発明品

 

 小麦粉

 

 

 

 うららかな日差しが入り込むカフェ。K子とN男がテーブルを挟んで向かいあう。

 

「部屋が狭いから引っ越そうかな。でも、広い部屋を借りるにはお金が……。K子、いい物件知らないか?」

 

「うーん、物件は知らないけれど、最近職場で開発されたのがピッタリかもしれない。試してみる?」

 

 K子はカバンから、瓶に入った透明な液体と、3×4個のシールのようなものが乗ったシートの束を取り出す。液体には粘性があるようで、液面がゆっくりと水平になる。

 

「この瓶の中身をまず壁とか天井に塗って乾かす。だいたい一時間ほどね。そしたらこのシールを貼った棚なんかを、さっき塗ったところに接触させる。するとなんとくっつくの。どう? これで少しは広く使えるんじゃないかしら」

 

「えぇ、それ本当? 重いものでも大丈夫?」

 

「シール一枚あたり10㎏までよ。回すようにしたら取れるわ。だから自分の足の裏に張り付けて、天井歩行とかはやめてちょうだい。落ちちゃう」

 

「分かった。じゃあ、もらっていってもいい?」

 

 K子が頷くと、N男は満面の笑顔でお礼を言って店を後にした。

 

 

 

 N男は家に帰るとさっそく試してみる。帰る途中のホームセンターで買った刷毛を瓶の中身に浸す。壁を一撫でしてみると、そのどろっとした性質に反して、スッと壁に馴染んで塗りやすい。三十分もしないうちにN男は天井まで塗り終えた。

 

 次に、背の低い棚を空にして、その上面にシールを張り付ける。N男は苦労しながらも棚を担ぎ上げ、天井にくっつける。恐る恐るといった様子で、手を放す。棚は重量に逆らって、そこにとどまったままであった。

 

 

 

 数週間後、K子は警察に呼び出された。

 

「あの、どうしたんでしょうか?」

 

「T川K子さんですね。これを見てください」

 

 そう言って警察官はK子に複数枚の写真を差し出す。

 

 そこに写るのは混沌とした空間だった。天井からはチェストや、ごたごたと物が詰まった棚が下がっており、壁からはマヨネーズやケチャップといった調味料、空になったペットボトルまでもが生えている。そして床も、足の踏み場もないくらい物で埋め尽くされていた。そこは全く実用性からも自然の法則性からもかけ離れた世界であった。天井から逆さになってコードを垂らす炊飯器、壁に畳んだままくっついたパイプ椅子。お洒落なランプのように下がるくくられた本や、部屋の隅に捨て置かれたぬいぐるみたちは、荒廃的でありながら、しかし幻想的である種の美しさも持ち合わせていた。

 

 K子は写真をめくっていく。合理性とはかけ離れた様相が続く。そして最後の一枚。そこには棚たちの間に何か、何か今までとは異質なものが天井から下がっている。

 

 それは人間だ。N男だった。

 

「あの、これ……」

 

「あなたが開発したシール、あれを足の裏と背中に貼って天井にくっついて寝ていたようです。途中で背中が離れてしまったのでしょう。逆さ吊りになって死んでしまったようです。頭に血でも上ったんでしょうかねぇ。ま、まだ調査中らしいので何とも言えませんが」

 

 K子は何も答えられず、下を向いて震える。

 

「あなた、何も言わなかったんですか。人間に貼っちゃ駄目って」

 

「言いました! 言いましたとも、落下するかもしれないから、歩いたりしたらいけないと」

 

 K子は今や泣き出していた。警察官はK子を気の毒そうな目で見て、ティッシュを差し出す。

 

「まぁ、ちょっと考えれば分かりそうなものですよね。この男が浅慮だっただけでしょう。どんな道具だって……、ね」

 

 どれほど技術を、知識を蓄積しようと、最後に使うのは人間なのだ。