スラム街の悪魔

水上緋月

 

 僕はいたって冷静な心地で、口をふさぐガムテープの接触面を舌先でチロチロと舐めていた。

 

 物音で目を覚ますとこの場所にいた。どうやらまた攫われたらしい。

 

 犯人がこの場所にいないことを確認すると、慣れた手つきで縄をほどき、ガムテープを剥がす。そして立ち上がり、部屋の中を見渡す。窓はなく、扉は内側からでも鍵が必要なタイプ。ものは一つもない。いやそれは正確ではない、物は一つもないが、一人の少女がいた。今回はどうやら攫われたのは自分だけではないらしい。

 

「あの、勝手に動いちゃって大丈夫なんですか? 犯人が戻って来るかも……」

 

「うん、まぁそれはそうなんだけど、多少無理してでも逃げないといけない理由があるんだ。君はそういった事情があるのでないなら、そこにいるのが最善だよ」

 

「いえ、ならついていきます。私も……事情がありますから」

 

「ふーん、そう」

 

 僕は服の裏地に止めてあったピッキングツールを取り出す。服を脱がさないとは随分迂闊なものだ。鍵穴にそれを差し込むと、数秒で音がした。

 

「開いたよ、じゃあ行こうか」

 

「え? 早すぎません

 

「ついてこないなら置いていくよ」

 

「行きます、行きますから!」

 

 ドアを開けると、廊下に出た。とりあえず出口を探さなくては。

 

 

 

 

 

「ふー、ここで一旦休憩しませんか?」

 

 正直こんなときに休むのはどうかと思うのだが、不思議なくらいに今回の誘拐犯は隙だらけなので、それくらいの時間はあるかと思われる。

 

 部屋には紙が散乱していた。風が吹いたというよりは強盗が押し入った後のような散乱の仕方だ。

 

「紙が劣化していないことから見て、この場所は少し前まで使われていたんでしょうか?」

 

 少女が紙を動かしながら呟く。それにしても不思議だ。ここまで何人かの誘拐犯の一味と思われる人に会ったのだが、なぜかみな素人くさいのだ。まるで下っ端のよう。この僕を捕まえるのには明らかに弱すぎる戦力。

 

「足音が近づいてきます! 移動しましょう!」

 

 少女が足音を聞いて足早に移動する。自分も紙を動かしたあと、少女を追う。

 

 

 

「出口です!」

 

 外に出るとそこは知らない場所だったが、見慣れた風景。スラム街が広がっていた。

 

「ここなら私知っています! あのね角を曲がったところで大通りに出られるはずです」

 

 

 

 

 

 角を曲がると、そこは行き止まりだった。どうしたものかと思案を巡らせていると、突如少女は僕に銃を突きつけてきた。

 

「ごめんなさい、あなたには死んでもらいます。馬鹿ね、あの組織はあなたを利用する気はあっても殺す気は無かったのに。でも私としては好都合だわ。こうしてあなたをこの場所に誘導できたのだから。私を倒して逃げようと思っても無駄よ。この場所は組織の者が包囲しているはずよ」

 

 僕は素早く前に踏み込み、少女の持つ銃をはたき落とす。

 

「え?」

 

 少女が戸惑っている間に、足を払い組み伏せる。

 

「私を倒しても仲間がいるわよ!」

 

「仲間は来ないよ、伝言の書いた紙は僕がすり替えた、今はここから一キロ離れた空き地にいるはずだ」

 

「な騙してたことに気づいてたっていうの!」

 

「ああ、始めからね。うまくごませたと思っていたのかもしれないけど、僕が起きたとき、君は部屋に入ってきたところだったんだろ。だから君はガムテープで口を塞がれていなかったし、縛られてもいなかった」

 

「くっ! ボスは甘いんです。こんな悪魔殺すべきよ! 私の両親もあなたのせいで、廃業になって飢え死にしたわ。どれだけの人があなたによって不幸にされたと思ってるの! 今回少なくない人数が組織で私に味方してくれたわ!」

 

 僕は黙って隠し持っていたナイフで少女の喉を切った。

 

 あのあと僕は無事帰ることができた。それにしてもひどい逆恨みだ。しかし恨みを買っても仕方ないことを僕はしてきた。誘拐されやすい体質を使って、いくつもの組織を壊滅させてきた。間違ったことをしたとは思っていない。けれど彼女のような復讐者をたくさん生み出してしまった。それでも僕はやっぱり生きていたい。黙って攫われるわけにはいかないのだ。

 

 サンマを一口、口に入れる。やはりサンマは秋が一番旨い。