マーメイド

 

安堂なつ

 

まばゆい朝日の中、レンが船から降り立った小さな島は、いその香りと活気にあふれた、色鮮やかな島だった。レンは島を見てちょっとほほえんだ。一目で、ここが気に入ったからだ。

 

 レンは、今年十六。船長に拾われて以来、彼とともに、船で旅している。

 

 レンが、この島の人家から離れた沖で出会ったのは、美しい黄金の髪に愛らしい顔をした人魚の少女、アリアだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

「それでね、船長ったら、忘れ物が多いんだよ。この前、船長がめがねを忘れたって大騒ぎしてね、俺たち大慌てで逆戻りしようとしたら、そのめがね、なんと船長の頭の上にのってたんだよ。」

 

 レンの話を聞いて、アリアは思わず、声をあげて笑った。彼女が笑うと、海も笑うようだった。

 

「でも、船のあつかいと、人を思いやるのが、船長は誰よりもうまいんだ。憧れの人だよ。――――それに俺を拾ってくれた。」

 

 レンが船旅の話をするお返しに、アリアが美しい声で歌ううちに、年の近い二人は、すっかりうちとけ、沖で一緒に話すことが多くなった。

 

 アリアは、レンが楽しそうに話す船旅に心躍らせた。世界は私が思っているよりもずっと広くて、まだまだ知らないことに満ちあふれているんだ。まだ見知らぬ町へ行ってみたい。咲き乱れる花々を見に行きたい。人のように自由な、自分自身の足で!

 

 レンは、それが、「コウキシン」だと教えてくれた。

 

「好奇心と夢を持つことは、少し似ている気がする。好奇心に必要なのは、元気な心と、ちょっとの勇気、あとは努力。たったそれだけ!」

 

 二人は目を合わせて笑った。 

 

 レンは、アリアの歌声が好きで、澄んでいて、どこまでも届く歌声だとほめた。

 

 それに、人魚をみても、さほど驚かなかった。幼い頃、海で女人に助けられ、女人にヒレがあるのを見た気がしてから、人魚はいると、信じていたからだ。

 

 楽しい時は、あっという間にすぎ、やがて別れの時が来た。レンの乗る船が出発する。レンが沖に来られる最後の日だった。

 

 二人はお互いに別れを告げ、レンはアリアへ鏡を贈った。出発は三日後だった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

アリアは、緑色の液体を見つめた。これを飲めば、足が手に入る。――――外の世界を歩きたい。でも、たまらなく不安だった。コウキシンに必要なのは、元気な心と、努力、それから、

 

「ちょっとの勇気……。」

 

合言葉のようにアリアはつぶやいた。と、その時、水晶のように輝く、レンの贈り物が目に入った。

 

 海に住む人魚は、それがどんなものか知らなかったが、レンが、それはカガミだと、教えてくれた。輝くそれをのぞき込んだ瞬間、アリアの目は驚きに見開き、顔もぱっと輝いた。それを見ると、ふつふつと勇気が湧いてきた。そして、ついに液を飲みほした。

 

 それは、彼女の祖母の末の妹が使った薬の残りを、祖母から母へ、母からアリアへと、受け継いだものだった。

 

 

 

 * * *

 

 

 

 少女が目を覚ますと、ヒレが足にかわっていた。それに、あたりが薄暗い。明け方だ。何日も気を失っていたのだ。アリアは船の方へいそいだ。

 

 痛む足で、無我夢中でたどり着いた港――――そこで目にしたのは、すでに出発した船だった。

 

 船に向かってどんなに大声で叫んでも、声は届かなかった。涙が、ぼろぼろこぼれてきた。

 

と、その時、またカガミが目に飛び込んできた。カガミの中に母さんが見える。亡き母にほほえみかけると、大好きな母さんも、優しくほほえみ返してくれる。勇気が、ふつふつと湧いてきた。耳の奥に、どこまでも届く歌声だというレンの声が蘇ってきた。

 

 アリアは歌いはじめた。

 

 レンは、アリアの歌声が聞こえた気がして、はっと港を振り返ると、やはり、アリアがいる。その表情から、幼さが抜け、ずいぶん大人びて見える、と思った刹那、彼女と昔、自分を助けてくれた人魚が、重なって見えた。二人は瓜二つだった。あの時の人魚は、多分、彼女の母だったのだ。

 

 アリアが来てくれた。嬉しかった。その時の彼女は、今までで一番美しかった。でも、間に合わなかった。船が出てしまった。もう港へは戻れない。そう思うと、つらくてたまらなかった。

 

 その時、甲板で望遠鏡を使っていた船長の大声が、響き渡った。

 

「あー! 忘れ物した。」

〈好奇心〉