小麦粉
喜怒哀楽、この中で最も俺が感じないのは悲哀だ。悲しいと感じる前にいつも怒りがやってくる。怒りの後に悲しみが訪れるというのが定説だそうだが、俺の場合は怒りが全て持っていってしまうようだ。
今だってほら、スーパーに来たのだが、お目当ての知育菓子「まぜまぜまぜて ソーダ味」が見つからなくてイライラしている。どうして「解決! ゴロリ」とかいうキャラクターとのコラボ商品はあるのに、通常版のソーダ味は並んでいないのか。俺はキラキラのキツネシールやら、付属特製チョコソースなんていらないのだ。挙句、通常商品より六十円も高いときた。使用代とかいうやつか? ふん、どうせ製造会社の営業部だか企画部だかは、「人気キャラとコラボしたら売上も伸びるはず!」などと皮算用しているに違いない。あいにく、俺はそんな術中にはまったりなどしない。
駄菓子コーナーにしゃがみ込み、必死で棚の一番下をのぞき込む男子高校生の姿はさぞかし異様なものであったのだろう。先ほどまで駄々をこねていたわがままな子供たちもすっかりいなくなっていた。自分が明らかに対象年齢を超えていることをまるっと無視した愚痴の嵐も収まった。そしてスクッと立ち上がる。かごには「解決! ゴロリのまぜまぜまぜて」が入っていた。
最近、某知育菓子以外にも熱中するものがある。そう、とある少女だ。俗っぽいあなたは「ふふん、恋ね」などと思われただろう、不正解。あ、彼女だ。少し先を足早に歩く少女に駆け寄る。
「おはよう、オノデラ!」
俺は元気よく声をかける。
「……うん」
オノデラはこっちをちらりとも見ない。
「昨晩はすごい雨だったよな。バス停から家まで五十メートルくらいなんだけどさぁ、パンツまでずぶ濡れ。そういや数学の宿題できた? あれさ、先生、存在しない問題を指定してたよね。もう最高! いやぁこんな日もあるんだなぁ」
最高の笑顔を彼女に向ける。彼女はそんな俺を横目で一瞥して、冷たく言い放つ。
「それ、問題番号じゃなくてページ番号」
「え、それはまずい」
一瞬で俺の笑顔は剥がれ落ち、スンと無表情になった。
「どうしよう?」
「どうしようもない。ていうか何で気づかないの? 普通習った範囲と照らし合わせて気づくよね。ほんっと楽天的っていうか、自分にとって都合のいい捉え方しかできない奴ね。朝から気分悪くなりそう」
「でも構ってくれるってことは、機嫌悪くないんじゃね?」
「……もう構わない」
オノデラはスタスタと歩いて行ってしまった。
ねちっこい数学教師にこってり絞られトボトボ歩く俺は、ササキに出会った。
「ササキぃ! めーーーっちゃ先生の説教長かったんだけれど」
「もぅ、自業自得でしょ! 他クラスにも広めておいてあげたから」
にんまり笑うササキ。オノデラとササキ、自分とその他三名は、今度の文化発表会で同じ班になっている。準備のために放課後に残ったりと、徐々に仲良くなってきている。
「俺のことを気にかけてくれるなんて嬉しいなぁ」
「そのポジティブシンキングと強靭なメンタルってどこに売ってるの? 今、心理的に二百歩下がったわぁ」
そう言って彼女は物理的にも二、三歩下がる。そう、これが正しい俺と他人との関わり方。くだらないことを言っては、しょうがないなといった風に受け入れてもらえる、いじられキャラというやつだ。だから、オノデラみたいに冷たく接してくる人は今までいなかった。彼女とも仲良くなってみたい、話してみたい。でも、どうしたらいいのか。
その後も文発に向けての準備は着々と進んでいった。オノデラは相変わらず俺を冷遇した。話しかけようとしたらそっぽを向く、挨拶したら下を向く、帰りに会ったら走り去る。そして俺はある結論に達した、いや認めざるを得なくなった。オノデラは俺のことを拒絶している。
文発が終わった。最後の荷物を倉庫に運び込む。
「終わったね」
「ぅん」
俺は心底驚いて間抜けな返事をした。まさかオノデラから声をかけてくるとは。きっと明日はインフルエンザが大流行して、学校閉鎖だろう。うん、明日提出のワークはやらなくていい。こっそり彼女を窺うとうっすらと口に微笑みさえ浮かべていた。あぁ、そうか。明日からはいつも通り。もう俺と一緒に作業する必要もない。彼女はそれを喜んでいるのだ。
――彼はぱったり話しかけてこなくなった。やっぱり作業を円滑に進めるためだか、単なる気まぐれだったのだ。だから信用しなくて、仲良くしなくて正解なのだ――。
俺はまたスーパーに来ている。さぁ、今日は「まぜまぜまぜて ソーダ味」をやけ食いしよう。駄菓子コーナーにたどり着き棚をのぞき込むと、そこに整列するのは「ネイル使いマニキュアのまぜまぜまぜて」!
怒りが去った後に残ったのは、かごいっぱいの知育菓子だった。
〈悲哀〉