リ部!

タピオカ

 

 春。それは新たな物語が始まる季節である。始まりがあるのなら、その裏では終わりもきっとあるはずなのだが、今回それはおいておこうと思う。

 

 一般的に新たな物語の始まりには、他人に自分が何者であるのか示し交流を図るイベント、『自己紹介』があるのがお約束だ。

 

 だがこの自己紹介というイベント、一見簡単そうに見えるが、実際は中々に奥が深い。特に学生時代、それも入学直後の自己紹介などは、失敗が許される飲み会等の自己紹介とは比べものにならないほど重要なものだ。

 

 人の第一印象は五秒ほどで決まると言うが、それは外見に関することだけであって、内面の事は加味されていない。外見事情だけで構成された自分の印象を少しでも変えるためにはやはり少し詳しい自己紹介は必要な事だろう。

 

 終わり良ければ全て良しということわざがあるが、スタートダッシュで転けると「あっもう、何でもいいや……。どうせ俺はみんなの中でパンの耳のような、有っても無くてもいい存在だと思われたんだ……。サンドウィッチにはいらないように、きっとこれからのクラス活動でもハブかれるに違いないッ。グッバイ俺の青春。おいでヤマザキ春のパン祭り」と、終わりを良くしようとする気力さえ無くなってしまうものだ、知らんけど。

 

 つまり、自己紹介はこれからの学校生活を大きく左右する天下分け目の戦場なのである。

 

 さてここに、頭の中を若干の期待と、尽きることのない不安でいっぱいにした新入生がいる。名前を田中太郎といった。普通すぎて逆に珍しいまである名前に、中肉中背、イケメンともブサメンとも言えないモブ顔をした、平凡の権化とも言えるその少年は、何の因果か分からないが、変人の巣窟と言われる永田高校に入学することとなった。

 

 この永田高校、通称エイタ高校は丘の上に隔離、いや失礼、建設された長い歴史を持つ伝統校である。

 

 校則がメチャクチャ緩いその学校は、その自由さ故か、はたまた丘の上に位置するために発生する宇宙磁場の影響か、理由はよく分からないがとにかく奇人変人の類いが多いことでその名を天下に轟かせている。え? 悪名を轟かせているんじゃないかだって? 知らない事ですねぇ……。

 

 因みにこの永田高校は、兵庫県神戸市長田区池田谷町二丁目五番地に位置する長田高校とは全くの別物なのであしからず。

 

「(同中の男子誰もいないからなぁ。先輩も関わり合いなくて知らない人同然だし。誰か一人でもいたら心強いんだけど……)」

 

 おそらく同じ中学校から一緒に進学してきたであろう二人組が、咲き誇る桜を指さし笑い合っているのを尻目に、太郎はぼっちで、自身の置かれている状況を嘲笑しながら校門をくぐった。

 

「ねぇ君! ちょっと良いかな?」

 

「はい! 何でしょう?」

 

 太郎は即は即返答した。自分がまさか声を掛けられるなんて思ってはいなかったからだ。振り返ったところ制服を着ていなかったので、声の主は先輩のようである。金髪にピアスの明らかに陽キャであり、またイケメンだった。……イケメンだった。

 

 状況が掴めない太郎が戸惑っていると、すっごい笑顔で太郎の肩をつかんできた。

 

「君って一年生だよね。だよね? え? 違うの? まぁ、違うくてもどっちでもいいだけど。それで、さ、もう入る部活は決まった?」

 

「(あ、なんだ部活の勧誘かぁ……、はぁ……。まぁ、そんな所だと思ったけど、ね。泣きそうだけど。しかし、こうあからさまだと逆に気になるというか)」

 

 太郎は多分サッカーとか、そういうウェイ系の巣窟である体育会系部活だろうと当たりをつけて、「まだですけど……」と答えた。すると、

 

「ロリに興味ない?」

 

「ないです」

 

 この瞬間太郎は彼史上最高のスタートダッシュを切った。後ろから、「待って! このロリってそういう意味じゃないから!」と先輩の声がかかったが太郎には届かない。今、彼の脳内に渦巻くものは『絶望』の二文字だけだった。

 

 初対面の人から「ロリに興味ない?」なんて真顔で言われたら、それは只の事件でしかない。イケメンじゃなかったら普通に通報されているレベルだ。てか、俺の顔がロリコンみたいなのかなぁとか考えたりして走りながら泣きそうになった。

 

 太郎は登校初日から、変態に絡まれ、そして文字通りの逃避行(全速力)をしている、それは絶望以外の何物でもない。そして既に周りの同級生からは白い目で見られていることに気付いたら、太郎は自ら命を絶ってしまうかもしれない、そのレベルだ。

 

「はぁはぁはぁ……、もう、いないよな……」

 

 太郎は離れの階段下に身を隠し、一息ついた。

 

「それはフラグかい?」

 

「うわああああ! 何で? 何でここに変態ロリペド野郎がいるんですか!」

 

「おお、ひっどい言われようだなぁ。失敬な。僕はれっきとした誉れ高き紳士だよ。とはいえ変態ロリペド野郎ってすごく語感いいな、どっかで使お」

 

「……変態紳士」

 

「いや、英国紳士」

 

 聞く所によると実際彼はイギリス人とのハーフであり、その目を惹かれるような金髪も実は地毛であるらしい。

 

「さて、僕が紳士だと分かってもらったところで、僕がさっき言った『ロリ』って言葉をちゃんと説明させてもらおうじゃないか」

 

 いや、家柄だけで紳士判定は安直すぎる……、と思ったが面倒くさくなりそうなので黙っておくことにした。訝しげな視線を送っているにもかかわらず先輩はニヤリと笑い、

 

「君は、僕が所属するロリ部に入って、二次元を楽しむ気はあるかい?」

 

「やっぱりロリコンじゃないですか、帰ります」

 

 太郎はサッと踵を返し、クラス発表を見にいこうとした。が、

 

「ちょ、待てって。二次元ってのは座標平面のことなんだよ」

 

「は?」

 

 思わず素の反応が出てしまった。

 

「で、ロリって言うのは、『論理』を縮めた隠語なんだよ」

 

「は?」

 

 何故論理を隠語にする必要性があるんだ? てか何でそう縮めた? 聞きたいことが山ほど有ったが思考が全く追いつかない。更に先輩は続ける。

 

「ロリ部はね、座標平面を愛し、普遍的な論理に魅せられた者達が集まる知的な部活なんだ! どう? 君も二次元上(座標平面)でロリ達(数学的論理達)を愛でないか?」

 

 二次元でロリを愛さないかだってぇ?

 

「ごめんなさい名前とか諸々で無理です」

 

「ああ!」

 

 そして太郎はまた全速力で逃げ出した。先輩の悲痛そうな声がチャイムと共に消えた。

 

 どうでもいいけど太郎は四組になった。で、諸連絡等色々あって最後のLHRに突入、そう、それは自己紹介の時間である。最近は入学前の段階でSNS上を通じてもうグループが出来上がっているらしい。だからこそネットに疎くて、陰スタもツイッターもやってない太郎にはここが自分をアピールする最初で最後の場である。だが、先の先輩との絡み合のせいで、彼の心には大きな傷が刻み込まれている。体力も尽きてしまった。

 

「(よし、さっきのやつは悪夢だ。忘れよう。えっと、名前と、出身中学校と、好きな食べ物とか、当たりさわりのないものだけじゃだめなのかな。あんまりはっちゃけて変な人って思われたくないし……)」

 

 太郎は気合いを入れるために頬を叩いた。登校初日に廊下を爆走したあとなので時既に遅しであるが、知らぬが仏と言うヤツだ。

 

「じゃあ、出席番号が若いやつ……、蒼乃から言ってもらおうか」

 

 担任の朝凪が、出席簿で蒼乃というやつを指名した。出席番号が若い順となると順番的に太郎は十八番目ぐらいになるだろう。まぁ誰の記憶にも残らない中途半端な順番だ。

 

「はい! えっと、鳴海中から来ました蒼乃史郎です! 好きな食べ物は焼き肉で、」

 

 ほら、結構普通の自己紹介じゃないか。やっぱり変人なのはあの先輩だけ――、

 

「好きな振動反応はブリッグス・ラウシャー反応です!」

 

 何て? え、ブリッ、ブリ……何て? 太郎にはこれっぽっちも何を言ってるのか分からなかったが、周りのクラスメイト達は、「粋だねぇ!」「アレってめっちゃ綺麗だから好きな反応の一つなの」「ヨッ、色男!」「モテる男はやっぱり、ブリッグス推しだよな」などと、万雷の喝采を受けていた。

 

 お、俺がおかしいんだろうか、ブリ何とか反応を知らない俺が非常識なヤツなのか? 太郎は再び混沌の溝に片足を突っ込んでしまった。

 

「ベロウソフ・ジャボチンスキー反応から語り合える人とかいたら、どんどん話し書けてきて下さい! 一年間宜しくお願いします!」

 

 蒼乃の元気な声。教室に響く拍手。もう、太郎は思考を半分止めていた。文系の太郎は、こいつとは一生掛けても仲良く出来ない、そう確信した。

 

「お、分かりやすくて良い自己紹介だったじゃねえか。みんなこいつの自己紹介参考にするようにな」

 

 いや、全く分からなかったんだけど! 突っ込もうとしだが、朝凪先生はみじんもボケた感じではなく、素で言ったらしい。

 

「「「「はい!」」」」「……あ、うんはい」

 

 みんな返事元気だなぁ、ッてことは分かったんだねさっきの自己紹介。俺一人だけ置いてけぼりを食らってんだけど誰も気付いてくれないんだ。太郎はいじけ始めた。多分これだと練り消しを作り始めるに違いない。が、朝凪はそれに気付かず次を促す。次は女子生徒だった。

 

「下屋中学校からきました。今宮桜です。――そうですね、えっと、初対面の人にこんなこというのもアレなんですけど、私、正直さっきの自己紹介よく分かりませんでした」

 

 やっぱり! やっぱりそうだよな! 太郎は数秒でいじけるのをやめた。俺もわかんないんだよと心が叫び出したくなった。

 

「ベロウソフ・ジャボチンスキー反応はブリッグス・ラウシャー反応を起すためのいわば途中過程に過ぎません」

 

 ん? 流れ変わったな? どうした、何か聞き覚えのあるよく分からない単語を口にしたような? 今宮は続ける。

 

「本当にブリッグス・ラウシャー反応について語りたいのならば、ブレイ・リーブハウスキー反応を例にとって、時計反応を用いて説明するべきです!」

 

 そう言って今宮は蒼乃の机を叩いた。すると、蒼乃は少し怒ったのかちょっと強い口調で、

 

「いや、俺はさ、あくまでもブリッグス・ラウシャー反応に焦点を当てたいんだよ。もし時計反応から話すとしたら、その話題の方向性は非平衡熱力学にもって行かれるんだ。わかるだろ? でもそれは俺の語りたい反応じゃないんだ」

 

「いいえ、ブリッグス・ラウシャー反応と時計反応は切っても切り離せないですよ!」

 

 え? こいつら何で知的なケンカ始めてんの? てか、今宮って子、ブリ反応のことよく分からないっていってたじゃんか! ただの皮肉かよ!

 

「ちょっといいか」

 

 多分次の自己紹介に当たっている眼鏡の男子が二人に声を掛けた。知ってる。どうせこいつも、ブリ反応について語るんだろ。

 

「お前達二人とも的外れすぎだ。ブリッグス・ラウシャー反応の真髄は非平衡熱力学などでは無く、ヨウ素だろう?」

 

「何だとお前! それは聞き捨てならないぜ!」

 

 蒼乃がメガネ君の胸ぐらをつかんだ。椅子が机に当たって大きな音がした。メガネ君はそのつかまれた勢いでずれた眼鏡を得意げに中指で押し上げ、

 

「これで反応論者はすぐに暴力に訴える野蛮人だと証明された。知的じゃない。これだから熱力学は進歩しないんだよ」

 

 もう一回大きな音が聞こえた。殴ったのかな。もう何でもいいや。やっぱり何でもないや。今すぐ寝るよ。キャパシティを軽く超えたので太郎は寝た。

 

 目が覚めたのは、胸ぐらをつかまれたからだった。

 

「てめぇ、何寝てんだ!」

 

「ファッ? ど、どうぢたの?」

 

 目をこすってよく見ると教室が酷いことになっていた。窓ガラスが割れているとか、そういう類いの酷いじゃない。よく分からない数式や化学式が並んだルーズリーフが床に散乱していた。黒板も同じようになっていてもはや読めなくなっていた。太郎以外のクラスメイト全員が何かしらの議論を行っていて、血を流してるヤツもいる。謎。

 

「どうしたもこうしたもねえよ! ブリッグス・ラウシャー反応は生物学に応用できるかの是非をお前に聞いてんだよ!」

 

 蒼乃は凄まじい剣幕で問い詰めてきた。ええ化学じゃ飽き足らず生物学にも手を出したのかこいつらは。

 

「いや、まず血を流してるやつ保健室に連れていかなきゃだめだろ」

 

 太郎は正論を言った、つもりだった。

 

「知るか、俺たちは今、知で知を洗う議論を行っているんだ。流血を止めたとて、もはや無意味だ」

 

 おお何かカッコイイ……。太郎が感心していると「おい……」とまた蒼乃。心なしか胸ぐらをつかむ手が強くなっている。何か良い言いわけを考えなければ逃がしてはくれないだろう。こいつらの得意分野を出したらすぐに論破されてあの世行きだ。化学でも生物でもない、論理が必要だ。そうだ! 数学! でも俺数学苦手だしなぁ。数学っていえば座標平面? にじ、げんの論理? あれどっかで聞いた言葉だな。

 

 もうそろそろほんとに首が極まって息が出来なくなってきた。このままでは落ちる!

 

「あの、俺数学しか出来ないんだよ!」

 

 俺は必死に蒼乃に叫んだ。すると、蒼乃は手を少し緩めて

 

「別にそっちの分野からの見解も聞きたかったからな。ほら言ってみろ」

 

 大学数学なんて知るかよ! そう言ってやりたかったが、この知的ヤンキーは許してくれそうにもない。「おい、まさか言えねえってこたあないよなあ」耳元でドスの効いた声がした。あああもうどうにでもなれチクショー!

 

「ぉれは……、ない……」

 

「良く聞こえねえよ!」

 

 蒼乃の怒号。それに呼応して太郎の声も大きくなった。

 

「だからぁ、俺は二次元のロリだけしか使えないんだって!」

 

 座標平面に関する論理しか使えない、そういったつもりだった。が、寸前であの金髪変態先輩の顔が浮かんでしまった。そのせいかもしれない。いやきっとそうだ。

 

 空気が固まった。凍り付いたと言うべきか。そして、

 

「「「「きっしょ……」」」」

 

「今世紀最大のブーメラン!」

 変態ロリペド野郎の称号を手にして、後に引けなくなった田中太郎はロリ部に入りましたとさ。続く。