私とピンク

 

 ヒース

 

 

 

「好きな色は何?」

 

 聞き飽きた、ありふれた質問。私はこれを訊かれる度に、諦めにも似た感情を抱くのだ。好きな色はイメージカラーとなり、その人を表す色となる。質問に答えるだけで、印象は決めつけられてしまう……。そんなこと考えていたら受験勉強に身が入るわけもなく、私はシャーペンを置き、机の上の小さな箱を開けた。

 

「青……」

 

 ぽつりと呟く。箱の中にはイルカのストラップが入っている。幼い頃、家族旅行で行った水族館で買ってもらったものだ。私は青色、一つ違いの姉はピンク色を買ってもらった。いや、買い与えられた。今でも覚えている。水族館のお土産スペースの一角に、様々な色のイルカたちが並んでおり、それを見た私と姉は、両親に買って欲しいとねだった。ただ、それだけだったのだ。なのに、私が父に手渡されたのは、青色のストラップ。その横で姉は、母から渡されたピンク色のイルカを、嬉しそうに握りしめていた。

 

 それ以来、私のイメージカラーは青色となった。好きな色を訊かれれば、青色と答えた。正直好きな色なんてピンとこない。だからこの答えが正解だと思っていたし、そう答えたら私らしいと言われた。しかし最近は、青色と答える度に小さい針で胸を刺されるような感覚を覚える。

 

 

 

「桜ー。楓ー。花純ちゃんが来たわよ」

 

 玄関の方から母の声が聞こえ、私の無駄な回想は何処かへ飛んで行った。そうか、今日は花純さんが久々に遊びに来る日だったか。花純さんは少し年の離れた従姉妹で、私の憧れの人だ。美人で、優しくて、私を思いっきり甘やかしてくれる人。私は花純さんのもとへと階段を駆け下りた。

 

「楓ちゃん、元気がいいわね」

 

 花純さんが笑っている。その可憐な笑顔にぴったりな、白いブラウスに淡いピンク色のスカートが眩しい。私が花純さんを客間に迎えて談笑していると、姉がやって来た。姉が席に着くと、花純さんは姉の方に向き直った。

 

「今日はね、桜ちゃんの入学祝いを持って来たの。遅くなっちゃってごめんね」

 

 そう言って花純さんが姉に渡したのは、私でも見たことのある、女子高生に人気のブランドの紙袋。姉は甲高い声をあげて喜んでいる。

 

「開けてみて」

 

 中から出て来たのは、流行りのデザインが施された、ピンク色の財布だった。

 

「桜ちゃんも高校生なんだから、いいお財布持たないとダメよ?」

 

 花純さんがお姉さんぶった口調で言った。姉が調子に乗って花純さんに抱きつく。それをみた私はため息を吐いた。すると、それに気づいた花純さんが私に話しかけてくれる。

 

「来年は楓ちゃんね。何色がいい?」

 

 私は答えに詰まった。口をギュッとつぐみ、喉から出かける言葉を抑えるのに精一杯だった。それがなんなのかはわからない。わからないが、私の言っていい言葉ではない気がした。

 

「楓は青だと思うよ。筆箱とかも青ばっかじゃん」

 

 姉が口を開く。私はハッとして姉に続いた。

 

「そう、青色。私、青色がいいな」

 

 そう答えた私を、花純さんは少し心配そうな顔で見つめていた。

 

 

 

 花純さんが帰り、私はなんとなく部屋に引きこもっていた。今は姉の顔が見たくなかった。姉のことが嫌いなわけではない。ただ、姉は私よりも幾分か可愛くて、ちゃんと女の子なのだ。その事実から、今の私は目を背けたかった。同じ木に付くものでも、姉は美しい花、私は葉っぱ。私は姉のようにはなれない。私が時々こんな風に思うようになったのは、いつからだったか。ベッドに体を預けて考え込んでいると、私の閉ざしていた記憶が蘇ってきた。

 

 姉が小学校一年生になる時、姉はランドセルを買ってもらった。ピンク色に輝くそれに、まだ幼稚園児だった私は激しく憧れを抱いた。そして自分が小学校に上がる時も、家族みんなでランドセルを見に行った。私が欲しいランドセルを見つける前に、姉が水色のランドセルを見つけて、これがいいのではと言った。母もすっかり乗り気で、私もそれが良いと言った。

 

 ……それからだった。それ以来、私はピンクが嫌いなんだ。通学路で多く見かける、ピンクのランドセル。私はそれを見つける度に、下を向いて歩いた。今でも、数個年下の小学生たちのランドセルを見ても、劣等感を抱く。

 

 でも、私なんかがピンクのものを持ったら、それこそ不自然だろう。そういえば小学生の頃、クラスの女の子が折り紙でクラスの女子全員分のコマを作ってくれた。全員同じ、ピンク色のコマだった。私はそれをもらった時、違和感を覚えた。自分の手の中にあるコマに、申し訳なささえ感じた。他の子のところの方が良かったよね、と心の中で話しかけた。私にはピンクは似合わない。あの時、私の手の中にぎこちなく収まっているコマを見て、改めてそう突きつけられた気がしたのだ。

 

 

 

「楓。花純ちゃんから電話よ」

 

 母が私を呼ぶ。また母のせいで、答えにたどり着く前に考えを終えてしまった。もやもやとした思考を抱えたまま、私は電話へ向かう。しかし相手が花純さんとなると、先ほどまで抱えていた思考など吹き飛んでしまう。

 

「代わりました、楓です」

 

 私は弾んだ声で言ったが、花純さんは違っていた。

 

「楓ちゃん、一つ確認したいんだけど」

 

 いつも通りの花純さんの柔らかい声に、少し窺うような響きが混じっている。

 

「本当に青色でいいの?」

 

 花純さんが訊いてくる。私は「もちろん」と答えた。

 

「楓ちゃん、好きな色は何? 青色が好きなの?」

 

 私はすぐに答えることができなかった。言葉に詰まる私を急かすように、時計の針の音が響く。

 

「イメージなんて関係ないのよ」

 

 花純さんの声が沈黙を破った。今まで花純さんの口からは聞いたこともない、強い声だった。

 

「似合わないって思われるのが怖い? そんなの、自分が決めつけてるだけでしょ?」

 

 そこまで言って、楓さんは一旦深く息を吐き、ゆっくりとこう言った。

 

「大丈夫だから。楓ちゃんは可愛いよ」

 

 今までで一番、優しい声だった。その声を聞いて、私の中で何かが切れた。口が勝手に開く。

 

「私もピンクがいい」

 

 そう発した声は震えていた。これを口に出してしまうのは、今の私にはまだ怖かったのだ。言葉と一緒に溢れてきた熱いものが、私に情けない声を出させる。それに気づいてか気づかないでか、花純さんが明るく提案してきた。

 

「よし。受験が落ち着いたら、一緒に買いに行こうか。とびきりオシャレして!」

 

 内緒でカバンも買ってあげる、なんて付け加える花純さんに、私は電話越しにうなづくことしかできなかった。