もしもし、宇宙人、聞こえますか

 

 新葉しあ

 

 

 

『慎重なる選考を重ねましたところ、残念ながら今回はご期待に添えない結果となりました。貴殿のご健勝と今後一層のご活躍をお祈り申し上げます』

 

 お祈りレターが一○枚。

 

 それが、一年間の就活の結果だった。

 

 

 

 

 

 昔から宇宙人を夢見ていた。

 

 この広い宇宙には、自分たちのような、いや自分たちとは全く違うような知的生命体が必ずいるずだ。それはグレイやポール、E.T.のように人間に近いものかもしれないし、エイリアンやプレデターのような怪物かもしれない。もしかすると、文明が発達しすぎてサイボーグのようになってしまっているかもしれない。

 

 そんな妄想で胸を踊らせ、幼い頃は遥か遠い宇宙の彼方を追いかけてばかりだった。

 

 夜になれば誕生日に父親に無理を言って買ってもらった小学生には高価な望遠鏡を手に、毎晩遅くまで天体を観測しては親に叱られて、それでも次の日も凝りもせず親の目を盗んで家を出る。そんな毎日を繰り返していた。

 

 今はもうしていない。

 

 田舎の夜と違って、東京の夜の主役は蛍光灯とネオンの都市夜景であって、どこか遠くの星の自己主張なんて脇役にすら成れていない。いくらレンズを覗いても見えないのだから、天体観測をしようがない。

 

 しかし、大学のために上京するまで続けて習慣となっていた天体観測を時折恋しく思う。そんなときは、大学の長期休暇を使って帰郷した際に、地元の天文台で一晩中星を眺めている。当たり前のことだが。天文台の天体望遠鏡は個人用の望遠鏡より遠くの星が、鮮明に見える。だけど、今日は何を思ったのか、実家の倉庫から古びた望遠鏡を取り出し、よく通った草原に来ていた。

 

 きょうび、他より少し勉強ができるだけでは職に溢れるということを身をもって知った。勉強など出来なくても、日向に立つような人間は、努力をしてきたはずの人間をすぐに追い抜かす。天才だとか呼ばれる人間は、その何百歩も先で、後ろを振り返りながら悠々と歩いている。凡人に出来ることは、昨日よりも今日、今日よりも明日、より努力することくらいだ。不貞腐れて一人で寂しく天文観測に来るよりは、東京の会話教室にでも入って人とまともに話ができるようになった方が、今後将来の役に立つだろうし、何をすべきか理解している勘者ならそうするだろう。それを分かっていてなお今日は、何にも気が乗らなくて、ただ自由が欲しかった。

 

 空にうみへび座が伸びる春の夜は、長袖一枚ではまだ肌寒い。

 

 もう一枚上に羽織ろうと持ってきたリュックサックに手を伸ばそうとして、夜空を見に来たのか散歩に来たのか、腰のしっかりした矍鑠(かくしゃく)たる老人が後ろに立っていることに気づいた。

 

「この時期にその格好は寒いじゃろう。こんな所に天体観測とは珍しい。儂も退職した去年からここで歩いて星を見るのを日課にしているんじゃ。君は星に詳しいのか?」

 

 観測者はフレンドリーである。同好の士には親切な人間が多い。それと同じ数だけ夜にうるさい人間と星を知ったかする人間に厳しい人が多いが。

 

「自分は、四年前までは毎日ここで星見てました。そこまで詳しくはないですけど、あれがうみへびで、おおぐま、しし、おとめ、かに、うしかい、かみのけ……春の星座は大体分かります」

 

「何、儂より先輩だったか、これは失敬。して、髪の毛。星座の癖して儂のあまり持っとらんものを持っとるやつはどこかの?」

 

と、老人はおどけて年相応の皮膚の見える頭に手を置き、空を覗くような仕草をとった。

 

 思わず笑ってしまいながら、あの暗い星が沢山あるところです、と説明したが老人には見えなかったようだ。最後まで必死に探していたが。

 

 老人は草むらにゆっくりと腰を落ち着けた。

 

「……君は何か、嫌なことでもあったのか?」

 

「……どうしてそうお思いに?」

 

「さっき君と話す前から君のことを見ていたのじゃが、溜息を多く吐いていたのでな」

 

 星を見て、溜息を吐くなんてただのメンヘラじゃないか。

 

「まぁ、頑張ってはいたんですけど、努力が報われなかったと言いますか。ちょっとナイーブなんですよ。まぁ、一度しか機会がない訳ではないですし、また来年、ですかね」

 

 会ったばかりの人に就活を失敗した話をするのも気が引けたので、やや伏せて説明した。

 

 ふむふむ、と老人は頷き、眉を下げて

 

「それは残念だったの、としか儂にはいいようがないのぉ……」

 

 だろうな。

 

 他人の身の上の話を聞くことほど反応に困ることはない。どこどこの息子さん、なになに社に内定決まったんですって、だとか。あぁそう、としか言いようがない。自分で言ってて中々に耳が痛い。

 

 老人はピンと人差し指を、立てた。

 

「君は、宇宙人を信じるか?」

 

「え、唐突ですね……。いる……と信じてますよ。今も信じています」

 

 唐突な質問に動揺を隠せないまま返答する。老人は髭の生えていない顎を撫でながら、笑った。

 

「宇宙は広い。人間が見える範囲を超えて、それでもなお遠く遠く広がっている。だから、この宇宙のどこかには自分たちと同じような生命がどこかにいるはずだ。もしかすれば、それはもうこの地球に潜んでいるかもしれん。皆、一度は考える。そして希に、それを専門に研究するような者すらいる。本当に存在するのかもわかっとらん。けれどそやつらはその存在を信じてやまず、目にしたことのないものを追いかけ続けるのじゃ。それは果てしない道のりじゃ。生涯をかけて何も残すことの出来ない可能性の方が高いじゃろう。それでもひたむきに、そやつらは遥か宇宙を追いかける。そんな者たちがいると知れば、目に見えるものを追いかけるのはいとも簡単に思えんじゃろうか。就活に失敗しても、来年さらに努力すればきっと大丈夫じゃ。努力せずに目撃されるような宇宙人は偽物じゃ。時間をかけて探さねば意味が無い。精進せよ、若人。ほれ、鼓舞じゃ。君もあれを追いかけてみよ」

 

 老人が指を上に上げる。その先の東の空に小さな、けれど強い光が一つ。その光点はあっちへふらふらこっちへふらふら。踊るように移動して定まらない。星でもない流星でもない。飛行機でもISSでもない。だとしたらあれは一体。

 

 まさか。いや、でも、それこそありえない。老人の言っていたことを真に受けるのならば、努力もせずに見られるそれはきっと偽物で、本当の努力を続けた人間への冒涜以外何物でもない。

 

 しかし、パッと強い光とともに夜の暗さに溶け込まれてしまっては、一抹の期待を覚えてしまう。

 

 急いで老人の方を振り替えるが、そこには誰もいない。ただ、伸びた草が夜風に揺れていた。驚いて空を見上げても銀砂のような星々が草原を覆っているだけであった。

 

「あれ?」

 

 ここでようやく、自分が老人に就活に失敗した話をしていないことを思い出した。

 

 

 

 

 

 努力するなら量か質か、という議題がある。

 

 量は時間などを記録すれば、それを見ることが出来る。しかし、質はそれが叶わない。

 

 何かで成功した人間の多くは大事なのは質であると言う。そして、それを信じた人の大半は道半ばで失敗する。目に見えるものすらなしえない人間に目に見えないことを完遂することなど到底不可能だ。まずは着実に一歩目から。目に見えることから始めなければ成功はありえない。

 

 あの春の日。俺が帰郷した日。出会った老人が何者だったかを俺はまだ知らない。

 

 けれど、あの老人が言った言葉の一つ一つは、未だに俺の胸を打ち続けている。

 

 今はまだ、天才とか言われる人間の、一○分の一、一○○分の一でも歩めればいい。いつか近づけるように。追いつけるように。昨日よりも今日、今日よりも明日。一.○○○○○○何倍でも歩幅を大きくする。

 

 見えないものを探し続ける魅力に囚われて、俺も、いつか大きな一歩踏み出すために。重量に囚われず、過去の自分から抜け出すために。努力と自信で第三宇宙速度を振り切って。

 

 取り敢えず、水無月の湿気を吹き飛ばすような、他の志願者より大きな声を出すとか、そんな小さなところから始めよう。

 

「御社を志望しました理由は……!!