才色兼備な彼女

 

 才色兼備。優れた才能と美しい容姿を両方もつ女性のこと。僕にとって、園崎玲子はこの言葉そのものだった。同じクラスの彼女は僕の想い人である。彼女はその見た目の美しさで、女子達から憧れの目で見られている。長く整えられた黒髪も、ピンと伸びた背筋も、白くて細い綺麗な指も、その全てが彼女の美しさを際立てていた。その上、成績は学年トップ層。さらに、幼い頃から続けているというピアノは全国クラスと言うのだから、もう誰も敵わない。もちろん、そんな彼女に密かに惹かれている者は少なくない。しかし、彼女に告白するという者は、僕の知る限りまだ現れていなかった。いわゆる高嶺の花子さんだ。もっとも、彼女は僕の好きなバンドの曲のように、笑いかけてくれたりはしないが。

 

「あっ、園崎さんがきたよ」

 

 女子の声が聞こえる。僕は電子辞書をとじて、ヘッドフォンを装着した。視界の端に映る彼女が近づいてきて、僕の隣に座る。やがて彼女の周りに女子が集まってきた。彼女の髪を触ったりして何か言っている。僕は気にもしていないかのように、大音量の音楽を聴き続けた。

 

 やがてチャイムが生徒を散らす。前へ向き直した彼女と触れそうになる肘。涼しい顔をした彼女をみて、僕は泣きそうな気持ちになる。先生が教室に入ってきて授業が始まる。数学担当のおじいちゃん先生の授業はこの上なく眠たい。ボソボソと発せられる数式はまるで子守唄だ。ふと彼女の方を盗み見ると、真剣に授業を聞いている。その美しい横顔は僕の眠気を吹き飛ばした。

 

 その後も座学の授業が続いたが、今日はいつもよりも頭に入ってくる。しかし、四限は僕の苦手な体育だ。しかも今日からバレーボール。サッカーやバスケなら僕にボールは回ってこないが、バレーボールはそうはいかない。僕は憂鬱な気分でジャージに着替える。

 

「女子はテニスだって」

 

「テニスコートならグラウンドから見えるじゃん!」

 

 などという男子AとBの会話が聞こえた。女子はテニスか、と考えると、彼女がテニスをする姿が思い浮かんだ。

 

「園崎さん、綺麗だろうなぁ」

 

 男子Bが付け足す。僕は心の中で大きく賛同した。

 

 授業が始まると、先ほどまでの心配は無用だったと実感した。今僕はグラウンドの端で体育座りをしている。いわゆる補欠だ。しかしラッキーなことに、その位置からはまっすぐにテニスコートが見える。今は丁度彼女がプレイしている。綺麗な黒髪をポニーテールにしていて、いつもは見えないうなじに男心をくすぐられた。女子も遠巻きに彼女を見て、何やら楽しげに話している。彼女が走ると、髪が秋の涼しい風にゆれる。ボールを打つと、白い肌から汗が飛ぶ。思わず惹きつけられると同時に、少しびっくりしていた。

 

「園崎さん、やっぱりテニス上手いよな」

 

 僕の隣に座る山田が言う。山田は僕が唯一話せるクラスメイトだ。彼も補欠である。

 

「やっぱりって?」

 

 山田の言葉に引っかかる部分があって、僕は食い気味にきいた。

 

「園崎さん、中学はテニス部だったんだよ。すごく強くて、一年にして部活内敵なしだったんだ。途中で辞めたんだけど、勿体無いよね」

 

 そこまで言って、選手交代で山田が出て行ってしまった。山田が言ったことをもう一度思い出す。テニスは彼女に良く似合うな、と彼女の方を再び見て思った。そして僕は、運動神経まで良かったのか、と溜息をつきたい気分になった。

 

 そのまま僕はコートに出ることがなく授業が終わった。着替えようとジャージを脱ぐと、急に半袖になって寒い。すぐに制服を着ると、いつもよりもしっかりと整えた。

 

 着替え終わって教室に帰ると、僕はすぐに弁当を開く。昼食の時間はいつも一人なのだ。隣では園崎さんが弁当を食べている。僕はいつも通り素早く弁当をかき込むと、机に伏せた。寝るわけではないが、その方が周りの目を気にせずに済むからいいのだ。しかし、いつもならここで耳をシャットダウンするが、今日は耳を澄ます。彼女が弁当を片付ける音がすると、僕は顔を上げ、彼女の方を見た。その勢いに、彼女がこちらを向く。

 

「今日の放課後、五時。この教室で待ってます」

 

 小さな声で僕が言うと、彼女はそっぽを向いてしまった。僕はその場に居づらくなり、山田に声をかけ教室を出た。

 

 廊下の端まで行くと、僕は呟いた。

 

「今日、言うんだ」

 

 すると、山田が少し驚いた顔をした。言葉の意味を察したのだろう。

 

「本当、凄いよ」

 

 山田はそう言ったが、僕は静かに首を振った。

 

 予鈴がなり、教室に戻る。彼女と確かに目が合ったのだが、すぐに逸らされてしまった。だからなんだとは思うが、午後の授業ははっきり言って頭に入ってこなかった。

 

 放課後の教室。グラウンドから聞こえる部活動の声を聞きながら、僕はあの日のことを思い出していた。

 

 

 

 あれは一年と少し前、高校の入学式の日。新入生代表として挨拶する彼女を一目見て、僕は単純に綺麗な人だなと思った。凛とした声、周りを寄せつけない圧倒的美人。一方僕は地味で根暗。この性格は容姿に対するコンプレックスからくるものである。そんな僕とは一生交わらない人種なのだと察した。しかし、その日のうちにその予想は覆される。やたら長いホームルームが終わり、部活動見学の時間。僕は部活など入る気は無かったので、そのまま帰ろうとしていた。すると正門近くでうろたえる一人の女生徒を見つけた。それは園崎玲子だった。僕は一瞬足が止まったが、無視して通り過ぎようとした。

 

「あの、すみません……」

 

 蚊の鳴くような声。壇上で発していたそれとは似ても似つかない。僕は立ち止まって、「何?」と短く応えた。

 

「帰り道がわからなくて。駅まで一緒に帰りませんか……?」

 

 少しの間の後、僕が振り向くと、彼女は安心したように笑った。その瞬間、僕の脳に直接何かが響いた。

 

 駅までの道中、朝はお母さんと一緒だったから、などと言い訳をしていたっけ。途中まで来て、ここは覚えている、と言って進もうとした方向は真逆だったから、方向音痴は確定だと言ってやった。家まで時間がかかるからと、コンビニでアイスを買って二人で食べた。彼女がバニラアイスを食べて見せた笑顔は、鮮明に覚えている。その数分が僕にとって忘れられない時間なのは確かだった。

 

 

 

 古い扉が開く大きな音で、僕は今に戻ってきた。目の前に園崎玲子が現れる。

 

「何の用?」

 

 冷たく放たれた声。そんな事は関係ない。僕は簡潔に、真っ直ぐに想いを言葉にする。

 

「あの日から、入学式の日からずっと、あなたの事が好きでした」

 

 彼女を見る。眉がピクリと動いた。皆は彼女のことを表情が無いと言う。高飛車で近寄りがたいという。だが、同じクラスになって、それは違うと気づいた。彼女には感情が動いた時に眉が動く癖がある。嬉しいとき、楽しいとき、先生がギャグを言ったとき、そして、傷ついたとき。彼女を妬む女子から浴びせられる嫌味、暴力。低レベルだ、などと返す彼女は、確かに傷ついた表情をしていた。彼女は僕と同じ、弱い人間なんだと思った。必死に強がって、壁を作って、自分を守っているんだ、と。そして僕は、そんな彼女を守りたいと思った。僕の力など到底及ばなくても、ただ側にいたいと思った。それにどれだけ救われるかは、僕自身もよく知っているから。

 

「はい……」

 

 ゆっくりと確かめるように彼女の薄い唇が動く。その整った顔はくしゃりと崩れ、目からは涙が零れた。これまでに見たどんな表情よりも綺麗だった。彼女に憧れている男供は、彼女の上辺しか見ていない。美しく、しかしそのせいで女子から妬まれ、男子も寄り付かない彼女しか。どうせ振られるなどと言って、嫌われ者の彼女と付き合おうとはしない。その程度の気持ちなのだ。でも僕は、自分でも驚くほどあっさりと告白の決意は固まった。彼女が好きだ、僕が彼女のそばに居たい。それだけだった。あの笑顔が、一瞬みえた本当の彼女が、僕の心を掴んで離さなかったから。才色兼備は魅力の一つに過ぎない。それ以外の何かが僕を惹きつけたのだ。

 

 二人で学校を出て、並んで歩く駅までの道。あの日を思い出す。あの日よりも確かに近づいているのに、触れそうな位置にある僕の左手は、まだ行き場を見つけられずにいる。しかし、それでいいと思った。

 

「なんで、僕と付き合ってくれたの?」

 

 僕が思い切ってきくと、彼女は恥ずかしそうに答えた。

 

「私も、あの日からずっと好きだった。一目惚れだったの」

 

 僕は驚いた。すると彼女は、悪戯に笑って言った。

 

「私、B専なんだ!」

 

 

 

 あの日、私は確かに一目惚れをした。優しく手を差し伸べてくれた彼に。弱い私を知っても、変わらず話してくれた彼に。クラスでの私を見て、幻滅されたらどうしようかと思った。でも、彼は見ぬふりをした。下手に口も出さない。そんな彼の隣にいると、私は安心した。彼はやっぱり、私の思った通りの人だった。決して強くはなくても、絶対に人を傷つけたりしない、優しい人だった。だけど私は踏み出せなかった。私と付き合ったら相手に迷惑がかかる、私なんかに好かれたら迷惑だ、と言い訳をしていた。彼の真っ直ぐな言葉は、そんな私を変えたのだ。自分の気持ちを、相手を、誤魔化さずに信じる力をくれたのだ。そんな彼と、素直に一緒にいたいと思った。……でも、恥ずかしいから、これはもうちょっと秘密にしておきます。