餃子の話

音呼

 

 朝市で手に入れたにんにくを携えて、砂利道をゆっくり進む。男の年は五十あまりの中肉中背、いや、大肉小背といったところだろうか。額を流れる汗を小さめのハンカチで拭きながらも足は止めない。昼下がりののどかな田舎町に似つかわしい風景だ。そしてそのハンカチが完全に水没する少し手前で、目当ての家に着いた。橙とクリーム色の小さめの家も、この地に似つかわしく思える。ただ、警察と立ち入り禁止のテープに囲まれてる点を除けば。

 

 男が近づいていくと警察官に緊張が走る。家の南側に位置する入り口に近づきテープの側まで歩み寄ると、その中の一人がさっとテープをあげた。重々しくうなづいて中へ入る男に敬礼する警察官。一人の新米らしい警察官の怪訝な顔に気づいた男は名刺を取り出した。

 

「失礼、私はこういった者です」

 

 警察官からの対応も無理はない、何故なら彼は。

 

「一介の、料理人です」

 

 一介の探偵だからである。

 

 

 

 ようこそ来てくださった、と藤、男は藤と名乗った、を歓迎した警部は、にんにくの説明を始める藤を制して語り出した。事件の発端は一ヶ月前、この家の主人が転落死したことだった。当初は事故死として片付けられるはずだったが、質素な生活とは裏腹に相当な資産家で、莫大な遺産がその息子に流れた。冷戦中の息子にだ。刑事の勘で捜査を始めたはいいものの、全く進展もなく、そろそろ打ち切られるらしい。

 

 得た情報は、主人は二つある花壇の内北側に落ちていたこと、真上にある、内側から施錠された主人の部屋から落ちただろうということ。大の字に落ちていたこと。死亡推定時刻の十四〜十六時に家にいたのは息子と主人の妻ということ。また、主人は手に遺言状の切れ端と自室の鍵を持っていた。花壇に打ちつけられ出血しており、頭と手に血が付着。ここまで一息で説明した警部が溜息をつくと、藤は冷蔵庫を慌てて閉めた。

 

「ええ、そうですね。警部さんは証言をまた聞きに行くのが良いと思いますよ」

 

 頓珍漢な返事にまた溜息をつきながらも、警部は素直に証言を聞きに行くことにした。

 

 

 

 息子の証言

 

 遺産の件は驚きましたし、まだ手をつけられてません。まさか、という気持ちです。耄碌していたし、勝手に落ちたのでしょう。あの日はずっと部屋で電話を使ってましたね。私も母さんも、仕事については何も聞いていません。というかここ何年かは喧嘩以外の会話はないですが。私はほぼ一日中書斎に篭っていました。もう良いですか、少し前に泥棒に入られて部屋が荒らされましてね、母さんとその片付けに追われてまして。では。

 

 

 

 妻の証言

 

 あの人は歳をとっていました、きっと外でも見ていて落ちたのです。それに、あの人は当日、朝からかかってきた電話の対応に追われていて、ずっと部屋に鍵を閉めていました。喋ってる事も聞こえなかったですし、話もしませんでしたね、それはあの日に限らずですが。最初に発見したのは私です、動転して袖に血が付いてしまいました。

 

 

 

 使用人の証言

 

 この家に人殺しなんていません、奥様も坊ちゃんも殺せやしません。あの日の朝坊ちゃんと旦那様は揉めてましたが、よくある事です。特にここ最近、旦那様は帰りも遅く……。あの件は奥様が通報した後知りまして、持病と相まってこうして病院のご厄介になっております。真っ白な花壇がどれだけ荒れてるか考えるだけで胃が……。

 

 

 

 聞き終わった後、藤は花壇を見に行った。いつになく行動力のある様子、と警部は感激したが、南の方の花壇にあるパセリの観察に忙しい藤の姿を見てひっそり肩を落とした。北の白色の花とは違う種類なのか、綺麗なピンクの花が咲いている。見上げると、花壇の真上には息子の部屋のバルコニーがある。花と雑草の間からは大きめの石がひとつ顔を覗かせていた。確かに少し荒れてしまっていた。

 

 

 

 

 

「あの方は何なのですか? 料理人と名乗ってましたが……?」

 

 痺れを切らした新米刑事が尋ねる。

 

「あの人はあれだ、所謂出張料理人兼協力者だ」

 

 出張料理人、つまり電話すれば来て料理をしてくれる。そんな仕事に就く藤だが、とある事件で事件を解決に導いた時から、料理の傍らで推理をしてくれる協力者となった。副菜と称して料金はかかるのだが。

 

「腕前は確かだ、料理の腕と共にな!」

 

 

 

「餃子です」

 

 夜、2人と刑事を呼んで餃子を提供した。得意げに新鮮なにんにくについて語りながら、皿に盛っていく。白い大皿に餃子を並べ、ラー油を豪快に垂らす。早速食べ始めた2人に説明を続ける。

 

「アクセントは勿論にんにくですが、実は隠し味がありましてね。南の花壇にあったイタリアンパセリを入れてみました」

 

 おえ、っと嗚咽を漏らす者がいた。

 

「嘘ですよ、お二人方。それでは副菜もどうぞ」

 

 ワインを注ぎながら藤は朗らかに笑った。

 

 

 

 まず、私は一度嘘をついた人間を信用しません。奥様は電話がかかってきていたと仰りましたが、なぜかけているのではないと言えるのでしょう? 現に息子様は電話を使っていた事しか知らない。かけていたのか、かかってきたのかは分からない。そこで、実は貴方はご主人と喋っていたと考えます。あの日、何を話していたか? 朝の息子さんとの口論の件か、それとも帰りの遅い理由でしょうか。いえ、数年ぶりにご主人が話すのなら、そうしなければならない事情があったと考えるのが妥当でしょう。例えば、そこで藤は水を一口飲んだ、例えばですが、揉み合うと手につきやすい朱肉を探していた、とか。

 

 

 

「藤さん、それはどういった意味で……」同意を求めるように周りを見渡す刑事だが、困惑してるのは彼だけであったようだ。

 

「……何を言うかと思えば、ただの想像では」

 

「いいえ、もう良いのです。この人は、もう全部分かっているのでしょう」

 

 息子の言葉を制した妻は箸を置いて藤に向き直った。

 

「いつかこうなるとは分かっていまし」

 

「奥様こそ、お静かにお願いします。豊満なにんにくの香りが出て行ってしまいます」

 

 ぴっと藤は立ち上がり、また口を開いた。

 

 ここに来てから、塩と砂糖を取り違えた料理の様に、違和感ばかりでした。鍵のかかった自室の下に、ご主人は横たわられていた。けれど、実際はそんなに単純な話ではありません。大の字に落ちたのに手にも血が付いたこと。鍵を持ったまま横たわっていたこと。息子様の部屋が荒らされていること。北の花壇の花はピンク色なこと。中に大きめの石があったこと。奥様がご主人との会話を隠したこと。息子様が隠したこと。そして、お二人がパセリに反応したこと。それぞれは小さなこと、つまり食材のようなものです。ですが全てを混ぜて、少しの想像力を注入したら、事件の流れの完成です。

 

 

 

 朝。ご主人と息子様の喧嘩が起きた。帰りの遅い理由か何かが原因で、ご主人は怒った。息子様は書斎に篭った。

 

 昼。奥様はご主人と話す。確証は無かったですが、先ほどの反応から、ご主人は朱肉を探していた。手に握っていた新しい遺言状を作るために。奥様は息子様の部屋にあるかもと告げてから理由を知り、きっと止めようとなさった。自室に鍵をかけてポケットに入れ、部屋を荒らして見つけた朱肉を取り合い、奥様とご主人の手に「赤色」が付いた。そして揉み合う内に、ご主人はうっかり足を滑らせて落ちる。流れ出す血が花壇に染み込み、真っ白な花が吸収してピンクに染まる。奥様は慌てたことでしょう。何を勘違いされるか分からない。そんな時に現れたのは息子様です。頭をレンガに打ち付けて、音が聞こえないはずがない。事態を見た息子様はご主人を北の花壇に移した。

 

「なるほど、それであの状況が出来上がる訳か……。でも何故移す必要があったんだ」

 

「……それは」

 

「餃子が冷めてしまいます、説明は私が。全ては使用人の方のためです」

 

 すぐに帰ってくる使用人が死体など見てしまってはどうなってしまうだろうか。疑念の残り得る死だと知ってしまっては。危惧した息子様はただの落下死に終わらせるために移したのでしょう。「墓石」として南の花壇に置かれた石がその証。また、パセリへの反応からも。体の弱い使用人の方に、疑いを持たせたく無かったのでしょう。単純に見えるこの事件に警察が動いた程、後ろ暗い噂のあるご主人の最期くらい、潔白な物にしたかったのでしょう。使用人の方を大事にして下さい、最後まで。

 

 

 

「餃子、美味しかったです。ありがとうございました」

 

 長く続いた沈黙を破るように妻が告げた

 

「それはどうも、ここへ来た甲斐があるというものです」

 

 会釈した藤は刑事を促して家から出た。最後まで何か言いたそうだった息子は、出て行くまでずっと頭を下げていた。

 

「……朱肉と言われて咄嗟に息子の部屋と答えたり、バルコニーまで揉み合ったり、朱の付いた手を血で汚したり、死体をすぐに運んだり、するものなんですね」

 

「何にせよ証拠は無いし、貴方の探している後ろ暗い件とは無関係です。餃子は中の肉は見えなくても、誰かを幸せにするための食べ物です。そうではありませんか?」

 分かりにくい例えに辟易しながら、刑事は片目を閉じた。