座右の銘

アルミホイル

 

 生涯私が恩師と呼び慕い続けるであろう人物は、実に多くの言葉を遺しました。彼を心から尊敬している私は、全ての言葉を忘れないよう手帳に記録しています。しかしたった一つ、その人が最後に私に送ってきた手紙に追伸として認められていた短いフレーズだけは、手帳には記録しておりません。記録する必要がないくらいに、私の脳裏に鮮烈に刻み込まれているのです。その言葉を初めて目にした時――遭遇した時と表現すべきでしょうか。とにかく、私の大脳がそのフレーズを言語として知覚した瞬間、霹靂とも呼ぶべき衝撃が私の心臓を直撃しました。

 

 恩師から最後の手紙が届いたのは、高三の受験期真っ只中。受験勉強に熱心な方ではなかった私は、恥ずかしながら、受験期が終わるまで思考の九割をその言葉に占有されたままでした。辛くも志望校に合格はしたものの、やはりその言葉は頭から離れず、やがてその言葉の意味を知ることが私の人生の天命なのだと思うようになりました。以来、その言葉を座右の銘とすることにしました。大学二年の頃からです。しかし誰がどう聞いても意味の不明なその言葉は、自己紹介をする度に疑問を持たれるばかりで、どういう意味だと質問を受ける度に自分でも分からないと答えました。初対面の人から瞬間的に変人認定されるようになりましたが、元々人付き合いの悪かった私が、人に興味を持って貰えるきっかけを得ました。おかげで現在は多くの友人に恵まれています。座右の銘と、それを与えて下さった恩師には、本当に感謝しています。

 

 留年せず、無事に大学を四年で卒業し、とある飲料会社に就職しました。いわゆる大企業と呼ばれている会社ですので、生活は安定し、三十の時に結婚もして、二人の子宝にも恵まれました。世間的に見れば順風満帆と言えるでしょう。しかし、年を追って目立ったミスもなく同じ仕事を続けていれば、それなりに出世してお給金も増えますが、比例して責任や拘束時間も増加していきます。社会的成功と人間的成功は、単純な等式で結べるものではないと知りました。若者の頃のように野心もなくなって、事業の成功や昇給より、家のソファに背を持たれながら煽る発泡酒を追い求めるようになりました。故に苦痛は増すばかりです。

 

 労働に対して消極的な心情の変化は、私生活にも悪影響を及ぼすようになりました。具体的に言えば、妻との口喧嘩です。そのせいで高二になる娘には家に帰る度にしかめ面をされ、小学生の息子には喧嘩をするなと説教を食らう始末。そんな風に惰性で日々を送るようになってからある日のことです。私の人生に変革が訪れたのです。

 

 その日私は、比較的早い時間に帰宅しました。帰宅した私は、真っ先にリビングのソファに向かい、両手を広げて背もたれにかけ、我が物顔で占領します。そして大声で言うのです。「発泡酒とおつまみ持ってきてー」

 

 娘が近くにいましたが、「うるさいアル中」などと明確な悪意を持った言葉で私を攻撃して、彼女の自室へと去りました。「実の父親に向かってその態度はなんだ!」と親子関係という覆しようのない権威を振りかざして娘に当たるのですが、彼女は取り合ってくれませんでした。私の不満は募る一方でした。

 

「はい、旦那様。持ってきましたよー」

 

 妻は、普段は使わないやけに畏まった二人称を当てつけとして使い、勤務先の製品であるスチール缶の発泡酒を一本持ってきました。私は晩酌の肴がないことに対して不満を言いました。妻は困ったようにしばらく腕を組んで考え込み、何か思い付いたような表情で台所に消えていき、某有名スナック菓子『じゃ◯りこ』とポン酢を得意げに机の上に置きました。

 

「召し上がれ」当然のように言う妻に、即座に聞き返します。「これはなんだい?」

 

「じゃがバター味」妻はあえて菓子の名称ではなくフレーバーの名称を答えました。

 

「なるほど。あくまで君はじゃ◯りことポン酢だけが食卓に出されている怪奇現象に対して疑問を抱くのはおかしいと主張する訳か。じゃあ聞き方を変えよう。どういう意図があってこのお菓子とポン酢が食卓に出ているんだ?」

 

「おつまみが欲しいって言ったのはあなたでしょう? 私もう疲れたから寝ますので、それが今夜のアルコールのお供兼夕食ってことでよろしく。ポン酢でもかけて食べといて。お休みなさい」

 

 怒りで頭がどうにかなりそうでした。しかし堕落した私に、妻を謗る資格などないのも事実でした。やりきれない思いでいっぱいになり、ふと、座右の銘が脳裏を過ぎりました。私の座右の銘には、動物園でよく見かける動物の名前が含まれています。

 

(こんな妻、もう――にでもなってしまえばいい)そう思った私は、衝動的に口走っていました。

 

「――――してやろうか」ぼそぼそと、はっきりしない音が出ました。

 

「何言ってんの?」

 

 欠伸しながら妻に聞き返されたのがいやに腹立たしく、語気を強めてもう一度。

 

「お前もキリンにしてやろうか――!!

 

 体内に溜まった邪気が噴火の如く激しさを伴って解放される感覚。あの時の爽快感は忘れ難いもので、この身が風に吹き流される綿毛にでも転生したように朗らかでした。ここからは比喩ではありませんが、眼に映る色が薄くなって白くなって真っ白になって、ただ光だけが視界を覆い尽くしました。意識を失っていたのとは少し違います。私ははっきりと、純白の世界とその中にある自己の存在を知覚していました。

 

 あの日、とうとう私は天命を果たしました。恩師から賜った言葉の意味を知ったのです。

 

「お前もキリンにしてやろうか。お前もキリンにしてやろうか。お前もキリンにしてやろうか――――!?

 

 気が付けば、座右の銘を呪文のように唱えることしか、出来ない体になっていました。妻はキリンになっていました。私自身もキリンになっていると気付いたのは、もうしばらく経ってからでした。

 

 私の座右の銘は――人をキリンに変えてしまう、呪いの言葉だったのです。

 

 

 

 あの日以来私の生活は変わりました。というか、変わらざるを得ませんでした。私は一戸建てに住んでいるのですが、成体のキリンが収まるには窮屈な空間ですので、リビングのサッシ窓を蹴り破って外に出ました。同じくキリンに変えられてしまった妻は、あまりの衝撃から、睡眠も取らずにひたすら喚き続けていました。キリン化した人間は私の座右の銘しか言えなくなるらしく、妻はひたすら「お前もキリンにしてやろうか」を叫び続けていました。それは滑稽なようで、悲しい光景でした。あんなに悲痛な「お前もキリンにしてやろうか」を、二度と聞くことはないでしょう。さらに悲劇は連鎖していきます。妻の叫びを聞いて目を覚ましてしまった息子と娘もキリンになってしまいました。どうやら私以外のキリンでもキリン増殖能は同じようなのです。自分自身がキリンになったことに気づいた子供達は、私達を探しに行ったのか他の誰かに助けを求めに行ったのかは分かりませんが、家を出て行ってしまいました。きっとそのせいでしょう。その日の内に街中がキリンで溢れかえってしまったのは。

 

 流石に責任を感じて、いかにしてキリン地獄に収拾をつけようか頭を悩ませましたが、一向に答えは出ませんでした。誰かに相談しようにも、口から出る言葉は「お前もキリンにしてやろうか」オンリーですから、有効な解決策など湧き出る訳もありません。飢えをしのぐため雑草やら木の葉やらを貪り続けて数日が経ち、悩みに悩み抜いた私が最後に出した結論は、敢えて事態に収拾をつけないことでした。どうせなら思うように生きてやればいいと思ったのです。

 

 安定したキリン生を送るにはまず仲間が必要だと考えた私は、近くにいたどこの馬の骨とも知れないキリンに話しかけることにしました。この時、自分が特定のフレーズ喋れないことはうっかり忘れていました。言葉を発する直前でそのことを思い出し、やはり口から出た音は「お前もキリンにしてやろうか」でした。赤の他キリンから返ってきた言葉も「お前もキリンにしてやろうか」。ですが私には、返答の「お前もキリンにしてやろうか」が、(はい、なんでしょう)と聞き返されているような気がしてなりませんでした。試しにそのままやり取りを続けてみると、やはり私と見知らぬキリンは意思疎通が取れていました。意思疎通が図れることが分かった私は、可能な限り周囲のキリン達を呼び寄せて、大規模な組織を結成しました。不思議なことに、私はキリンと意思疎通が取れるのですが、他のキリン達は私を間に挟まないと意思疎通が出来ず、ただ「お前もキリンにしてやろうか」と果てもなく言い合い続けているだけなのでした。そんな理由から私はリーダーに祭り上げられ、いつしか組織は拡大し、街中をキリンが覆い尽くしました。街の景観もガラリと変わりました。並木の葉はほとんどが食い尽くされて禿げ散らかし、街から雑草が消えました。もう草抜きのボランティアなど要りません。食料品店では、大勢のキリンの襲撃を受けて野菜コーナーが空になりました。食糧難の到来です。巨大組織となった私のグループは、圧倒的な統率力を活かして野良キリン達を締め出し、食料を確保しました。大半は結局私の組織に合流し、ますます勢力を拡大しました。食料統制を行ってなんとか食いつなぐ道を模索しましたが、その願いは叶わず、食料を求めて南下せざるを得ませんでした。当然人の注目を集めますから、口封じの為に次々とキリンを増やしていきます。消防や警察、さらには陸上自衛隊までもが駆けつけましたが、銃器も戦車も圧倒的な数の暴力の前には到底叶わず、同志の何頭かが凶弾に倒れましたが、敵勢力を全てキリンに変えて南下を継続しました。その頃の私の扱いは、反社会組織のボスから一国の主、あるいは神様のような扱いに昇華していました。とても良い気分でした。少年時代に流行っていた漫画風に言うなら、新世界の神になる術に至った思いでした。

 

 南下を始めて13日が経過した日の夕暮れ。奇妙な物語は、唐突に終焉を迎えることとなります。その日は風の強い日でした。おそらく風の音が強いせいで、上空から忍び寄る悪意に気付くのが遅れたのでしょう。側近のキリンが私に異変を報告した時には、もう時既に遅かったのです。

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(南の空から、ヘリコプターです!)

 

 およそ百機を超えるであろうヘリコプターの軍団は、逃げ惑う私達に容赦なく銃弾を打ち込み、一頭、二頭、三頭と、次々と同士が倒れていきました。私は脇目も振らずに逃げました。どこかにいるかもしれない妻や子供のことなど、頭の片隅にもありませんでした。逃げて、逃げて、逃げて。疲れ果てた末に、とうとう私は地面に倒れ伏しました。周りを見渡せば、私が最後の一頭でした。覚悟を決めて目を瞑り、銃弾が体を貫くのを待ちました。ところがいつまで経っても銃弾は飛んで来ず、その代わりに一際大きなヘリコプターが私の目の前に着陸し、一頭のキリンが中から降りてきました。

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(よくぞここまで立派に成長した、我が弟子よ)

 

 姿はキリン以外の何物でもありませんでしたが、その声には聞き覚えがありました。私は確信を持って言いました。

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(その声は、先生……! どうしてここに?)

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(それはもちろん、お前に会いにきたのさ。晴れてキリンの王、麒麟帝となったお前にな。弟子よ、上を見上げてみろ)

 

 言われるがままに空を見上げると、巨大な灰色の円盤が空を埋め尽くしていました。

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(さっきお前の家来に撃ったのはただの麻酔銃だから安心してくれ。今から我らは、故郷である九億光年先、Giraffe星に帰還する。この星に我らの居場所はないのだ。お主もきっと、仲間を飢えさせまいと奔走したのだろう? よく、頑張ったな)

 

 安堵と感動のあまり、言葉もろくに返さないで、ただ涙を流すことしかできません。視界の端では、同士達が見えない力に引っ張られて空に吸い込まれていきます。

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(我々も向かうとするか)

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(本当に……ありがとうございます)

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(礼などいうな、水臭いじゃないか。では、そろそろ行くか)

 

「お前もキリンにしてやろうか」※訳(はい)

 

 私と恩師は、ゆっくりと円盤に吸い込まれていきました。

 

 

 

 私は今遠くの星で、家族とも無事再会して、キリンとして充実した生活を送っています。

 

「お前もキリンにしてやろうか?」

 

 公用語はこれだけでございます。あなたも一度、訪れてみてはいかがでしょう?

 

 

 

 お題

 

「お前もキリンにしてやろうか」