枕返し

 

 雪村

 

 

 

 ――眠れないの。

 

 そう、彼女は言った。

 

 

 

「――あの、林堂さん。ちょっと聞いてくれないかな」

 

 金曜日の放課後。そう後ろから声を掛けられて、林堂ほのかは振り返った。聞き覚えのある声だった。

 

 後ろに立っていたのは、須藤絢香。

 

「絢香ちゃん……えっと。どうかしたの?」

 

 須藤と林堂は今年初めて同じクラスになった、共通の友人を通して偶に話をする程度の仲だ。林堂には、特に相談事をされるような仲になった覚えは無かった。首を傾げつつも、笑顔で応える。

 

 そんな林堂に向かって、須藤は真剣な表情でジトッと睨むように言った。

 

「最近ね、眠れないんだ」

 

 睨んでいたのではなく、ただ単に眠かっただけのようだった。言われてみれば、眠そうに細められた眼の下には薄っすらと隈が見えたし、顔色も悪いようだった。普段から白い肌が、更に白くなっている。

 

 しかし、それならば林堂に相談するような事では無いはずだ。須藤の親友は、林堂の友人でもある本校生徒会長。知識でも行動力でも、林堂は遠く及ばない。何故わざわざ。そんな顔をしていたのだろう。慌てて、須藤が説明を始めた。

 

「あ、あのね。別に深い意味は無くてね。私が、睡眠に対して神経質で眠りが浅いのはこの間言ったと思うんだけど。最近は、枕のおかげで寝れるには寝れるんだよ。でも、なんか、途中で急に枕が変になってね、夜中に起きちゃうんだ。あ、えと、なんでこんな事を林堂さんに相談してるかなんだけどね。最初は愛菜……じゃなくて会長さんに相談しようと思ったんだ。そしたら、今、急に大量の書類不備が見つかったらしくて、忙しそうでね。邪魔したら悪いと思って。で、林堂さん、この枕いいよーってこの間教えてくれたでしょう。あれのおかげで、前よりも寝やすくなったから。今回も手伝ってくれないかなって」

 

「う、うん。わかった。手伝うよ。とりあえず落ち着こう?」

 

 説明がワタワタしている。一気に話過ぎたのか、須藤は少し息を切らしていた。林堂がこの間教えた枕というのは、『異世界への翼』という安眠枕だ。いかにも怪しげな名前ではあるものの、一部業界では大人気の一品。先日須藤の家で行われた引越しパーティーにて、須藤の不眠を聞いた林堂が教えたものだ。会長に相談しなかった理由もわかった。林堂も『生徒に手伝ってもらっていた書類に大量の抜けがあった』という噂は聞いていた。それはそれは恐ろしい量だったらしい。

 

「で、途中で起きちゃうってどういうこと?」

 

 須藤が落ち着いた頃を見計らって声を掛ける。

 

「あのね。林堂さんが教えてくれた『異世界への翼』のおかげで、いつまでも眠れないって事は無くなったんだ。でも、真夜中なるとに絶対に目が覚めちゃって」

 

 少しは眠れてしまう分、じわじわとしんどくなる、と須藤は言った。

 

「だから、さ。一緒に原因、探してくれないかな」

 

 眠そうな目、からの上目遣い。同じ女子とはいえ、彼女のこれはくる。そう、林堂は思った。なんとなく、須藤との身長差に感謝してしまう。

 

「良いよ。どうせ暇だったし。明日は部活、休みだから。今日は遅くまでいても大丈夫だし、早い方がいいでしょ。今日から始める?」

 

 須藤はパッと顔を輝かせた。

 

「ほんと? ありがとぉ。よろしくお願いします。じゃあ、晩御飯食べて準備できたら私の家に来てね!」

 

 先程までとは随分とキャラが違う。何故かここだけは確認しなければならないと感じて、林堂は尋ねた。

 

「ちなみに、さ。絢香ちゃん。準備ってなんの準備?」

 

 須藤はワクワクとした顔で、言い切った。

 

「ん? お泊まりの準備に決まってるじゃん。私、一人暮らしだから大丈夫だよ。明日は休みって言ったし、もちろん、今日泊まってくれるよね?」

 

 すごくいい笑顔だった。

 

 

 

 

 

 少し時間が過ぎて、夕方。林堂は須藤のアパートの前まで来ていた。中心街からも、学校からも近いこの場所のボロとは呼べないアパート。一室とはいえ、一人暮らしの学生には少々手が出しにくいお家賃のはずだ。彼女はなかなかに箱入りだと聞いた。一人暮らしの条件として、住む場所を確保されたらしい。噂によれば、この場所以外での候補地は大通りに面したタワーマンションだったそうだ。

 

 そう思い出しながら、林堂は、急な階段を上がる。ここに来るのは二回目だが、まさかもう泊まることになるとは思わなかった。前回はパーティーの主催者であった会長の一声で、『彼女の家を賑やかにする為に、家にあるインテリアを一つ持ってくること』が、参加の条件であったので、林堂は家にあった重い置物を抱えてこの階段を上ったのだ。

 

 チャイムを鳴らして、返事を待つ。中から何かが倒れる音とともに、慌てた声が聞こえた。

 

「はーい。って、えっ、もう来たの! 早っ! ちょっ、後五分待って!」

 

 積み上げた物が崩れる音がして、ドタバタと足音がする。きっちり七分後、扉が開いた。

 

「ごめんね。お待たせしましたー。どうぞ中へ」

 

 少し気まずげな顔で彼女は林堂を招き入れた。

 

 お邪魔します。と言って部屋に入る。ヤシの木風の植物を避けて、竹で編まれたマットを踏む。暖簾をくぐって入った部屋の中は漏れてきた音から林堂が想像していたより、いくらか綺麗だった。一人暮らしの学生としては十分なレベルだろう。ただし、統一感が無いお陰で随分と賑やかな印象を受ける。原因は勿論、部屋のいたるところに置かれたインテリアだ。和洋中の小物のみならず、どこかの民俗風の怪しげな仮面や、占いが出来そうな水晶もあった。もしや、不眠の原因はこれではと林堂は思ったが、彼女曰くこれらのものは全く関係がないらしい。

 

「散らかってるけど、見なかったことにしてねー。これが限界だったから。あ、林堂さんのはあそこに置いてあるよ!」

 

 あんなのよく持ってこれたよね、重かったでしょ、と彼女が言う。指し示した先には、小さな子供ほどの大きさのある小僧の置物。先日、林堂が家から持ってきた物だ。何かいいものが無いかと家の蔵を漁っていたところ、怪しげな古文書とともに見つかった。

 

「アレは本当に驚いたよー。まさか置物なんて重いもの持ってくる人がいるなんて思わなくて。しかも、タヌキじゃなくて小僧だよ? もう、意外過ぎたよ」

 

 それで、林堂の名前をすぐに覚えたらしい。その時のインパクトもあって、今回、会長の次に名前が出たようだ。

 

「じゃあ、林堂さん。原因探し、がんばるぞー。おー」

 

 おー、と彼女と声を合わせながら林堂はずっと気になっていたことを伝えた。

 

「あー、あのさ。林堂さん、じゃなくて『ほのか』で良いよ。会長さん呼ぶみたいに、呼び捨てで。その方が楽でしょ」

 

 さん付けだと、距離を感じる。言いはしなかったが、林堂はそう感じていた。ただ、彼女が会長以外を呼び捨てにしているのは聞いたことがない。聞き入れてもらえるかは、わからなかった。彼女は目を見開いて林堂の方を向く。

 

「ほんと? やったぁ。じゃあそうするね。私、そういうのタイミングわかんなくて、今のところ愛菜しか呼べてないんだ。りんど……ほのかが二人目だよ」

 

 その申し出は、キラキラとした笑顔と共に受け入れられた。二人目という言葉と嬉しそうな笑顔に、知らず林堂の頰が緩む。

 

「それなら私のことも、ちゃん付けしないで絢香って呼んで?」

 

 喜んで返事をして、忘れかけていた本題を思い出して、ようやく林堂は彼女が真夜中に眼が覚めてしまう原因を探し始めた。

 

 

 

「でもさ。なんか手がかりが欲しいよね。なんかない? 絢香。こう、目が覚めたときに気になる事、みたいなさ」

 

 とりあえず、ベッドの下を覗き込みながら林堂は尋ねた。

 

「うーん。あれ、枕がなんか違う? って思うくらいで、特にはないかなぁ。病院にも行ったんだけど、別に何かの病気ってわけでもないんだよ」

 

 覗き込んだベッドの上から布団を叩く音に紛れて、答えが聞こえてきた。それを聞いて、思わず林堂はこう言った。

 

「それはもう、実際に寝てみて調べるしかないんじゃない? 私は別に一徹くらい平気だし」

 

 ベッドもその上の布団も枕も、本人曰く完璧な物が揃っている。時計は秒針の音が鳴らないタイプであったし、カーテンもしっかりとしたものがかかっていた。それならばもう、実際に試してみる他ないだろうという判断だった。

 

「そっかぁ。そうだね。ほのか、ベッド使って良いよ。私、ソファで寝るから」

 

「いや、あのさ。絢香の眠りの研究なのに、私がベッドで寝てどうするのさ」

 

 彼女は本題を忘れてはいないだろうか。一回言ってみたかっただけだよー、などと言ってはいるがどうにも怪しい。林堂は溢れそうになったため息を飲み込んだ。

 

「ごめんねー。というわけで、ソファでお願いします。調べてほしいとは言ったけど、眠くなったらすぐに寝ていいからねー」

 

 もう寝ちゃおっか。おやすみ。と言って彼女は布団に潜り込んだ。

 

「大丈夫だよ。ちゃんと見ておくし、徹夜は慣れてるよ。絢香は大事な私の友達だから。それに、きっとこれからは、よく眠れるようになると思うよ? 私と絢香はずっと友達でしょ?」

 

 

 

 ――眠れないの。と言った彼女に。僕が一緒にいれば大丈夫だよ。と言って手を差し出して。そうだね。と笑って彼女は手を取って。僕と彼女は永遠に、二人仲良く生きたんだ。

 

 

 

 そんな話を、昔読んだ記憶がある。

 

 だから、私と絢香も。ずっと。