アルバム

 

 こんにちは。ご機嫌いかが? そう、それなら嬉しいな。僕かい? もちろん元気いっぱいでご機嫌だよ。今日は何をして遊ぼうか。なんだい、僕の事を知りたいって? 良いだろう、話してあげるよ。何について聞きたいかな? 僕の今までのそう長くない人生のなかでも色々な事があった訳だから、自分で勝手に話したのでは日が暮れてしまう。ああ、なるほど。今までずっと続けてること、か。うーん、思い当たらないなあ。ご存知の通り三日坊主人間だからね。どうしても長く続けたことは無いのかって? そうだねぇ、ああ、一つ思いついたよ。まあこれも立派な方々から見たら直ぐに辞めてしまっているように見えるのではないかと思うんだけどもなあ。何。それでもいいから早く話せ? まったく、君という人は。まあいい、話して差し上げますよ。ただただ語るのでは何だから、アルバムでも見ながら話そうじゃないか。取ってくれるかい? そう、そこの棚、赤っぽいやつだよ。それそれ。ふふ、いざ久しぶりに開くとなると少し恥ずかしいねえ。はいはい。分かっておりますよ、”早く”でしょ? ところでなんの話をするのか、だって? おや、そう言えば言ってなかったね、僕が、”そこそこ”続けたものはね、剣道ですよ。

 

 *****

 

 すっかり散ってしまった桜を横目に、学校の門へ続く坂を登る。まだはきなれないプリーツのスカートが膝に擦れてくすぐったい。

 

「結局、ももは何部に入ることにしたん?」

 

 横を歩くポニーテールを揺らすメガネがふと聞いてきた。

 

「剣道部にしたよ」

 

 僕一人でな。小学校で付き合いがあったヤツらはみんな球技の様子。一体全体丸い物体を追い回すことの何が楽しいのやら。無機物に腹を立てるという不毛な事態に陥るわ恥はかくわ。百害あってなんとやら。

 

「かおりちゃんは? どこに入るんだい?」

 

 質問を投げかけるとメガネをくい、とあげながら幼馴染みは、

 

「卓球。なんか十人以上いるっぽいねん。大所帯になりそうやわ」

 

 かおりーたす……お前もか。

 

 放課後、僕はセンセイに言われたとおり体操服に着替えて裸足で武道場に来ていた。

 

 辺りを見回し、女子を探す。剣道部はうちの中学唯一の男女共同の部活であり、男子とも一緒に活動することになる。そしてそれはつまり、女子一人が男子に混じって活動する可能性があるということだ。そんな事態だけは何としても避けたい。こちとらオタクの根暗女。自分の趣味に誇りは持っているが、万人に受け入れられるものでは無いと知っているし、中学生男子が残酷な生き物であるということもアニメでたっぷり教えられた。不意に視界に入る長い髪。素早くそちらに振り向く。おんな! 女子生徒だ! やったぞ! ちょうど教師の「全員揃ったので〜」と言う声が聞こえる。

 

 ということは女子は二人か。声を掛けようとしてはた、と気がつく。この女、入学早々松葉杖をついていた隣のクラスのギャルではないか……? 気のせい……では無いな。

 

 嗚呼、世界はちっとも美しくない。残酷だ。この根暗女が、一体どうやってギャルに話しかけるというのでしょう。というかあいつ、ピアスホールが空いているように見えるんだが、これも気の所為ということで処理してもいいのかな。良いだろうね。きっと。最早思考を放棄しながら、私は剣道場に足を踏み入れた。

 

 *****

 

 これがまあ剣道部初日の話だね。何? 運動嫌いの根暗女が運動部に入った理由だって? そんな人様に教えられるような大層な理由はないよ。なんだい、粘るねえ。まあ隠している訳でもない。僕が剣道部に入ったのはね、袴がはきたかったからさ。和装がしたかったからさ。その理由? なあに、単純な話さ。その頃好きだった漫画のヒーロー達が袴をはいていたんだよ。僕は単純な人間なんだ。そのギャルは何故剣道部に入ったのか。ふふ、それ、気になるよねえ。剣道は地味かつ臭いという残念なイメージがある競技だからね。僕もそう思って聞いたことがあったんだ。そしたらあの子なんて答えたと思う。不審者に遭遇した時傘一本で撃退出来たら格好いいからだとさ。まったく愉快な女だよ。うん。そうだよ。結局ゆづ──そのギャルとは仲良くなったんだ。まあならざるを得ないよね。たった二人の女子剣道部員だったんだから。ちなみに男子は十人もいやがってね。こいつらがまた愉快なやつらだったのさ。聞きたいかい? 男どもの話。正直でよろしい。ふむ、そうだね。よし。じゃあ「もっちゃん」の話をしようか?

 

 *****

 

 ノルマの坂ダッシュ五回を終え、額の汗を拭った。あのギャルちっとも僕と話そうとしない。こっちの本性が根暗だと見抜いて見下し、関わらないことを決めたのかと思っていたがどうやら違うようだ。

 

 あの女、どうやら人見知りらしい。それもかなりの重症。さきほど他愛無い話題をふってみたのだ。ギャルに自分から話しかける日が来るとは思わなかった。だがあやつは僕の決死の覚悟を無駄にしたのである。棒読みで目逸らしを添えてウンソウダネで終了。きわめて腹が立つ。仕方ない。会話可能な男子を探す方が早いと判断し、辺りを見回した。メガネを逆さ向きにかけて周りを笑わせている少年。鬱々とした顔で坂ダッシュをこなしている少年。転がってきたテニスボールをお手玉のように遊んでいる少年。風で落ちたさくらの葉をつついてる少年。おや。あれはもしかして、もっちゃんじゃないか。同じ幼稚園から違う小学校に進んだやつ。この中学校に進学してきているという噂は聞いていた。剣道部に入ったのか。

 

「なあ、もっちゃん、だよねえ? 小口幼稚園出身の」

 

 いかんいかん、根暗オタク女特有の甲高い早口を披露してしまった。穴が周辺にないか探したい衝動を抑え、返事を待つ。

 

「え、うん、そうやけど……」

 

 よしよし、目線は合わないが合わせたくないのは僕もだしそれは良い。いい調子だぞ。

 

「ぼ……私もなんだけど覚えてるかな?」

 

 オタク口調封印……一人称は女の子……頭の中で唱えながら聞いてみる。

 

「あ……うん……」

 

 ふむ。目線があわないどころか顔を真っ直ぐ見合わせることも難しいようだね。こいつも対人能力に些か問題があるようだな。まあ僕も人のことは言えんが。最近ぽかぽかよりもギラギラに近くなってきた日光から目を逸らし、下を向く。別に塩対応をされて心が折れたわけでは断じてない。……ありの行列がいるな。……大きいな。別段虫を嫌う方ではないが、座った時にいたら驚き立ち上がるくらいの大きさはある。早く巣穴におかえり〜と心の中で呼びかけた。

 

「クロオオアリだな……」

 

 うん? 今声が前から聞こえたか?

 

「かわいい」

 

 かわいいかな……こいつら……

 

「かわいいよ! アリは可愛いんだよ!?

 

 急に食い気味に来たな。と言うか声に出てたか。朧気にある彼の幼稚園の時の夢は “化石を発掘する人”だったように記憶している。今はアリ関連……か……? 傾向は変わっていないようだな。上手い返答を思いつかず、微妙な空気が流れたその時、「中に入るように」と、顧問の声が聞こえた。アリ少年と化していたもっちゃんと仲良くなるチャンスではあったのだか、不覚にもほっとしてしまったね。僕の対人能力は既に酷使されて限界を超えている。新しい環境は苦手だ。

 

 西日が眩しい。今日も袴には触れなかったなあ。早く先輩の様に袴を着こなしたいものだと思いながら床を拭いた雑巾を絞る。臭い。一年生はとにかく雑用係だ。大窓が開いたままになっている事に気が付き走り寄ると、ハトが目に入った。くるっくーと呑気に鳴くそれを軽く睨めつけていると、不意に後ろから声がした。

 

「キジバトだなあ。可愛い」

 

 言わずもがな、もっちゃんである。は! これはチャンス!

 

「アリだけじゃなくて、鳥も好きなんだ……? ちゃんと固有名詞覚えてるの凄いねえ」

 

 ハトからこちらに目を向けることは無いが、明るく元気にもっちゃんが言う。

 

「俺さ、哺乳類以外の動物大好きなんだ! 哺乳類は嫌いだ」

 

 ……なんて?

 

「えっと――……人間は哺乳類だと思うんだけど……キミは人間ダヨネ?」

 

 彼の言うことが予想の斜め上過ぎてカタコトに話す僕。その間呑気に鳴くハトが西日を浴びてきらきら輝いていらっしゃる。

 

「そうなんだよ。残念ながらね。僕は雑草に産まれたかった」

 

 先程から突っ込み所しかないねえ。雑草は動物では無いが。

 

「雑草は踏まれるよお……?」

 

 嗚呼、僕はもう駄目です。我ながら返しが意味不明だ。

 

「踏まれても起き上がる。千切れてもまた生えてくる。そんな雑草は格好いい! 美しい! 僕は雑草になりたいよ!」

 

 綺麗に言ってるが雑草の話だろ?

 

 *****

 

 と、まあこれが、もっちゃんの話だね。うん? ああ、その通りだよ。全然剣道してない。入部当初だから仕方の無いことさ。最初はトレーニングと雑用しかやってなかったからね。ちなみにもっちゃんについては華麗なるオチがあるんだよ。いや、別に馬鹿には全くしていないよ。心から尊敬する人の一人だよ。無事雑草にはならず人間のままで元気にやっている。彼はね、兵庫県立の高校じゃなく、北海道の高校に進学したよ。そうそう、僕が地元の高校の推薦入試を受けた時に、もっちゃんは北海道の高校の推薦入試を受けたんだ。最初に聞いた時は流石の僕も何かの冗談かと思ったがね。嘘ではなかった。まあ彼には県立農業高校やら普通のところは似合わないね。なんと言っても雑草になりたい男だから。剣道部以外の、例えば彼のクラスメイトは相当困惑していたようだけれども、剣道部の私たちからすれば「らしいなあ」で終わり。他にも、もっちゃん伝説が聞きたいの? そうだねえ。これはまあ、日常の話なんだけれど、剣道部で引退パーティだとか、まあ打ち上げの類で集まることがあってね、ゆづの家でやったんだが、僕が少し遅れていくとなんとびっくり。玄関に草履。それも最近デザインのおしゃれなやつじゃなく、ほんとに藁で編んだものだよ。ちなみにこれは夏祭りであった時も初詣であった時も履いていたから年中彼は草履だよ。クラスで卒業に際して繁華街での打ち上げをした時にも草履だったらしいね。TPOはどうなんだと思わなくもないけれどまあアイデイティというやつははっきりしていたようで何よりだ。卒業アルバムにある寄せ書きには佐藤ありって書いてあったよ。あ、佐藤はもっちゃんの苗字だよ。佐藤森彦が彼の名前だ。古風な名前が何だか彼らしいよねえ。

 

 まあそんなわけで、”もっちゃん”は剣道部で僕が出会った愉快な人間の一人だよ。なんだい、そんなに剣道をしている所が話に出てこなかったのが気に入らないのかい。仕方ないねえ。じゃあ他の人の話をしようか。そうだね、じゃあ、星本の話でもしようかな。あいつは最初から剣道部に入部したのでは無いんだ。理科研究部だったかな、文化部から剣道部に転部してきたんだ。あいつが剣道部に来たと分かったその瞬間は絶望だったねえ……なんの話だ、という顔、きょとんとした顔もキミはかわいいね。怒らないでよ。ちょっとからかっただけじゃないか。というかキミをかわいいと思ってるのは紛れもない事実だしね。はいはい、早くしろでしょう? 言われなくても分かっているよ。星本の話をもう始めるから。そうだね、彼と初めてあった時の話から話そうか。中学校では無く、小学校二年生の時。自分が剣道部に入るなんて微塵も考えていなかったあの頃、僕はあいつに出会ったんだ。

 

 *****

 

 センセイ達の走り回る音。六年生達が楽しそうに綱を準備している。秋晴れの今日、あんなに吊るした逆てるてるたちの願い虚しく、運動会は行われる。

 

「俺はー! 運動会があー! 大好きだァーー!」

 

 僕の思想とは真反対のことを叫ぶ少年。何故か校庭のトラック沿いに設置された観覧席では無く、校庭のド真ん中に立っている。両手を勢いよく挙げたせいで、赤白帽子が脱げている。あいつは同じクラスの、何だっけ、名前忘れた。いつもやかましいやつ。

 

「星本くん、座りなさい」

 

 担任オバチャン教師が至極冷静に注意する。ああそうだ、星本だった。うちのクラスの問題児。堪忍袋の緒が人一倍短く、声も体も大きく力も強い。この間はよく分からない理由で怒って赤えんぴつをへし折っていた。どうやったら手の力だけで鉛筆が折れるんだ。私たちはまだ小学二年生だぞ。背が低く力も弱い本の虫が絶対に関わりたくない種類の人間だ。だが今日は避けられそうもない。教師に冷たく注意された星本が、私の横のさっきまで誰も座っていなかった椅子にどっかり腰かける。こいつほんと汗臭い。不運な日だ。さっさと終わらないかな、運動会。

 

 *****

 

 これが星本との出会い、と言うか一番古い思い出だね。ここまでで何か質問は? 一人称が今と違うのが気になる、だって? まあ小学二年生だからね。所謂、厨二病というやつを発症する前だ。その病気を経験したあとは性別のしがらみに囚われたくなくなったんだ。と言うか六年の時に観ていたアニメのヒロインが自分のことを僕と読んでいてね、まあそれが一人称が変わった一番の要因のような気がするが……。小学校六年生で既に厨二病を発症したことに対する質問は受け付けないよ。……話が逸れたね。それじゃあ、ページを中学生の剣道部の所に戻して、ふむ、とりあえず時代背景ということで中学時代の星本の話でもしようかな。僕は中学校一年の時、あいつと同じクラスのだったからね。部活も同じ、クラスも同じ。仲良くならないわけが無い。だが決して僕らは仲良しではなかった。今考えると、僕自身も中学一年の時は大分詰まらない人間だったからね。ああ恥ずかしい。

 

 *****

 

「遠矢《とおや》!」

 

 僕の名前が呼ばれている気がするが気の所為だな。いやだめだ。あいつ諦めないぞ。仕方ない、男子から逃げる時の手段としての伝家の宝刀、女子トイレを使うしかないな、と言うか普通に行きたいし。

 

 はあ。暑い。気温が上がってきてトイレに籠るのが難しくなってきたな。しかも臭いも籠る。雨の日ならマシなんだが、生憎昨日梅雨明けが宣言された。あいつ……。同じ部活に所属することになったからと言ってあまり仲良くなりたくはないな。馬鹿と仲良くするのは嫌いだ。と言うか学年のほぼ全員から嫌われているヤツと仲良くしたいわけないだろう。自分まで派手なグループに目をつけられて虐められたくはない。日陰者の僕はできるだけ目立たずに面白おかしく生きていきたいからね。目立たないと言うのが最重要品目だ。おや、もう戻らないと授業が始まるな。チャイムの直前に滑り込むことで、声を掛けられる暇はない。完璧だ。よし。英語教師はそんなに早く教室にやってこないから更に行けるぞ……。

 

 成功。だが不運。今日の授業はペアでの発音練習。対人能力が無い僕にとっては地獄以外の何物でもない。一つ救いがあるとしたら私の周りは女子か小学校が同じでかつ大人しい男子ばかりの為、地獄の恐ろしさ、寒さは和らぐものと思われることだ。そしてまた星本と僕の配置ははねじれの位置になっているため、あいつと組まされる心配はないということ。一回初めの二人組で練習し、その後教師が席を横の者と交代するよう指示する。効率的に二人組を組み替えるためだな。

 

 その時、星本と交代した女子が大きく眉根を寄せた。僕には分かる。あの子が嫌がっているのは、星本が、自分の椅子に座り、机に触ることだ。まあ小学校の時は毎日同じ服を来ていたし、いまだにトイレの後で手を洗わないやつだからな。嫌なのも頷ける。

 

 あら、星本が彼女の表情に気が付いたな。

 

「あ、俺、自分の椅子を使うよ」

 

 おや、まあ。明らかに女の子の表情が明るくなる。自覚ありのいじめられっ子は見ていて少し辛いものがあるな。まあ別に助けないが。同じ部活であることなんて関係ない。要らぬ火の粉は浴びたくないのでね。

 

 *****

 

 ふむ。今考えると僕はなかなかに酷い人間だねえ。あの頃は色々自分を正当化していたが、結局ただのいじめの傍観者だ。あの頃は他人に投写して誤魔化していたが、僕はあいつが嫌いだったからね。後で星本とよく話すようになってから、小学校の時は自殺さえ考えたという話を聞いてはっとしたものだ。昔の話だと笑っていたが、僕らは決して忘れてはいけない。……キミがそんなに重い顔をしなくていいんだよ。僕が語るのは虐められている少年の辛い物語じゃなく、少し太っているだけだった少年の男性版、シンデレラストーリーなんだからね。ほら、じゃあ一気に中学二年生までページをめくろうか。二年のページに一体何があるかって? ふふ、その年はね、万年一回戦敗退の弱小剣道部が、大躍進を遂げる年だよ。その立役者、もうキミには想像がつくだろう?

 

 *****

 

 今日は、先輩の引退試合だ。女子は僕とゆづしか居ないので、五人で出場する団体戦には出られない。つまり今日僕の仕事は男子団体の応援という訳だ。昨日先輩達は県大会に行ったら……という話をしていた。けれど正直な話、僕には到底あいつらが県大会にコマを進められるとは思えない。なんと言っても、神戸市には二十八校あるが、県大会の出場権は四つしかない。単純計算でも七分の一。加えて秋にあった新人大会。一回戦で無残に敗れた彼らを間近で見たからこそ、県大会の望みは薄いように思えた。しかもそれに重ねてクジ運の悪さ。一回戦の相手はシードに位置する私学の強豪校なのだ。あそこの先鋒は僕らと同じ二年なのに個人戦優勝者と互角に戦ってみせた選手だ。噂では幼稚園から剣道を続けているとか。他の選手も名高い人ばかり。昨日の個人戦でも結果を残している学校だ。対してこちらは、部長の二回戦突破が最大。誰がどう見ても、実力の差は歴然だった。

 

 そして試合は始まった。先鋒として強者と対峙するのは星本。入部してから二ヶ月くらいは僕よりも下手くそだった癖に、先輩と互角にやれるくらいに強くなった星本。

 

 ――あの試合のことは、正直よく覚えていない。ただ、試合が終わった後、握りしめ続けた手が酷く痛んだ。

 

 兎に角、星本が、奇跡を起こしたのだ。そんな記録が、ハッキリと残っているのだから、間違いは無い。隣で涙を流すゆづの頭を撫でた先輩と、その横で満面の笑みを浮かべる星本を強く覚えている。星本の奇跡の勝利の後、感化された他のメンバー達は強い相手との戦いを耐えしのぎ、優勝候補から白星をもぎ取ったのだ。そして勢いのままに、四位入賞を果たし、県大会に出場した。

 

 *****

 

 僕はね、中高と剣道をやって、何度か県大会に出場する機会があった。自分が出た時もあるし、男子が出たのを応援した時もあるよ。と、言うかこの大会の後うちの中学はどんどん力を付けて、新人戦では優勝してるんだ。そんな強豪に進化した男子はともかく、僕自身も県大会に出ることがあったんだよ? まあ剣道は競技人数少ないからね、他のテニスだとかバレーよりも出やすくはあった。だから僕にもチャンスがあったわけだ。

 

 閑話休題。

 

 そのように何度か県大会に出場したわけで、中学でも高校でも開催場所は同じだったので感覚はだいたい同じだ。でもね、最初に奇跡を起こして出場したあの県大会が、僕にとって一番大きいものだ。どんな大会よりも、鮮やかに僕の中に残っている。あの時はなんと県大会で東の方の強豪相手に一回戦突破までしてしまった。本当に凄いよ。

 

 おっと、柄にもなくいま体育会系のテンションだったね。笑わないでよ、恥ずかしい……。そうだね、この偏屈根暗女を動かすくらいの力があの大会にあったんだ。やけににこにこするじゃないか。そんなに面白かったかい? まあいい、キミがご機嫌で何より。今、星本がどうしているのか、かい。それはもう、シンデレラストーリーだからね。剣道部に入って毎日運動した事で大分あいつは痩せてね、見た目も良くなったんだ。ゆづは素材は最初から良かったとか偉そうに言っていたけどね。とにかくあいつは太ったいじめられっ子から運動のできる気の良い奴になって、高校でガールフレンドを作って楽しく暮らし始めたみたいだね。先日結婚式の招待状が来た。行くのかって? どうだろうねぇ。僕はキラキラした幸せな人間を見ると嫉妬に狂う日陰者だからね。なんだい? ふふ、そうだね、キミがいる。はいはい、分かってますよ。ちゃんと聞いてるよ。怒らないで。

 

 その大会がきっかけで剣道を好きになったのかって? いいや。そんなことは無いよ。僕は剣道が別に好きな訳では無いんだな。実際高校で引退したらすっぱり辞めてしまったしねえ。第一、あんなに暑くて寒くて辛い競技をずっと続けている人なんて、剣道経験者の中でほんのひと握りだよ。いや、楽しくはあるけどね。確かに剣道は楽しい。それはそうだよ。中学の時は最後まで大嫌いだったけどね。引退が嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。でも高校で剣道部に入って「しまった」わけで。高校ではね、そこそこの進学校に行ったから、中学の時の様に顧問の監督のもと剣道をやるのでは無く、自分達で稽古内容を考えたり出来たし、そもそも練習時間が短かったんだよ。それに周りの人も皆、筋肉で剣道をする、と言うよりは脳で剣道をしていたんだね。頭を使うと意外と勝てるということを僕は高校でやっと気づいたんだ。……その通りだよ。何も考えずに適当に練習も試合もやっていたから僕は弱かったんだ。いや、別に高校になって特別強くなったわけじゃあないんだけどね。気持ちの問題だよ。でもまあ、あの県大会の奇跡が無かったら僕は剣道を辞めていたように思うね。あの後から、練習は相変わらず嫌いだったけど試合、特に団体戦が好きになったんだ。これは高校の時の部長の先輩の受け売りなんだけどさ、団体戦は個人戦五回じゃダメなんだ。バレーボールとかダブルスのテニスみたいにコートに仲間と一緒には入らないけど、団体戦は団体戦だからね。負けたり、抑えたり、勝ったりして、団体での勝利を掴むんだ!

 

 ああ、ほんとに。剣道のことになるとまるで自分が体育会系の人間になったみたいだね。いや実際剣道は運動なんだけれど。なんだい? やけに笑ってるね。いいこと思いついた? 何を思いついたんだい。いたずらっ子みたいな顔して。携帯? 何。剣道の全国大会? これを、見に行くのかい。キミと? え、違うの? 仲間たちと行ってこい、だって? そんな急に言ったって――……星本。あいつまだ剣道やってたんだね。全国大会出場か。なるほど? 僕の話を聞きながら携帯を触っているなと思っていたらそれか。ふふ、そうだね、ありがとう。キミと一緒にアルバムをめくってみて良かったよ。

 

 *****

 

 おはよう、ゆづ。暑いねえ。みんな揃ってるって。じゃあ、行こうか。

 

 晴れ渡った空の下で、もう少女ではない二人が十の影に駆け寄っていった。

 

 

 

 

 

〈あとがき〉

 

 お読みいただきありがとうございました。この物語は、少々脚色は加えられておりますが、全て私が経験した出来事です。愛すべき仲間たちに心からの感謝を。