仏谷山飛鳥
昔、二人の若い男がいた。名は「天理」「地聖」という。天理は、あまり体は強くないが、大変賢い男であった。口数は少なく、唯一地聖にだけ心を許していた。地聖は、頭はあまり良くないが、体が丈夫で優しい男であった。この性格も見た目も相反する二人の男は争いあう二つの村の子供だったが、村境の森で遊ぶうちに仲良くなり、まるで兄弟のような関係だった。
成長した彼らは争いのない、豊かな村を作ろうと、旅をしていた。これは、その時の話である。
「こりゃ、参ったなあ……」
地聖が言う。彼らが森の中を進んでいると、大きな峡谷が道を塞いでいた。
「遠回りするしかないようだな」
天理が迂回を提案した。
「そうだな、とりあえず北へ向かうか」
そういって、彼らは峡谷に沿って歩き始めた。
しばらく歩くと、小さな小屋を見つけた。日も傾いてきており、彼らはそこで一泊お世話になることにした。地聖が小屋の錆びれた戸を叩くと、中から男の老人が出てきた。身に付けている着物はボロボロで、ひどく貧しい、そんな印象を受けた。
「申し訳ないですが、今晩だけここに泊めさせてくれませぬか」
と、天理が尋ねた。
「よかろう」
老人はガラガラの声で答えた。二人は礼を言うと、小屋の中に入った。
部屋の中はきれいに整理されていたが、男三人が寝るには少し窮屈だった。
「お主はここで何をしているのだ」
地聖が訊くと、老人は小屋の奥にある太鼓を指さした。
「太鼓を作っているのか」
と地聖が言うと、老人は静かに頷いた。
彼らは老人に連れられて小屋の近くにある川に行き、魚を捕まえた。日が沈み、三人は川辺で火をおこした。
「実は、わしらは旅をしておる。村を探しておるんじゃが、ここらに村はないか」
地聖が尋ねた。老人は小さな声で話し始めた。
「一昔前、向こうの山奥に『木場村』っちゅう村があった。当時は大変に栄えておったが、いまは人も減り、随分と廃れてしまった」
「明日、その村へ案内してもらえませぬか」
天理がお願いすると、老人は快諾してくれた。
「長い旅になるが、良いか?」
余り体の強くない天理だが、今回ばかりは気合が入っていた。
「ええ、構いません。もしかすると、その村で私たちの夢が叶うかもしれませんから」
その後、彼らは小屋へと戻り、夜を明かした。
次の日、二人は老人に連れられて例の『木場村』へと向かった。村へと続く道は非常に険しく、長い間使われていないことが良く分かった。こんな道の先にどんな村があるのか、二人は楽しみでもあり、不安でもあった。果たして、平和で豊かな村を作ることができるのか、そんな思いと共に、山道を行く。
お昼になり、少し眺めの良いところに出た。
「いい眺めだ」
天理はそこからの眺めに心を打たれた。三人はその場所で昼食をとった。しばらくして、
「そろそろ行くぞ」
もう少しその場で景色を堪能したいと思っていた天理だが、惜しみながらもその場を離れた。
随分と長い間歩いた。すると、ぽつぽつと廃墟が見えるようになった。老人によると、これらは村はずれの民家だという。廃墟の中をのぞくと、タヌキの足跡のようなものが見えた。どれだけの間、人間が出入りしていないかが良く分かる。
もうすぐ村に着くというところで、老人が
「わしはここらで引き返す。村はこの道をまっすぐ行けば見えてくるはずじゃ」
「有難うございます。御恩は忘れませぬ」
天理が礼をすると、地聖も続いた。
老人の姿が見えなくなり、気づけば夕暮れが近づいていた。
「もうすぐだ、進もう」
老人の言った通り、道をまっすぐ進むと村の門が見えた。もう日は沈み、夜を迎えようとしていた。門には『木場村』と彫られていたが、苔が生えており、いかにも廃村という感じがした。
一通り見渡すと、村はかなり大きいようであったが、明かりがついている家は二、三件だけであった。
「こりゃあかなりのもんだなぁ」
地聖が言った。
「ひとまず、あの一番大きい家を訪ねるか」
「そうだな」
二人はその家に向かった。
家の前まで行くと、少し様子がおかしいことに気が付いた。家の壁にはお札のようなものが所狭しと貼り付けられており、明かりはついているものの、人の話し声は一切しない。
「何かありそうだな――――」
地聖がつぶやくと、家中の明かりがふっと消え、あちらこちらから鋭い視線が感じられた。しばらく沈黙が辺りを包んだ。
「お主、何者じゃ」
暗闇の中から、若い男の声がした。
「怪しいものではない。山麓の峡谷近くにある小屋の老人に案内されてここまで来た」
すると、家の明かりはもとに戻り、家の中から人が出てきた。声の主であると思われる若い青年も姿を現した。
「すまなかった。さあ中に入っておくれ」
青年は二人を家の中に招いた。
家は木造建築で、中は綺麗に保たれていた。若い娘が二人を客間に通す。
「よくぞ来てくださった。私はこの木場村の村長、仙太郎だ。お主らは名をなんという」
青年の名は仙太郎。見たところ、自分たちと年齢は変わらないようだ、と天理は推察した。
「わしは地聖、こいつは天理。わしらは平和な村を作るために、旅をしておる」
「そうであったか。それはさぞ大変な旅であろう」
「そこでなんだが、私たちにこの村の復興を手伝わせてはいただけないだろうか」
天理が切り出した。
「――――この村には住まない方が良い」
その瞬間、家の空気が一気に異様さを増した。
「家の壁に貼ってあった札を見ただろう。あれは、この地に昔から眠っている魔物から身を守るためのものだ」
「魔物? 何をふざけたことを――――」
「本当だ」
地聖は魔物の存在を甘く見ていた。そんなものがいるはずがない、そう思っていた。一方天理は
「その話、詳しく聞かせて頂きたい」
「よかろう。話して差し上げる。この村にはこんな言い伝えがあるのだ。遠い昔、この地に二人の男がいた。ちょうどお主らのような、見た目や考え方が正反対の男たちだったそうだ。彼らは、当時荒れ果てていたこの地を再生するために神の力を借りようとした。彼らは三日三晩、寝ずに呪文を唱え続けた。しかし、三日目、最後の最後で呪文を読み違えてしまったのだ。そのせいで呼ぼうとしていた神は降りてこず、少し乱暴な神を召還してしまったようだ。人々はその神を封印しようと、封印の儀を行った。神は怒り、ついには悪魔と化してしまったのである。その悪魔が今もこの地に住み憑いているのだ」
話し終えると、地聖は悪魔の存在に震え上がってしまった。一方、天理は驚きを隠せなかった。彼はこの『木場村』を、神の手を借りることで復興させようと考えていたからである。
「こういう訳で、お主らがここに定住することは勧められん」
神、二人の男、呪文、封印、悪魔。天理は気づいてしまった。自分たちが同じ過ちを繰り返そうとしていることを。
「いえ、やはりこの地は再生させるべきです」
天理の目の色が変わった。
「お前、今の話を聞いてなかったのか?」
地聖は不思議そうな目で天理を見つめた。しかし、天理の表情は変わらない。
「私は今の話を聞くまで、この地の復興に神の力を使おうと考えていた」
村長である仙太郎の眉間に小さなしわが寄った。
「私には魔術の知識がある。悪魔のことは、私に任せてはいただけないだろうか」
家中の者が天理の意志に心を打たれた。
「そこまで言うのであれば、お任せしよう」
ここで誰かのお腹が鳴った。そこで皆は夕食をとった。
次の日、彼らは村の中にある小さな社へと向かった。ここに悪魔の一部が封印されているのだ。天理はその日から悪魔を鎮めるための儀式を始めた。それから何日、何ヶ月、何年と、天理は呪文を唱え続けた。長年の憎悪が積み重なった悪魔は、そう簡単に鎮めることはできないのだ。
それから何十年と時間が流れた。今は時代も流れ、電気自動車なるものが存在するようだ。新潟県の山奥にある小さな社には、今もなお呪文の声が響いているという。