餞別

布団

 

 素早くボールに駆け寄って、私はラケットを構えた。ボールが思った通りのちょうどいい位置に来る。これは、いける。そう確信して思いっきり、いつも通りにラケットを振りぬく。そうすると、白くてぷにぷにしたボールが物凄いスピードで反対側のコートの一番角のあたりに叩きつけられた。

 

 私はテニスが好きだ。ボールと敵以外に何も見えなくなる、あのゾーンに入ったような感覚。思い通りに最高の球を打てたときの快感。部活のみんなは練習より試合が好きだというけれど、私はどちらも同じくらい好きだ。ただただボールを打つのが楽しいと思った。

 

 

 

 

 

 部活に入ってから二度目の夏の終わり。もうすぐ私たちがメインの新人戦がやってくる。しかし、私はさして緊張していなかった。私はただ相手とボールの打ち合いをしているのが楽しいだけで、勝ち負けなどどうでも良いと思っていた。

 

 そうして迎えた新人戦は、成功を収めた。三条中学テニス部で唯一、私たちペアが県大会へ出場することになった。通りかかる先生に褒められた。普段は厳しい顧問の先生も嬉しそうにしていた。部活のメンバーも応援してくれていた。

 

 

 

 けれど、その頃から少しずつ、おかしくなっていった。

 

 

 

 

 

 テニスが上達しなくなっていた。いわゆるスランプだ。一番手の座は譲りはしなかったが、明らかに上達速度が遅々としたものになっていた。コーチや顧問の期待のせいだろうか。それとも、県大会で見た強者たちから何か影響を受けたのだろうか。明確な理由は分からない。けれど私は、明らかに勝利に拘るようになった。ただボールを打つのが好きだったあの頃の私は隅へ追いやられ、勝利に拘る私が、私に成り代わった。けれど、拘れば拘るほど勝てなくなった。ボールを打つことにプレッシャーを感じるようになった。試合の日の朝は起きたくなかった。雨で試合が無くなることを祈った。どこまでも真っ青な空を見て、思わず舌打ちをした。

 

 ただ、相変わらず練習は好きだった。練習には「勝利」がない。ただただ、打つ楽しさを味わえた。練習の日の青空は、眩しい。

 

 

 

 

 

 けれど、おかしくなったことはそれだけではなかった。私に話しかける人が少なくなった。いつも一緒に帰っていた部活の友達は、いつもと違う帰り道を通るようになった。二列に並ぶとき、私の隣には誰も並ばなくなった。後ろにいる人は詰めなかった。

 

 ある日の部活の帰り道、みんなは私を置いてけぼりにするように走って先に帰った。私は走って追いかけた。一人が怖かった。みんなに「一人ぼっち」と嗤われたくなかった。やっと彼女たちは諦めたのか、走るのを辞めた。少しして追いついた私に、彼女たちは冷ややかな悪意を含んだ声で「なんで来たの」と言った。その言葉は鋭い刃物のように、私の胸を冷ややかに貫いた。冷たい十二月の中を呆然と歩き続けた。あの十二月の温度は、今でも覚えている。肌を刺すような冷たい空気が、私を攻撃しているようだった。曇り空が無表情に私を見下ろしている。周りが全員敵に見えた。顔も知らない下級生も、通りすがりの地域の人も、みんなが私を嗤っているように感じた。視線が、笑い声が、その一つ一つが私を刺した。

 

 いつの間にか、家にたどり着いていた。家に帰って温かいシャワーを浴び、着替え、布団に包まった。けれど、暖かな布団とは対照的に私の心は冷たかった。心臓から血が流れているのを感じた。血は止まる気配を見せない。鼓動の度にずきずきと痛みが広が全身に広がってゆく。耐え難い痛みに耐えるように、私はぎゅっと丸く縮こまった。けれど消えない。消えてくれない。消えてよ。感じたくない。だれか、助けて。

 

 

 

 

 

 誰も助けてくれないことくらい、分かっていた。助けてくれるのは雨くらいだ。私は一人でいることにした。帰り道は一人。並ぶときは最後尾。用事があるときだけ手短に、感情を殺して話す。始めはみんな、私を「一人ぼっち」として嘲った。やがてそれは、いとも簡単に誹謗中傷の嵐に変わった。ネットの掲示板より温度のあるグロテスクな誹謗中傷だ。けれど、私は感じないふりをした。心の悲鳴に耳を閉ざした。閉ざし続けた。誰もこの場所から引き揚げてくれないなら、もう一人で耐えるしかない。

 

 部活にはかろうじて行っていた。休めないという強迫観念。先生やコーチからの期待。親に相談したけれど、辞めるなと言われた。ここで辞めたら絶対後悔する。もうちょっと頑張れ。その言葉が私にどれだけの重圧をかけていたかを知らないで。その言葉がどれだけ深く私の心臓を刺していたことを知らないで。

 

 毎朝ラケットを担ぐのが苦痛だった。テニスシューズを履くのが、放課後が、コートに降りるのが苦痛だった。心臓をぎゅっと掴まれるような気がした。足に鉛でもついているような気さえしてきた。あれだけ好きだった練習も嫌いになった。部活も、テニスも嫌だった。私は亡霊のようにボールを打ち続けた。もう自分が痛いのか痛くないのかも分からなくなった。ただ一つ、抜けるような青い空はどこまでも憎かった。

 

 

 

 

 

 やがて夏が来た。三度目の、最後の夏だ。

 

 もうすぐ最後の大会がやってくる。これで全てが終わる。そう思うと、ひどく清々しい気持ちになった。悲しい、寂しいといった類の感情は、心の隅々まで探しても見当たらなかった。

 

 私たちペアは市内大会を勝ち抜き、地区大会へと進んだ。これを勝ち抜けたら、新人戦と同じように県大会へと進める。だが、私は勝たなければいけない、というプレッシャーは感じていなかった。本音を言うと、少し諦めていた節もある。あの新人戦以来、私の成長は遅々たるものになり、結局ここまでぐんと成長することはなかったのだ。しかし、最後だけでももう一度、テニスを楽しみたかったという気持ちもあった。

 

 そして、迎えた第一試合。相手は前回の地区大会の優勝者という猛者だった。勝利は絶望的だった。だけれど、それは幸運な事だった。勝利のしがらみを完全に忘れ去ることが出来たから。

 

 私は、あの頃みたいにひたすらボールを追いかけた。素早くボールに駆け寄って、ラケットを構えた。ボールが思った通りのちょうどいい位置に来る。これは、いける。そう確信して思いっきり、いつも通りにラケットを振りぬく。そうすると、白くてぷにぷにしたボールが物凄いスピードで反対側のコートの一番角のあたりに叩きつけられた。最高のボールだ。相手は絶対に取れないだろう、そう確信したが、その確信は清々しいほどにあっさりと打ち砕かれた。相手は執念で私のボールを打ち返した。その瞬間、私はまだ負けてもいないのに敗北を味わった。けれどもそれは、心地の良い敗北だった。最高のボールを打てたことも、それを相手に返されたことも。まるであの頃のように、純粋に無邪気にテニスが楽しかった。

 

 

 

 

 

 試合の結果は、私の敗北だった。私は引退した。もう部活に行かなくて良いと思うと、あれだけ憎かった青空がまた眩しく見えた。テニスも燃え尽きた気がした。最後の試合で自分の全てを出せた。もう何も、思い残すことはなかった。

 

 

 

 

 

 引退してから、一度、部活にOBとして顔を出そうと思ったことがあった。いい加減見飽きた練習着を着て、ごついテニスシューズを履いて、私のかつての相棒であるラケットを担いだ。そうして、外へ一歩足を踏み出したとき。さっきは少し楽しみにしていたはずだったのに、行きたくない、と思ってしまった。引退して気は楽になったはずだ。勝利への執着も、期待も、重圧も、全てあの瞬間に捨て去ったはずだった。同期の部活メンバーは今日はいない。みんなのことは何も気にしなくていいはずだった。あの瞬間に、引退試合のゲームセットが告げられた瞬間に、全ては終わったはずだ。なのに、行きたくなかった。

 

 心臓がぎゅっと掴まれた感じがして、逃げ出したいくらい苦しかった。憂鬱が私にまとわりついて離れない。それでも、行かなくてもいいはずなのに、行かなければならない重圧が私の意に反して足を進めさせ、ついに、玄関の外に出てドアを閉めるまでに至った。閉まる間際に母が「いってらっしゃい」と笑顔で見送ってくれた。けれど、私は笑えなかった。

 

 

 

 

 

 結局、私はテニスを楽しむことが出来ないままだった。それができたのは、あの最後の試合の一回きりだった。あれは多分、神様が寄越した餞別だったのだろう。私の心は既にどうしようもないほどまでに壊れてしまっていた。それなのにテニスを楽しめて、その上燃え尽きることもできたのだから、最後に餞別を貰えただけでも十分なのだ。私は良い最後を迎えることが出来たのだ。

 

 けれど、テニスのことを考えるとどうしても胸がつかえた。あれだけ好きだったのに、なぜ楽しめなくなってしまったのだろうか。なぜこんな事になってしまったのだろうか。

 

 けれど、怖かった。

 

 

 

 

 

 私はテニスをやめた。