我が闘争

 寸刻み

 

 第一教科「国語」

 

「始めて下さい。試験時間は百五十分です」

 静謐に満たされていた教室に試験監督者の言葉が響き渡る。問題と解答用紙が配られて後五分の事。大問一つにも値しない僅かな時間で極度まで高められた緊張は、その一言でダムが決壊したように、紙の擦れる音の怒濤となって溢れ出た。

 時刻は午前十時。今、私の受験生としての最後の戦いが、T大入試が、その幕を開けた。

 問題冊子を開くと飛び込んでくる「以下の文章を読み」に始まるお決まりの文句。現代文、古文、漢文、現代文の構成に万が一の変化も無い事を見、すぐさま氏名欄へ書き慣れた自身の名を叩き込む。最後の一画を書き終えた瞬間、己のコンディションが最高潮にある事を確信した。脳のケイデンス*が平常時の四倍になっているのを感じる。おそらく、アドレナリンの濃縮還元的な物質が惜しげも無く過剰分泌されているのだろう。

 全四教科のうち、最初の教科は国語だ。T大国語はその設問の圧倒的簡潔さに特徴がある。「何故か」、「どういう事か」だけで構成された問題群。複雑な付帯要求は皆無。しかしその反面、問題の難易度は全大学内屈指。深遠博大な論理に織り込まれたキーセンテンスを漏らす事なく拾い、相互関係を崩さず解答用紙に再現する能力――即ち正確無比な論理的思考力――が求められる。傍線部の周囲にある言葉を無闇に繋げるだけでは、決して模範解答まで辿り着けないのだ。

 今年の文章は歴史認識論。歴史マニア且つ数英弱型文系受験生である私には最大級の僥倖と言えた。例年の合格最低点から換算するに、合格者平均が五割を切るこの強化に於いて、私は六割強を獲得せねばならない。失敗する事は断じて許されない。


 第一問「どういう事か」。第二問「何故か」と来て第三問、再び「どういう事か」。一見単純な設問だがこの問題、少し違和感がある。傍線部について言及されている箇所があまりにも少ないのだ。

 

 ――この問題は傍線部の含まれる物とその一つ前の段落を整理させる、つまり事実上の要約問題です。傍線部の換言以上に、その背後にあるマクロな視点の論理関係に留意して纏めて下さい。

 

 天啓だった。某トップ現代文講師の解説がエコーの如く再生される。そう、これはT大が好んで出題する文脈整理問題。出題者の意図さえ見えれば何も恐れる事は無い……!!

 

 冴える感覚。走るシャーペン。試験開始より四十五分。第一問「論説文」の解答用紙は文字に埋め尽くされた。残るは古典と随筆文。毎年、古典の難易度は低く、随筆の難易度は高すぎる。つまり、ここから先の大問は受験生間で差が付かないのだ。故に最も重要視される第一問。手応えは十分。

 

 この教科、私の勝ちだ。

 

 

 

 

 

 第二教科「数学」

 

 

 

 数学。私とこの魔物の闘争は八年程になろう。小学高学年頃には数学とその他の教科の間に明確な差が生まれ始めていた。現代文は得意であるから論理的情報処理を苦手とする訳では無い。私の挫折は常に幾何の分野にあった。脳に図の具体的イメージが浮かばない。解答を見ても何故そう考えられるかが理解出来ない。自明であるとして解答を省略された部分に納得出来ない。例は枚挙に暇が無いが主張は一つ。兎に角私は数学が――特に幾何が――苦手なのだ。そして受験当日である今日まで、それを克服する事は終ぞ叶わなかった。

 

 故に私はセンター試験後に勉強法を完全にシフトした。つまりはT大特化型。頻出分野に絞った勉強を一ヶ月継続したのだ。単元としては軌跡、微分積分、確率、数列、整数。特に確率漸化式は私が数強勢に太刀打ち出来る唯一の分野である。ほぼ毎年出題されるこれらを完全に抑え、私は試験に臨んだ。

 

 あの後、最後まで躓く事なく終えられた国語で得た自信もあり、試験開始直前の私は全完も不可能ではないと感ずるような全能感に包まれていた。それを証明すべく、試験開始の合図で冊子を開き――。

 

 嗚呼ジーザス、我を見捨て給うか!!

 

 大問は計四つ。うち三つまでは例年通りの微積分、軌跡、整数。しかし、私の最大の得点源たる確率漸化式が無い。代わりに出題されたのはベクトル。この一世一代の大勝負に於いて最も遭遇したくなかった敵。招かれざる客。親の仇の如く憎む幾何学が、厚かましくも居座っていた。

 

 脂汗が止まらない。脳から血が引いていく。心臓は衝撃でその役割を放棄したようだ。貧血の余り視界がブラックアウトしかけ、

 

「…………ッ」

 

 ギリギリの所で踏みとどまった。思い出せ。私は数弱受験生。本来ならば此処で大量得点を稼ぐ必要は無い。八十点満点のうち最低三十点を獲得出来れば十全に過ぎる。仮にベクトルを丸々一問落としたとしても問題は無い。取り敢えずはベクトルを放置。微積分へ取り掛かった。

 

 実はT大文系数学は難易度は然程でもない。だからこそ数弱には厳しい戦いとなる。誰も取れない問題を解く必要性は低い。だが受験生の半分は取れてしまう問題を取れないのは致命的である。

 

 着実に一問ずつ。答えの数字が一致せずとも最低限の部分点を奪取し得るよう、論理を組み立てる。

 

 ――計算が煩雑だ。五乗根? 間違えたか? ――図示領域が単純すぎる。――虚数が導かれる筈がない。――駄目だ、時間が全く足りない。――

 

 焦燥感から空転しそうになる頭脳を制御しつつ、常時残り時間を意識するという二律背反。パニックに陥らず冷静でいるよう努め、指針に誤りがあれば全て水泡に帰す恐怖とも闘争を繰り広げ――。

 

「終了です。筆記具を置いて」

 

 始めの自信は何処へやら。八十分経過した後の私は、満身創痍の体で突っ伏していた。

 

 こうして私のT大入試一日目は終了した。

 

 

 

 第三教科「地歴」

 

 

 

 二日目である。今日の私のコンディションは最悪の極みと言えた。昨日、たった一日の間に急激な自信の過剰と喪失を経験し、遠征の高揚感、二日目を迎える緊張、更にはその先にある受験からの解放への期待感。それら複雑な感情で神経が極度の興奮状態に陥ってしまい、まともな睡眠時間を確保できなかったのだ。眠りに落ちた推定時刻は午前二時頃――常に時計を見ていた訳ではないので体感時間であるが――で、起床時刻は午前七時半。睡眠時間は約五時間半である。常日頃と比べて約一時間のロス。アドレナリンだけで無視出来る、些細な差だと言えばそうかもしれない。だが、僅かとはいえ入試当日に己の失態から差を作ってしまったという事実そのものが、何よりも私の精神を圧迫した。

 

 セルフハンディキャップを背負った状態で始まった二日目であったが、その第一教科が地歴だったのは不幸中の幸いと言えた。

 

 地歴。私がT大受験生の平均を上回っていると断言し得る、唯一の教科なのだ。

 

 他大学に類を見ない社会二科目の記述。膨大な記述量故に時間との勝負となるのは他教科と同様である。百五十分の制限時間で日本史、世界史、地理の三科目から選択して解く。中学生時より歴史オタクであった私は、当然歴史二科目選択だ。

 

 此処で差を付ける。それも圧倒的な。

 

 試験監督者の声が響く。やはり、前二教科と比較しても余裕があった。普通に解けば解ける筈。自己暗示を掛けながら問題冊子の日本史を開くと、多種多様な資料群が陳列されている。例年通り。資料読み取りに全振りした独特の問題。傾向変化は皆無。思わず安堵の微笑を浮かべそうになる。

 

 そして七十分後、日本史は呆気なく完解された。疑問の余地も無い。明確な易化だ。私が難問に気付く事さえ出来てない――所謂無知の無知――という事も、歴史に関しては絶無であると断言出来る。勝負は世界史だ。

 

 世界史の問題構成は大問三つ。六百字前後の大論述、六十字前後の教科書的小論述の集合、語句問題である。キーとなるのは第一問の大論述。比較的簡易な他二問で如何に落とさず、此処で如何に稼ぐか。それが世界史の得点、延いては合格を決める分水嶺になると言って過言ではない。第二、三問を解き終えるのに要した時間は五十五分。残りは二十五分。

 

 今年の問題はイスラーム文化史。アラビア半島から起こったイスラームがその支配領域を拡大する中で諸地域の文明を取り込み、それが中世ヨーロッパへ一種の逆輸入で伝わるという一連の流れを抑える事が要求されている。制限字数は五百十字。例年より僅かに短いか。これも特に問題は無さそうだ。教科書レベルの基本論述。今年の歴史は大幅易化のようだ。速やかに処理して次の英語に備えよう――。

 

 いや、待て。流石に異常だ。T大世界史の大論述だぞ? 教科書の定型文通りに情報整理を行えば点数が取れる――差がつかないのは当然として、そんな退屈な問題を出すものか? 何か見落としている。決定的な物を。

 

 問題文を熟読する。出題者が答えさせたい事は何か。――七世紀以降のアラブ・イスラーム文化圏の拡大の中で、新たな支配領域や周辺の他地域から異なる文化が受容され、発展していった。その文化は更に他地域へ流入ししていった。それについて五百十字で論述せよ――そう言えば、この文章は一度も「ヨーロッパ」という言葉を用いていない。他地域とは当然中世ヨーロッパを指すものと教科書的に思考していたが、然らば何故、教科書的に推測可能な問題を集めた第二問ではなくこの大論述に置く? もし此処で求められているのが教科書の文脈を離れた展開であるなら――ヨーロッパ中心主義でない詳述であるなら。

 

 記憶を手繰る。膨大な暗記知識を検索すると、見つかった。ジャストな知識が。

 

 ――授時暦!! モンゴルに仕えた郭守敬がイスラームの暦法に基づいて作成した暦である。ヨーロッパに伝わった物ではない為、つい見落としがちだが問題文の文脈には沿う語句だ。文化のイスラーム内での発展其の物に重きを置くなら、必然的にヨーロッパへの流入は付属品となり相対的にウェイトが低下する。その結果生じた余剰字数をこれら具体的なイスラーム文化に関連する語句で埋める。この文章構成が求められている物に違いない。

 

 特殊だが奇を衒った発想ではない筈。第一、受験生の殆どと同様な記述では数学で取った大きな遅れは挽回しようがない。どうせ落ちるなら。

 

 決意は固まった。私は時計で残り時間が二十分である事を確認し、迅速に記述を開始した。

 

 

 

 第四教科「外国語」

 

 

 

 歴史二科目の成功は乱れた精神を多少なりとも統一した。外国語――という名称だが一般人の私には当然英語――の開始時には一日目から二日目朝の一種の躁鬱状態は脱し、傾向に若干の変更を確認しても動転しない程度には回復した。無論、昨日は国語の成功による慢心が数学の悲劇を招来した訳で、一度痛い目を見た以上同じ轍を踏まないよう留意する程度の知性はある。慢心など皆無であり、寧ろチャレンジャーたる心持ちで試験に臨んだ。

 

 だが悲劇は予想外の方向から現れた。

 

 T大の英語の特徴は唯一つ。問題の圧倒的分量と多様性だ。ストレートな和訳、英作、長文読解から文法、リスニング更には英訳まで幅広い問を厳しい制限時間内で対処する様は、まさしく英語の総合格闘技。

 

 一つの欠落も許されず、万が一何かを欠いた場合には忽ち大量失点。そうであるのに、現在の私は最も重要な物を欠いていた。睡眠時間という最低限の前提を。

 

 英語が他の教科と大きく異なる点。爆発的でなく持続的集中を用いる点。それを可能にするには充分な睡眠が必要不可欠だ。気合いや精神の類で補填可能な物ではない。その弊害は試験開始三十分、文法問題を解き始めた時に現出した。

 

 文字が浮遊する奇妙で不快な感覚。異常を感知した時にはもう遅かった。一度崩れた読解のリズムはドミノ倒しの如く波及し、知識、思考、更には時間感覚までが一挙に凍結された。集中力が切れたのだ。

 

 ――不味い。

 

 焦燥感は何も生まず、寧ろその崩壊を加速させる。今や正常な読解力だけでなく、これまでの文章の展開其の物までを見失いつつあった。その間にも時間は刻一刻と出血し続けていく。T大英語のリスニングは試験中盤に挟まる。その時刻まで残り僅か十分。開始五分前には選択肢を読まねばならない事を考えると、残された時間は五分。このペースでは長文を解き終えるのは明らかに不可能。

 

 ――どうする。どれが最適解だ!?

 

 その判断は困難だが、悩んでいる時間が最も無駄である事は疑うべくもない。一瞬の逡巡の後、私は文法問題のページを開いた。だがこの判断は悪手だった。集中力の低下は知識に基づく短純な論理判断をも阻害し、私は一問の問題を解く事も出来ぬままに――しかも時間感覚の喪失からリスニング開始三分前に――リスニングの問題に目を通す事となった。その事実が更に私の精神を追い込む悪循環。やはりリスニングの設問も脳に入らない。満足に目を通せないうちに開始されたリスニングで完全な破綻が(もたら)された。音声が意味を持った言語情報として捉えられない。最早絶望感を助長するBGMと化した英会話は、例年通り三十分に渡り放送された。そこから拾えた断片を繋ぎ合わせ、妄想にも近い推測でマークシートを埋める不毛な作業。

 

 いつしか私は、英語を、それ以上に受験という物を半ば諦めかけていた。

 

 ――浪人か。それも悪くない。

 

 根本的に実力が不足していたのだ。四教科のうち半数を苦手とする私にとって、この受験は固より五分五分の博打のような物。それに今年は負けただけの事。

 

 ――ああでも、それなら。

 

 浪人するにしても貴重な入試本番という経験。それをふいにしてしまうのは、不合格にしても余りに惜しい。

 

 ――気楽にやろう。来年の糧のつもりで。

 

 何かが吹っ切れた。リスニング終了後、残り時間は四十五分。残りを時間内に片付けようとするのは無謀。ならば意識を変えよう。如何に落とさないかではなく、如何に取れるか。そう視点を転換した瞬間、失点の地雷原に見えた解答用紙は一挙に摘み放題の苺園となった。

 

 ――なぁんだ、こんなに簡単な問題だってあるじゃないか。

 

 冷静になればある種の自暴自棄、又は疲労の一周したハイでしかないと気付けたろう。だが私はその可能性を敢えて無視した。調子よく問題を解けているのに、何故現実に立ち帰る必要がある?

 

体感時間ではリスニング三十分の半分にも満たない四十五分が過ぎた。解答用紙が回収される際の私は、性懲りも無く例の無根拠な自信に満たされていた。

 

 

 

 

 

 エピローグ「合格発表」

 

 

 

 月並み極まる表現だが試験終了から現在に至る三週間は人生で最も長い三週間だった。その間に卒業式やらクラス会やらも挟まった気がするのだが、特に記憶に無い。勝てば天国、然らずんば地獄の博打を打ちっぱなしで能天気に騒ぐ事など土台不可能である。無論、騒がないとは遊ばないという事で、原義の意味では存分に騒いだ。幾度も自己採点を繰り返し、無邪気な自信と悲観的な推測の波を軽く十度は経験したのだ。

 

 だが発表前日だけは事情が異なった。不合格かもしれない未来への微妙な罪悪感から忌避してきた夜更かしを、この時だけは実行した。貧相な発想力で導き出した現実逃避の帰結である。

 

 完徹の結果、目覚めたのは発表五分前だった。言うまでもなく親に叩き起こされたのだ。

 

 受験票を片手にパソコンの画面を見つめる。何度も確認した四桁の番号に三秒毎に視線を送る。五度めの再読み込みの後、サイトはとうとう更新された。

 

 高鳴る胸。滲む汗。果たして――。