じじい

布団

 

 昼間にも関わらず、光がほとんど入らない山の奥地。鬱蒼と生い茂る木々の間を、小柄な少年が歩いていた。少し質の良い服を着ているが、泥で台無しになってしまっている。

 

 じっとりとした生ぬるい風が顔にまとわりついてきて、思わず少年は顔をしかめた。

 

「うっざ」

 

 もはや脊髄反射のようにぱっと出てきたその言葉に、反応するものがいた。

 

「なんじゃ少年、そんな言葉を言っていたら鬱になるぞ」

 

「うっせえじじい」

 

 じじい、と言われたその人物は「はあ」とため息をついて、少年のほうを見た。ボロボロの服に、真っ白な長い髪とひげ。まるでホームレスのような出で立ちのこの老人は、先ほどまで木の下に座り込んでいた者である。それを見つけた少年は素通りしようとしたが、このボロボロの老人に声を掛けられてしまい、仕方がなく応対して今に至る。

 

「だいたいてめー何者なんだよ。こんな山奥で一人でいるなんて気味悪りぃ」

 

「人に何者かを聞くときはまず自ら名乗るという礼儀を知らんのか。生意気な少年じゃな」

 

「ああん?」

 

 少年はにらみを利かせたが、老人はまったくもって涼しい顔で受け流す。仕方がなく少年は自己紹介をした。

 

「俺は康太だ」

 

「それだけか? ほかになんかあるじゃろう、こんな山奥に来た理由とか、趣味とか好きな女の子とか」

 

 最後のぜってーいらねえだろ。まあそれは置いておいて。それを聞いて俺は不覚にもドキッとした。あ、女の子発言にドキッとしたわけじゃねーから。なんでよりにもよってこのじじいは、山を登ってる理由を聞いてきたんだと思ったんだ。でも、この状況で特技と趣味だけ答えるのも不自然だし、まあこんなホームレスじじいに言ったところで大したことねえや。

 

「山登ってる理由は逃げたからだ。一応、趣味は親にやらされてるゴルフ。好きなやつはいねー」

 

「ほう、何から逃げてきたんじゃ?」

 

 まあ、そう聞かれると思っていた。普通の人になら絶対に答えないのだが、このじじいには何故か話して良いと思えた。

 

「俺、友達いねーんだ。誰も俺に話しかけねぇし、そもそも話合わねぇから話しかけねぇし。まあ、俺はそれで良かったんだけど。でも一か月前に登校したら上靴なくなってたんだ。よくあるいじめだよ。それからずっといじめが続いた。俺は学校に行きたくなかったけど、親が体裁を取り繕うやつらで、どうしても俺を学校に行かそうとするんだよ。だから逃げてきた」

 

 正直俺は、あいつらにこんなことされても平気だった。あんなやつらに興味なんかないし、放っておけばいい話だ。ただちょっとめんどくせーって思うだけだった。でも何故かわからないけど、吐きそうだった。苦しかった。心臓が痛かった。

 

「ほう、人間とはまた珍妙なことをするもんじゃな」

 

 俺は苦しさを隠そうとして、余裕ぶってじじいにこう言った。

 

「世に人類ほどの珍獣がいないって知らなかったのか? じじいもまだまだ青いな」

 

 そう俺が言うと、じじいは立ち止まって優しく俺の頭を撫でた。

 

 この時俺は、断じて泣こうとなんてしてなかったんだ。

 

 そんな俺を見たじじいは、優しく微笑んだ。

 

 

 

 

 

 しばらく経った後、じじいは俺にこう言った。

 

「なぜお主は人類ほどの珍獣がいないって知ってるのじゃ? それをどうやって証明する?」

 

 俺は言葉に詰まった。

 

 確かに、言葉を話せる生き物は人間だけだって証明できないし、ましてや珍獣だなんて絶対証明できない。あくまでも俺がそう思ってるってだけの話で、真実ではなかった。

 

「できないじゃろう。それなのにえらそうに青いなんぞ言いよって。しかも口を開いたらうざいじゃの、うるさいじゃの、人を傷つけるような言葉ばかりじゃ。そりゃ他の人から心無い言葉をかけられるじゃろう」

 

 そう言われて俺はハッとした。今まで言ってきた数々の言葉が思い出される。親に対しても、いじめてきた同級生にも、心無い言葉をかけていた。いつも言葉を蔑ろにして、適当な事ばかり言っていた。いや、人を蔑ろにしていた。心臓がばくばくいってる。痛かった。また泣きそうになる。

 

 そんな俺にじじいがとった行動は、先ほどとは違っていた。

 

「言葉を大切にしろ、少年」

 

 じじいの言葉は鋭くて、俺の心に深く突き刺さった。けれど、冷たくはなかった。温かかった。

 

 この時俺は、断じて泣こうとなんてしてなかったんだ。

 

 

 

 

 

「さて、少年はこの後どうするのかね?」

 

 俺はもうこの鬱蒼とした山に用はなかった。

 

「帰るよ」

 

「そうか」

 

 じじいは最後に少し笑って言った。

 

「達者でな」

 

 その笑顔を目に焼き付けてから、俺は背を向けて歩いた。少しして後ろを振り返ると、そこはただただ、鬱蒼と生い茂る木々が風に揺れているだけだった。

 

 

 

お題

 

「世に人類ほどの珍獣がいないって知らなかったのか? じじいもまだまだ青いな」