ヒース
「月宮!」
背中に仔犬のような声が聞こえた。しかし私は、無視して歩き続ける。
「月宮。次芸術、移動教室でしょ? 一緒に行こう!」
鬱陶しくなった私は、仕方なく振り返る。すると、先ほどの声の主、朝日奈明が嬉しそうに駆け寄ってきた。私は口を開こうとしたが、それは叶わなかった。
「あーきくん! 探したんだよ?」
そう朝日奈に話しかける声に、思わずビクついてしまう私。神崎さんの声だ。神崎未来は、私の中学からの同級生。学年でも目立つ美人である。
「神崎さん、どうしたの?」
私とは対照的に、朝日奈は笑顔で対応している。
「明くんと一緒に行きたいなぁ、と思って……。いい?」
神崎さんが甘えた声を出す。私はそれを聞いて逃げ出そうとしたが、いつの間にか朝日奈に腕を掴まれていて、叶わなかった。
「俺、月宮と行くから。ごめんな」
朝日奈が言う。神崎さんの方を盗み見ると、目があってしまった。神崎さんは私を睨みつけ、口をはくはくと動かした。
「か、げ、こ」
私は思わず目を瞑る。陰子、私のあだ名。目立たない、取り柄もない、言いたいことも言えない、そんな私にぴったりなあだ名だ。本当の名前よりも、ずっと似合っている。
「月宮、いこう」
朝日奈が少し強引に私の腕を引いて歩き出した。珍しく何も喋らない朝日奈。私はゆっくりと口を開く。
「朝日奈、くんは、なんで私なんかに優しくしてくれるの?」
朝日奈が振り返ると、見たこともない真剣な表情があった。
「月宮が好きだからだよ。月宮と付き合いたいから、アプローチ」
信じられない。私なんかのことを好きだなんてありえない。でも、朝日奈が嘘をつくのだろうか。まっすぐで、優しくて、何度も私を救ってくれた朝日奈が。
「ねぇ、信じてよ」
朝日奈の顔が近づいてきて、思わず顔を逸らした。熱が顔に集まる。私は朝日奈が好きなんだ。これは少し前から気がついていた。でも、私と一緒にいると朝日奈まで悪く思われるから、自分の気持ちに蓋をしていた。朝日奈のためにも、私と朝日奈は一緒にいてはいけないのだ。
「私と朝日奈くんじゃ釣り合わないよ」
私は震える声で言う。
「そんなことない!」
大きな声に思わず朝日奈の顔を見る。そして朝日奈は、私の目を真っ直ぐに見つめ、言葉を紡ぐ。
「月宮は綺麗に輝ける。月宮が月なら、俺が太陽になって、月宮を輝かせるから。月宮の光を、俺に見せて欲しい」
そう言う朝日奈の瞳を見た瞬間、私を縛っていたものは全て解けた。私は結局、朝日奈を信じることが不安だったんだ。誰かを信じて傷つくのが怖かったんだ。でも、彼の強い光は私の心を照らし、不安を取り除いてくれた。不安で前に進めなかった私の背中を押してくれた。
「ごめん、私も好き」
私は朝日奈の手を握り、笑った。すると、朝日奈は少し驚いたような、嬉しそうな顔をした。
「……見せてくれた。月宮の光」
そう言う朝日奈に、私は少し恥ずかしくなった。でも、朝日奈という太陽に照らされて、私、月宮光は、名前通りに光を放つことができたようだ。
〈不安〉