのさばらせておく気かっていってるの」

 

「しかし、この現状では何もできない。それに前向きな姿勢を持つことは責めることでも、妬むことでもないだろう」

 

「あの能天気な顔を見ているだけで苛立つの。今は何もできないにしても、あの能天気に毒されて、やるべきこともできなくなってしまうわ」

 

「……そのように希望も持てないまま進んでも、それこそやるべきこともできないさ」

 

「エド」

 

 がちゃり、と榊原の部屋に入ってくるエド。どうやら盗み聞きしていたそうだ。

 

「幸せって思い込んだまま死ぬことは、足掻いて死ぬことよりも不幸よ。貴方は私達を騙すつもりで騙したってことね」

 

「違う、騙すとか、そういう訳では」

 

「貴方達みたいな人はみんなそうよ。楽観的で、能天気なのはただ能無しなだけ。ええ、そうね、さっき橘が言っていた通り、妬む気持ちもあるわ。こんな状況でなにも考えずに明るい人が不快で仕方がない、もう私達は協力できない」

 

 榊原かそう言い放った時、天井からソラの声が降ってきた。

 

「一つ、質問すべきことがございます。集団で事を為すため、妬みを抑える道もあります。それでも、協力は不可能でしょうか?」

 

「ええ、無理ね。私達は代々会社を経営してきたけれど、いつもエドのような無能な大統領らに不利益を被らせられたわ。それなのにいつも慕われ、大きな面をしているのにはもううんざり。帰りましょ」

 

「では、小さな扉を」

 

 扉を蹴破る勢いで、足音高く去って行く三人。地球を去って、どれくらい経ったのだろうか。伸ばしっぱなしの髭に手が触れた。新しい星は、まだ音沙汰もなかった。ただ、そこはかとない違和感が充満している気がした。

 

 

 

 冷たいシーチキンを食べながら、エドは一言も言葉を発さない。少し躊躇いながらも、意見を聞くためにとりあえず自分の憶測を話すことにした。

 

 一日部屋で考えた結果、私の感じた違和感は、研究者は私達に星を探す事を求めていないのではないか、という事だ。

 

 まず、なぜ帰りの便があるのか。こんな何もない空間では帰りたいと言い出す人だって容易に想像できたはず。大切な食糧や燃料を使い、私達の気まぐれに付き合う訳がない。

 

 それから、ソラの言葉がどうも気になる。質問すべきこと。つまり、研究者がプラグラムしたのだろう。また、何人かが出て行った二回の出来事で、ソラが口を出してきたことも気にかかる。何が、あの質問をさせるきっかけなのだろうか。あの質問の意図は?

 

 

 

「ふむ、確かに興味深いな」

 

 食べ終わったエドは、ゆっくりとナフキンで口を拭いた。

 

「確かに不可解な点は多々あるが、それらは研究者しか知り得ないだろうな」

 

「それはそうだが。研究者が何をさせようとしているのかは考える必要があるだろう。星を見つけるために急遽出たとはいえ、私達は何も知らなすぎる」

 

「奥に、図書室がございます」

 

 ソラの声が突然響き、ぎくっとお互いの顔から天井へと目を向けた。

 

「……それは、私達に行くべきだと言っているのか?」

 

「皆様にお任せします」

 

 そう言ったきり黙り込むソラ。エドは重そうに口を開く。

 

「研究者が求めているのが、部屋にこもり専門外の事を考える人材であるなら、私の出る幕ではないな。考えるのは、一般の人々の仕事だ」

 

「しかし、ここには私達二人しかいない。星探しのためだ」

 

「研究者やその周りの人達が調べた末にこの宇宙船を作ったのだろう? 私達はそれを遂行するのが任務だ。考えるのは周りの人間の仕事だ」

 

 私は大広間を後にした。エドの言う事も分かる。適材適所というやつだ。しかし、それは他人ありきの思考、そして他力本願でもある。と言っても、私も特段何かを学んでいたわけでもなく……。

 

 

 

 気付いたら、部屋に戻っていた。相変わらず殺伐とした部屋のベッドに寝転がろうと近寄ると、上に何かが乗っていた。手に取ってみる。それは小さな本のようだった。

 

 擦り切れ、黄ばんでいる紙をめくると、宇宙に関する本であることが分かった。ぱらりと頁をめくるにつれ、指先がじっと汗ばむのを感じた。所狭しと押し詰めて書き込まれた文字達が、古びた紙に染み込んだ何かの染みが、全力で生への渇望を叫んでいた。

 

 

 

 知らず知らずのうちに、頭を抱えていた。こんな状況下では、学んできたきてないではなく、自ら学んでいかないと、何事も成せないのだと、頰を叩かれたようだ。

 

 私は、他の乗組員とは根本的に違うように感じていた。育ての親は、ただ名前を継承する存在が欲しかった為に孤児の私を育てていた。早くに彼らを亡くした私には莫大な財産が、唯一残されたものだった。

 

 こんな地球では、生きることなんてけして幸せではない。でもその、他の乗組員と同じ独りよがりな結論は、他者の生への執着とは確実に重みが違うことを痛いほど突きつけられた。

 

 私は、恥じた。生まれて初めて自分を恥じた。何も知らなかった。元からあるものを自分が獲得したかのように誇り、驕り高ぶっていたのだ。頭を掻き毟る度に、走馬灯のように過去の自分が思い返される。へつらいを好み、他人の言うことを聞き入れなかったこと。周りに生きる人々に興味を持てなかったこと。ぶち当たった行き止まりを、自分さえ破れればいいという根底の思いを恥じと思えなかったこと……。

 

 いいや、これは走馬灯にしなければならない。もはや誰もこの宇宙船にはいない。昔の自分は、今、小さな扉をくぐっていったのだ。私にはまだ任務がある。期待を背負っている。やるべきことをやるのみなのである。

 

 決めてからは早かった。いつのまにか周りに積み上げられた本という本を読み、着いた後にすべきことを考えていく。まずは安定した食糧の自給、安心できる住居作り。それからはライフラインを整えたり、地中に埋まるものを調べたり、情報化も進めて……。

 

 いつだったか、扉が叩かれて、船を出ると告げるエドの声がした気がする。そして、机の上に本を置き忘れていないか、とも。そんなことは今となってはどうでも良かった。

 

 壊滅は繰り返さないためにできることは何があるのか。壁ありきの前進に終わらず、壁を乗り越えていく前進をするには。私は、どう切り開こうか。私は、私は…………。

 

 

 

「任務完了。新しい星です」

 

 

 

 

 

 追記

 

 

 

 緑の増えた土地とくるくると働く者らを眺め、紅茶を流し込む。ソラ、もとい研究者の声が独りごちた。

 

「長いタイムカプセルだったなぁ。地中旅行を攻略したのは一人だけか。ま、ただ地下の部屋を有効活用しただけの実験で、この成果はまずまずでしょ。私達は食糧を大量に確保できたし、あの人達はオークションで測った通りの過剰な欲、妬み、無知の三毒を抜いた。それに、一人は、予期した通り、新しい星となり帰ってきた……」

 

 

 

 人類と地球の復興は、まだまだ始まったばかりだった。