魔法中年『ハゲは月夜に光り輝く』

アルミホイル

 

 俺、しがないハゲ中年は、どこからともなく現れた赤ランドセルの危険生物(後で知ったが、ハルカちゃんというらしい)に公園で上着を脱いで上裸になろうとしている現場を目撃され、天然なのか意図してやったのかは不明だが実質脅迫で公園に留まることを要求されたが、県外まで逃走。

 

 しかし一週間で再逮捕されたのだった。

 

 どうやって見つけたのかと聞いたら、妖精に居場所を聞いたのだと言う。発言の内容は小学生相応だが、実際に見つかって捕まっているのでただただ恐ろしい。

 

 そこから先はもう想像に難くない。中年は小学生に強請られて、社会的地位と財産を(元々ないけど)を跡形もなく……ということには全くならず。

 

 週に一度、ハルカちゃんと『あそびにいく』日々を送っている。

 

「おじさん、きょうはカフェにいこう!」

 

 ランドセルちゃんの鶴の一声により、本日の行き先はスタバなる場所に決定した。先導されるがままに幼い少女について行く中年は、間違いなくストーカーその他の犯罪行為にしか見えないだろう。少女の幼さに賭けて奇跡的に親子に見えていることを祈る。

 

 少し歩き疲れたくらいでスタバなる場所にたどり着いた。小洒落ていながらカジュアルな店構えは一般層を獲得せんという店側の明確な意図が窺え、間違いなく底辺層の俺がきていいような場所ではない。

 

 入店口に入った瞬間、透明のガラス戸がひとりでに開いた。自動ドアが自動で開くことに新鮮な驚きを覚えるのは四十代では日本で俺くらいだろう。平日の昼間だからか、席は空いていて主婦でもしてそうな年代の女性客が主だ。一部例外として、赤いランドセルを背負った少女とぼろぼろのパーカーに身を包んだハゲた中年。凄まじい場違い感にもだえそうになりながら店員に案内されるまま席につく。馴染みのない音ばかりが並ぶメニュー表が、な疎外感を演出している。おじさんが異言語と格闘している内にハルカちゃんはもう注文する品物を決めたらしく、暇を持て余してランドセルの中の荷物を探り始めた。

 

「おじさんはなにがいーい?」

 

「ちょ、ちょっと待ってくれるかな……」

 

「いーよハルカまってあげる! もちろんきょうもおごりだよね?」

 

「あぁ、もちろんだよ」

 

 おごりというのは勿論、ハルカちゃんのおごりである。当然である。職業不足の中年からたかろうとする小学生がいてたまるか。ハルカちゃんの家は恵まれているのか、年齢的に不相応なお小遣いをもらっているようなので一部の恵まれないアラフォーが少しぐらい施しを受けても罪はない。……なんて自分に言い聞かせて圧倒的罪悪から目を背けている。

 

「……じゃあ俺、エスプレッソで」

 

「おっけー! ハルカのおごりなんだから、もっとたかいのでもよかったのに」

 

 やだ何この子イケメン、惚れます。一生養ってください。

 

 折角だから色々付属品つけて名前を長くしてみようかとも思ったが、(例※ベンティアドショットヘーゼルナッツバニラアーモンド……以下略)流石に申し訳なくなったので遠慮しておいた。今更あがいても小学生におごられまくってる時点で人間失格なのだが。

 

 うしろめたさはあるものの、最近は割とハルカちゃんと会うのが楽しみになってきている。見ている限り彼女が俺を警察にチクろうとかそういう意図は感じられないし、信頼してもいいのかもしれないと思い始めている。――それはそうとである。

 

 ハルカちゃんがランドセルからやたらぶっとい本と特大ノートを取り出して勉強し始めた。本の表紙には大きな文字で『TOEFL』と書いてある。世間知らずな俺ではあるが、小学生が手を出すにはまだ十年は早い代物に見える。

 

「ハルカちゃん……それは?」

 

「しゅくだいだよ! たんにんのやまざきせんせいがね、きびしいの!」

 

 鬼畜過ぎるだろ担任の山崎。ハルカちゃんが無駄に賢くなって、ホームレスおじさんにエグい脅しかけてくるようになったらどうするつもりだ。それとも既に、山崎メソッドのおかげで彼女の知能は覚醒済みなのか? 年齢不相応の妙な気迫はそこに由来しているのか?

 

 まぁ……なんにせよアレだ。ハルカちゃん卍。平成最後のマジ卍。

 

 しばらくして頼んだドリンクが届き、久しぶりのカフェインを愉しみながら談笑に興じた。会話しながらもハルカちゃんの手は片時も止まらず、ひたすら英語を書きまくっていた。そうこうしているうちに疲れてしまったらしい、だんだん目が細くなって、瞬きを繰り返すようになって、首を振り子のように動かし始めて……とうとう瞼を閉じて、すやすやと可愛らしい寝息を立て始めた。

 

 幼女の寝顔をまじまじと眺めるのは中々背徳感のある行為だ。改まって見てみると、幼いながらに綺麗な顔をしている。惚れ惚れするほど白いマシュマロ肌に、長いまつ毛に強調された目元がよく映える。将来はきっと誰もが振り返る美人に育つのだろう。

 

「……んむぅ、きょうはありがと…………ひろきぃ…………」

 

 夢の中で俺と別れを済ませているのだろうか、寝言で名前を呼ばれてしまった。今まで彼女に一度も名前で呼ばれたことはなかったが、眠りに落ちてしまったからだろうか、警戒心がなくなっているようだ。――本来口にすべきでないことを、口にしてしまっている。

 

 俺は一度も名前を名乗ったことがない。

 

 この世界に生を受けてから、一度も。

 

 

 

 ふと過ぎ去った楽しい時間が恋しくなり、ペンを走らせる手を止め、視線を帳面から窓の外へと移した。――夜空に浮かぶ北極星の方角に、ヒロキの住む公園がある。公園暮らしのヒロキは今頃寒さに凍えている頃だろうか。いい歳した男がまともな住処も持てていないという事実は哀れを誘うが、それがいやにおかしくて笑えてしまうのが彼の人徳だろう。

 

 ヒロキとの出会い――再会を、この人生で私が忘れることはない。

 

 夜の公園を照らす光は、消えかけの蝋燭のような潰える寸前の儚いものだったが、私には万物を燦燦と照らす太陽にすら見えた。なお、その公園に街灯は備え付けられていない。私が示唆しているのは、かつて『光の貴公子』と呼ばれた男の残り香――中里博貴のむき出しの頭皮から放たれるホタルのような淡い光のことである。

 

 ハゲ頭のことを慣用的に『光り輝く』とか『太陽のような』だとか表現することはしばしばある。しかし彼はその一歩先を行く。

 

 皮脂でコーティングされてテカテカの頭皮が光を反射しているのではない。

 

 真に自らが光を放つ光源足り得る、世界で一つだけの『光るハゲ頭』なのだ。

 

 故に、私がこの地に足を踏み入れた時より持ち続けていた不安と期待は、安堵と歓喜に変貌した。――ヒロキに、また会えたのだ。公園を根城とする宿無しという多少情けない姿ではあったものの、喜びを妨げる理由にはなり得ない。再開の翌日、私はすぐに彼に会いに行った。幼く純粋な小学生にまで恐れおののく極めて微小な肝っ玉は、明らかに私の知るヒロキに違いなかった。

 

 私の中でヒロキとは、完全無欠のヒーローではない。むしろ欠陥の総合商店だ。

 

 ドジで、無一文で、頭が悪くて、人見知りで、女心の理解が皆無で、運もない可哀想な人。諦めることを知らなくて、困難には正面から体当たりしか出来ない救いようがない人。

 

 私にとって永遠に色褪せない憧れで、どうしようもなく愛おしい人。

 

 ――その人に危機が迫っているというのに、何もせず手をこまねいている私ではない。

 

「ソフィア様、いつもご苦労様です。お夜食をお持ちしました」

 

 耳に入った音に盛大な不快感を催した。

 

 私に声をかけたのは、ジーンズの上に若草色の割烹着を着た一見三十代前半に見える若めの女だ。彼女が持つお盆の上には、ホカホカと湯気を立てる丼が置かれている。丼が私の好物だ。『私』の好物だと言っていた。

 

 しかし、『呼び方』にはいささか配慮に欠けるものがある。私が不快なのはそれである。

 

「私は篠崎晴香。ソフィアと呼ばないで。貴女も、ハルカの母親でありなさい」

 

 女の目付きが変わった。遜った召使いの目から、道理を解さない愚者を憐れむ目へと。

 

「ずいぶん感情移入されているようですね。この身体の元持ち主に」

 

「元持ち主と言うな、愚か者。物言えぬ死人が生きた体一つ借りているのよ。持ち主に感謝しかないでしょう」

 

「我々の方が有効に使えますよ。現に、我々がいなければこの世界の人民は等しく危機に晒されるのですよ? むしろ感謝されるべきです」

 

「いたところで、この世界の民が危機に晒される未来に変わりはありません。これ以上話すことはない、下がりなさい」

 

「かしこまりました。お食事は、ここに置いておきます」

 

 女はドアノブに手をかけたところで、ふと思い出したように呟いた。

 

「彼は……ナカサトは元気にしていましたか」

 

「えぇ、何も変わりなかったわ。財産と髪の毛は無くなっていたけれど」

 

「無一文のハゲですか、お似合いですね」

 

 能面のような無表情に、くすりと微笑を浮かべた。この女の微笑を見たのは、おそらく片手の指で数えられるほどしかない。

 

「彼の影響ですか? 貴女がそんな腑抜けた人間になってしまったのは」

 

「そうかもしれないわ。でも悔いたことは一度だってない」

 

「そうですか、残念です。ですがご安心を。私は契約主義ですから、どんなに拘束力の弱いものであれ、一度結んだ約束は途中で覆すことはあり得ませんので」

 

「助かるわ。今後ともよろしくね、私が役目を果たし終えるまで」

 

 その言葉を放った刹那のことである。全身を不気味な波動が舐めた。急いで窓のそばに駆け寄り外の景色を確認する。青白い光が無数に、空中に浮かんでいた。

 

 私は一連の現象の仕組みを知っている。訪れてしまったことの意味を理解している。

 

 だから――涙を流した自分を、今日だけは、今だけは、責めるのは可哀想だ。

 

「フラグ、秒で回収されましたね。貴女のお役目が終わる日、もう目の前みたいですよ」

 

 

 

 今夜はいつもの数倍寒い。不法投棄現場という名の宝島から拝借してきた生臭い布団を何枚も被っているのだが、どうも本日の寒さはこの装備の貧弱耐久値では容易に貫通してくるようだ。新しい装備か暖を取れそうな場所でも探しに行こうか。幸い暗い場所を歩くのに困ることはない。俺が持つ唯一の特殊能力、この『光り輝く頭皮』さえあればとりあえず懐中電灯は要らない。

 

 あてもなく夜道を歩き始める。頭はぼんやり光っているが、街灯の方が有能なので役に立っていない。別に手に入れたくて手に入れた訳でもないが、見た目もダサいしせめてもう少し役に立つ能力であって欲しかった。手に入れたというよりは、失ったものの形見に近い。

 

 この頭を見ると、異世界で魔法使いしていた華々しい過去を思いださずには居られない。そして、あの悲惨な結末も。世界を救おうだなんて、そんな劇的な幕引きを求めなくても。登場人物全員が悲運の死を遂げるようなバッドエンドだけは避けられたはず。もっと他にできることがあったはず。今考えてもしようのないことだが。

 

 この体に残った栄光の形見は、実は光る頭皮だけではない。

 

 僅かだが、魔法の力、魔力の流れのようなものを感じ取ることができる。この世界にも極めて微量だが、魔法の概念が存在しているらしい。きっと時々聞く超能力者というのは大体がペテン師なのだろうが、一部は不完全だが魔法に近いものを操っているのかもしれない。尤も、この世界の魔力は、競技用の体育館一個分かき集めて炎を作っても、プロパンガスに引火させた方が遥かに効率的だ。

 

 だからもし全身を包み込むほどの巨大な力の流れを感じた時は、異世界との空間の狭間が破られた時くらいであろう。――つまりたった今、破られたということになる。

 

 全身を包み込む浮遊感のような強烈な魔法の感覚――感覚が鈍いのでこれで済んでいるが、敏感な人にとってはかなりの不快感を催すはずだ。西側の空に青白い光がいくつも見えている。おそらく、局地的に魔力濃度の高い空間を作るために異世界の一部を繋げたのだろう。過去に似たような手法で魔法の存在しない異世界を侵略した悪玉を知っている。――その悪玉をやっつけたのが全盛期の俺だったりするのだが。

 

 今もしそんな奴に出会ったら初手で瞬殺されるだろう。この公園は良いところだったが、別れの時が来たらしい。

 

 俺はプライドを捨てて役に立たない光る頭を布団で隠した。過去の栄光に縋りたくて晒していたが、やっぱり役に立たない。防寒体制を強化して青白い光の反対方向に駆け足する。口惜しいが、流石にこの公園と生死を共にする覚悟はない。さらば五丁目公園、また生きているうちに会おう。

 

『……ヒロキ! そこにいるの?』

 

 ――俺を呼び止める声。それは二度と聞くはずのなかった、思い出深く、熱烈な(直火でこんがり焼かれる)夜を共にした、記憶にある中で尤も愛おしい声だった。

 

 

 

 窓から飛び降り、飛行術で青白い光の中心まで飛ぶと、膨大な数の魔物が私達を囲んだ。魔物の形は人間、肉食獣、竜……様々な形があるが、その全てから腐臭が放たれている。

 

「ゾンビ類ですね。中々手こずりそうです」

 

 涼しい顔をしながら、割烹着姿の女――『炎の大精霊』という大層な異名までついた私の僕、アグニは、凄まじい熱量の炎熱を容赦なくゾンビ達に浴びせている。大半が焼け焦がれて灰になるが、一部の大型ゾンビは平気な顔で迫り来る。

 

「私は小さいものを片付けますので、ソフィア……ハルカ様は大型を頼みます」

 

 途中で訂正したのでよしとする。私は得意分野の物質創造魔法で『絶対に破壊されない致命傷の剣』という概念を持った刀身を作り出し、適当な物質で持ち手を作る。威力を上げるために当然質量は大きくしているので、私の筋力で振れるような代物ではない。だが浮遊術で浮かせて振り回すくらいなら容易にできる。魔法物質の浮遊抵抗はゼロに近しい。

 

 私は浮遊術も得意としている。よって、同等の剣を百本以上操ることが可能だ。

 

 無数の剣が夜空に浮かび、敵めがけて一斉に降り注ぐ。そして降り注いだ異次元の業物達が、手際よく敵を解体していく。過去に剣士になろうとしていた時期もあり、ある程度の技量で刀剣を操れる。何度見たか分からない光景だが、いつ見ても気分が高揚する。

 

「趣味悪いですね。それでこそ私の主人ですけど」

 

「大火災起こしてニヤついてる貴女に言われたくないわ、消防車が来たらどうするの」

 

「主人こそ、銃刀法違反で捕まりますよ?」

 

 無駄口を叩きながらも魔法は猛威を振るい、着実に敵を殲滅していく。そしてとうとう最後、残すところ人型一体となり――その一体が消えた瞬間、一キロ先の空間が紫色の光を放った。あまりにも眩しく、一瞬目を閉じた。開くと、ゾンビの群勢が復活していた。

 

「……主人、おそらくですが、敵の親玉を倒さない限り我々に勝機はありません。そして敵の親玉は――」

 

「そんなことバカでもわかるわ! ヒロキが……私の大事な人がっ、危機に晒されているのでしょう!? でも…………だからって、どうすればいいのよ!」

 

「私に考えがあります。全てはハルカ様次第ですが」

 

 

 

 

 

 おぞましい化け物が私を取り囲んで迫ってくる。一周回って笑えるくらい怖い夢のようで、これは現実。不確かな記憶を頼りに、怖いものから目を背けるように魔法の剣を雑に振り回す。だけど全然上手に振れなくて、化け物はどんどん距離を詰めてくる。

 

「真面目に戦ってください。死にたいんですか?」

 

「わかってます! わかってますけど……っ!?

 

 ゾンビが私の攻撃の隙間を縫って飛びかかってきた。でも大丈夫、私には魔法がある。どんなに怖くたって、魔法使いが私を助けてくれる。今は私が魔法使いなんだ。こんなの、ちっとも怖くない――――ダメだ。やっぱり私じゃ、何も出来ない。

 

「しっかりしてください!」

 

 アグニさんが私の前に割り込んできて、私の代わりにゾンビに抱きつかれながら、体ごと燃えて化け物を焼いてしまった。

 

 魔法だけじゃない。この人には勇気がある。私の持ってないものを、たくさん持っている。

 

 やっぱり私には、何にもできない。

 

「……ごめんなさい。私には無理です!!

 

 夢中になって逃げ出した。魔法なんて私に使える訳がない。

 

 空中を舞っていた剣が全部地面に落ちて、足止めを食らっていたゾンビ達が一気に私の方へなだれ込んでくる。アグニさんが必死に押し返そうとしてくれているけど、もう時間の問題だ。誰かの手が私の肩に乗った。背後を振り向くと――目玉が飛び出た人の顔があった。

 

 引き寄せられる。抵抗しても無駄だから、抵抗しない。

 

 化け物達が私を覗き込んでいる。彼らにとってひ弱な私は、都合のいい餌だ。

 

 やっぱり私には――篠崎春香には何の力もない。私一人じゃ、夢だって見られない。あまりにも弱いから、みんなが笑う。あまりにも情けないから、寄ってたかっていじめる。

 

 いつだってそう、今みたいに。

 

 すごい力で、悪い化け物達が色んな方向から私を引っ張る。

 

 耐えがたい痛みを紛らわせるように、貴重な楽しい思い出が私の頭の中を流れていく。

 

 中学時代、学校の代わりに図書館に通っていた頃。ある日一冊の本に出会った。

 

 綺麗な絵本だった。タイトルは、『マジョの不思議な冒険』とあった。絵本にしては中身がしっかりしていて、面白い本だった。初めて読んだのは確か、『嘘付きを石にする薬を作る話』。あまりに気に入ってしまって、次の日も同じ本を読んだ。そしたら本の中身がまるごと書き換わっていて驚いた。その日読んだ『群れからはぐれたドラゴンと一緒に悪い貴族を懲らしめる』話は、驚き過ぎたせいで強く印象に残っていて、今でも一言一句中身を暗唱できる。それからも足繁く図書館に通った。本と、本の主人公の女の子に想いを馳せた。

 

 ある日、本の方から話しかけられた。不思議な本だとは思っていたけど、まさか話しかけられるとは予想外でやっぱり驚いた。本は自分が主人公の女の子だと名乗った。名前はソフィアというらしく、なんて可愛い名前だろうだと思った。ソフィアちゃんと毎日話すようになって、悩み事も打ち明けるようになった。ある日学校に行けてないことを話した。クラスメートから受けた仕打ちの数々を打ち明けた。

 

 するとソフィアちゃんは言った。『私がいれば大丈夫』だと。私は本の言うことを信じて翌日、本を持って学校に行った。クラスメートは私を空気のように扱って、私は何もされなかった。とてもつまらなかったけれど、それでも少し前向きになれた。

 

 私はソフィアちゃんを図書館から持ち去って、肌身離さず持ち歩いた。人生で働いた悪事といえば、一冊の本を図書館から盗んだくらいだ。でも後悔はない、そのおかげで学校が楽しくなった。何か欲しいものがあれば何でも作り出してくれた。魔法の力に頼ってテストでも良い点を取った。お母さんに褒められるようになった。毎日が楽しくなった。

 

 でもある時、それは偽りだと気付いた。魔法で手に入れた幸せは、私の力で手に入れたものじゃない。私は、魔法から卒業しなければならなかった。

 

 するとソフィアちゃんは私に言った。『あなたの力で夢を叶える手助けをする』と。――その代わりに、ソフィアちゃんの願いも聞いて欲しいのだと。

 

 彼女は愛する人を助けたいのだと言った。私なんかに務まるはずがないと思って断ろうとしたけれど、彼女は『私を信じている』と言った。そんなことを言う人が初めて現れて、嬉しさよりも驚きが先だった。彼女には驚かされてばかりだった。私は首を縦に振った。

 

 彼女は私を信じてくれた。私も、自分の力で強くなれるつもりでいた。毎日勉強に励んだ。彼女の願いの一環で彼女に身体を貸す時は、彼女も私の勉強を代わりにやってくれた。私の夢を邪魔する人は、知らない内に彼女が退けていた。

 

 結局『魔法の本』に頼ってばかりだったけど、私は自分の力で未来を開けると信じた。

 

 彼女も同じように信じて、応援してくれた。

 

 私を信じているから、彼女はこの場を私に任せて愛する人を助けに行った。

 

 だけど私は逃げた。みっともなく、情けなく。ちっとも変われてなどいなかった。

 

 所詮私は、何にも持っていないんだ。

 

「よく持ちこたえてくれたね。――ありがとう、ハルカちゃん」

 

 少し年配の男性の声が聞こえると同時、視界が光で真っ白に埋め尽くされた。

 

 光に当たったゾンビ達は、瞬く間に消滅した。

 

 背後を振り向くと、そこには――ソフィアちゃんが週に一度会っている、公園のハゲおじさんがいた。ソフィアちゃんの愛する人だとは知っていたけど、いざ記憶から実物を確かめると、彼女の気持ちは全く理解できなかった。でも、今ならわかる。

 

 光るハゲ親父、かっこいい。

 

 例えるならそう――今度アニメの実写映画する平野紫耀君よりカッコいい。

 

 

 

『どこか遠くへ、一緒に逃げよう! ヒロキ!』

 

 数十年ぶりに会えたソフィアと昔話に花を咲かせることもせず、絶対絶命の状況について聞いた。ソフィアは俺を守るためにハルカという女の子に取り憑いていたこと。小学生な見た目は素のハルカちゃんだということ。実は新学期から高三だということ。今ソフィアが体を保っていられるのは一時的に魔力濃度が増えて辛うじてできているに過ぎないということ。おそらく俺を安全な所まで逃すと、力尽きて完全に存在が消滅してしまうということ。

 

 要約すると、俺はまた大事な人を二人も同時に失くそうとしているのだ。

 

 しかし絶望感はあまりなかった。その代わりに、どこから湧いてきたのか分からないが、底知れない力が湧いてくるような感覚がした。――頭皮が、激しく光り始めた。

 

 俺はまだやれるのかもしれない。

 

「ソフィア、逃げるために俺に取り憑いてくれ。そうすれば俺でも飛行術を使えるだろう?」

 

『構わないけど――逃げるんだよ? 変なこと考えてない?』

 

「あぁ、約束だ!」ソフィアが俺に取り憑いたのが分かった瞬間、全身から力が漲ってきた。そして数十年ぶりの飛行術を使った。行き先は、とてつもない魔力の流れを感じる方。

 

『やっぱり! ヒロキの嘘つき!』

 

「俺が一度でも約束を守ったことがあったか?」

 

『あ、なかったわー。なんで信じちゃったんだろ……』

 

「あぁ、俺は約束を守れない。――逃げると約束したら、必ずみんな助けてやる」

 

『もう! ヒロキのハゲ! ハゲハゲハゲハゲ!」

 

「せめて『ばか』とかにしてくんない!? ハゲてるのは分かってるから……」

 

『ふふっ、ヒロキのはーーげ。今、最高に輝いてるよ?』

 

「褒め言葉をどうもありがとう!?

 

 目標地点が見えてきた。なるほど、あれは厄介だ。ゾンビが大量発生している。ソフィア曰く、いくら攻撃しても発生源となっている魔法陣が見つからなかったそうだ。俺の推測では、多分俺が現れるのを犯人は待っている。――この頭皮の光で、ゾンビを浄化する瞬間を。

 

『大変ヒロキ! ハルカちゃんがゾンビに食べられちゃう!』

 

「任せろ。俺は『光の貴公子』だぜ?」

 

 数十年ぶりに魔法を使う。だが不思議と、失敗する気がしない。俺がゾンビを倒すのに、手も足も体も要らない。ぺこりとお辞儀して、頭皮の光を当てるだけでいい。技名は――

 

「シャイニング☆おじぎ!!

 

 頭を一際強く光らせながら一礼した。ゾンビ達は悶えながら消滅した。

 

 ゾンビの群れが消えると、中心部に少女が一人と、割烹着を着た若い女が残った。

 

『あの割烹着、アグニだよ』

 

「それは懐かしいな、あとで挨拶しないと」

 

 でも今は先に――勇気を持って修羅場を引き受けてくれた少女を労うべきだろう。

 

 どこをどう見ても小学生にしか見えない、小さな勇者を。

 

「よく持ちこたえてくれたね――ありがとう、ハルカちゃん」

 

「ヒロキ様ではないですか、懐かしい。ずいぶん輝きが増しましたね」

 

「のっけから皮肉ぶっこんでくんなよアグニ。変わんねえな」

 

「ヒロキ様は随分変わりましたね。頭皮とか財布の中身とか」

 

「うっせ」

 

 アグニと軽口を叩く間にも、脅威が近づいているのを肌で感じ取っていた。この感じはきっと、白髪の男だ。毛先がボロボロで絶対トリートメントしてないオタクっぽいあいつ。

 

 魔王を共に倒した時のかつての仲間で、裏切り者。メイザー。

 

「酷いね。久しぶりに会うのに随分な言いようじゃないか」

 

「そりゃ口悪くもなるだろ。裏切られて焼き殺されたんだからな」

 

「証拠もないのに、それは横暴だよヒロキ君」

 

「証拠はなくても動機は十分だろ。今だって、俺一人殺すために色々巻き込んだんだろ?」

 

「あぁ、申し訳なく思っているよ――今一思いに殺してあげるよ!」

 

 男が魔力を貯め始める。あいつの魔法発動準備は仲間内でも一番早かった。――だが、それを見越して先に準備していた俺の方が早い。さらばだ、メイザー。

 

「シャイニング☆おじぎレーザー!!

 

 頭皮の先端からレーザー光線を放った。凄まじいエネルギーの束が男の体を貫いた。

 

 使える魔力を全て注ぎ込んだ。もしやつが油断していなければ、俺が勝つ未来はあり得なかった。俺は、賭けに勝ったらしい。男は、完全に灰となって消え去った。

 

「自分の見せ場よりも釈を大事にする姿勢……!! 流石はヒロキ様ですしびれます」

 

「お前なんかに取り憑かれてね!? 無事に勝てて良かったじゃねえか」

 

『そうね……私の役目も、巻きで終わりになったみたい。さよなら、ヒロキ! あなたのことは忘れない!!

 

「えっ、ちょ、え??」戸惑う俺をよそに、ソフィアの気配はどんどん希薄になっていく。

 

『さよなら!!!』理由説明が不十分なまま、ソフィアは消えてしまった。

 

 五分も経たない内に起きた怒涛の展開に、俺はただその場に立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 あのすっきりしない別れ方をして一年。俺はただのハゲた公園おじさんに戻った。

 

 目撃される度に公園を替え、いくつも公園を転々として、ついに本州の端まで来た。

 

 現役時代を思い出しながら戦ったあの一戦以来、無理し過ぎたのか、とうとう頭は光らなくなった。光らなくなったなら、今度は『頭頂部に闇を発生させる』能力なんてどうだろう。カツラがわりにならないだろうか。

 

 ハルカちゃんは会いに来なくなった。

 

 当然のことだが、週に一度会ってくれていたのはソフィアだったらしく、ソフィアが消えてしまった今、俺に会いに来る人はいない。当然の話だ。

 

 今日も見事に咲いた公園の桜を肴に酒を……見て楽しむという意味ではなく、ガチでちぎって食べながら公園ウォーターを酒だと思ってひび割れたマグカップで楽しむのだ。

 

 んー、美味い。桜お代わりしよう。そろそろこの公園の桜がなくなってきたから、もっと大きな公園に移ろう。今度は、ゆっくり北上していくとしようか。目指せ北海道。

 

「さくらのはなって、おいしいの?」

 

 とても、懐かしい声だった。そして愛おしくて、切ない。夢中で俺は背後を振り向いた。

 

 いた。――小学生にしか見えない、ランドセルをした十八歳の女の子。

 

「ひさしぶりだね! おじさん!」