周回走が憎い

海洋渡

 

 私はこの世で一番周回走が憎い。

 

 何故か。そのようなことは問わずとも分かるだろう。心身を鍛えるという名の拷問、伝統という名の牢獄、文武両道という名の呪詛の権化こそが周回走だ。男子六周女子五周、一周四百十米なので計二千四百六十米と二千五十米。一年生のうちは無差別に週三日であり、高校二年生という次世代の舞台に上がってからの文系諸氏週三理系諸氏週二という不平等、やはり負の遺産とでも呼ぶべき存在であると断じる以外の道はなかろう。

 

 であるからして私は何とかして周回走の回避を試みた。青二才なりに全霊を尽くし後世の長田生のための希望の道標を刻むべく青春を捧げたのである。

 

 何と言う艱難辛苦の日々であったろう。私はあらゆる時間を周回走阻止のために費やした。深夜遅くまであらゆる記録を参照し、いかなる条件下において周回走が停止するのか、そしてその条件を再現する最良の方法は何かということをひたすら考察した。体育の最中は走りながら運動場の状況を確認したし、むしろ走らざる間にも運動場の調査に勤しんでいた。いや何、無論体育以外の在校時間も無駄にはしていない。瞑想し英気を養い、その日の研究活動に備えていた。

 

 そして私は結論に辿り着いたのだ。それは雨こそ周回走が中止となる最良の条件であるということだった。

 

 天の采配――嗚呼空しい哉。私のような矮小な人間一匹にはどうしようもないものだというのか。私は正に絶望した。午前三時の部屋の中、目の前が暗いとはこういうことかと実感したものである。それは私が元神戸第三中学校こと兵庫県立長田高校に入学してから半年、冬の足音も間近に迫る頃だった。もう打つ手はないのか。これだけの年月をかけ、得た結論がこれだというのか。何かの間違いかもしれない、否、これだけの年月をかけたからこそ分かる、私の結論は正に正鵠を射たものだということが。

 

 だが私は気づいたのだ。それは正に神の言葉だった。失意に打ちひしがれた私の耳にある短い音律が届いた――。

 

 にゃあ。

 

 私の体を電流が駆け抜けた。真理だ。神は私に真理を授けた。にゃあ――是即ち夜の闇への抵抗。天体運動という圧倒的な力のもたらす静寂を破らんとする抵抗だ。神は私に、諦めるな、抵抗し続けろとお命じになっているのだ!

 

 私は新たな道を模索し始めた。

 

 矮小な人間一匹が雨を求めてはならぬなどと誰が決めた? 神か? いいや、神は言った、求めよ、さらば与えられんと。その上にも神は私に、運命に抗えとおっしゃったのだ。私にそれができぬ道理はない。私は信じて突き進んだ。この頃の学級出席簿の私の欄には斜線が並んでいる。当然だ。人生をかけるべき責務に欠課など気にしていられない。

 

 私は日本中を駆け巡った。野宿もしたし、滝にも打たれた。神社に数日住みこんで番をしたこともあった。ありとあらゆる情報を集め、ありとあらゆる鍛錬を積んだ。結果として、三ヵ月後、私は遂に求めた力を手に入れた。

 

 雨を天に乞い祈りを届ける力だ。

 

 最初のうちは丸一週間の祈願が必要だった。しかし練習を二度、三度と繰り返すうち、所要時間は指数関数的に減少し、さらに一月半の鍛錬を積んだ後、私はものの十分の祈願で雨を降らせることが可能となっていた。つまるところ、体育の直前の休憩時間だけで、祈願に必要な時間は終わりなのである。

 

 我が悲願遂に叶えり! 周回走よ、心身を鍛えるという名の拷問よ、伝統という名の牢獄よ、そして文武両道という名の呪詛よ、思い知ったか!

 

 その日以降、周回走は私の生活から一切消えた。

 

 

 

 さて、転機が私に訪れた。それは春のある日、留年目前であった私が何とか補習と追試を乗り切り、そろそろ進級の用意をと思っていた頃である。

 

 家の最寄駅前、ささやかな張り紙が私の目に留まった。水不足に苦しむ発展途上国への寄付を求める小さな張り紙だ。

 

 その時、私は既に頭の中で、自分の貯金から飛行機代が出るか計算していた。

 

 ――その後は語るに及ばないだろう。

 

 思うに、周回走がなければ、このような結末には至らなかったのではないだろうか。

 

 私はこの世で一番周回走が憎い。

 それでいて、私はこの世で一番周回走が愛おしい。