タイムマシン

 

 

 二○XX年、遂に人類最大の野望が実現した。時空間移動装置、俗に言うタイムマシンが完成したのである。

 

「タイムマシン創造の可否は、長年の議論のテーマでありました。

 

 “理論上作ることはできない”? “過去を変えることで今の自分が消える”? “行けても戻ってくることができない”?

 

 否、否、否であります! 何世紀にもわたる研究により、我がOX社は、とうとうタイムマシンを作り上げました! さあさあ親愛なる皆様、いつに戻りたいですか? 若かりし頃の黒歴史を消しに行きますか? 愛するあの子に会いに行きますか? 歴史上の偉人を見るのはどうでしょう? 昨日まで不可能だった、‘あんなこといいな、できたらいいな’が全て叶うのです! たった今、現代の技術は大きく進歩したのです。来年からは、この日は‘タイムマシン記念日’として、祝われることでしょう。興味を持たれました全国の皆様、ぜひ神戸にある、OX社にお越し下さいませ。著作権の関係から製造方法は教えかねますが、ぜひとも皆様に成果をお見せしましょう。歴史に残る大発明ですよ、これは!」

 

 

 

 歴史に残る大発明から、早一週間。いまだテレビニュースではタイムマシンの話で持ちきりであった。OX社の前は報道陣で溢れかえり、神戸の町は騒然となった。けして大きくはないOX社のロビーはごった返しており、もはや説明どころではなく、警察が出動する始末である。OX社は説明をする順番を決めるためという名目で券、いわゆるファストパスを売り始め、誰もかれもがその券を求めた。1枚ウン十万円という法外な値段にも関わらず、ネット発売開始直後に売り切れていく。沢山の報道陣がネットにかじりついたが、あまりの早さに誰1人として買うことはできなかった。報道者たちは長年の経験から裏で先に取り引きされていたのだろうと感づいたが、そんなことを表立って言うわけにはいかない。今OX社のご機嫌を損なうことを言うのは危険なのだから。取れるところからお金を取る姿勢と券の裏取り引きに対し、OX社への不信感を募らせる報道者も少なくはなかったが、その理由から口に出す者はいなかった。ほとんどの人は、そんな事はつゆ知らず、タイムマシンへの興奮が収まらない。テレビでも、OX社が発信したニュース以外情報はなく、謎めいた雰囲気は人々の想像をかき立てた。

 

「研究で、何人も人体実験をしてるんじゃないか?」

 

OX社の社長さん、未来から来たのかもしれないぞ」

 

「いやいや、そんな事より、今この瞬間も過去が変わってるのかも」

 

「過去に戻れたら、あの限定版プラモを買いにいきてぇな……」

 

「もっと良い会社に入り直したいな、OX社に入れたら最高だな」

 

 噂は噂を呼び、人々は明るい未来を想像した。タイムマシンが自分達にも使えたら。そう遠くないであろう未来について語りとおした。券を手に入れた人からの情報が出て来たり、徐々に報道者も説明を受けられるようになった。テレビでは、タイムマシンは予想外の姿であること、最終段階で社長自ら使用して戻れたことが報道された。そして、発表からきっかり三ヶ月後となる明日から、時空間旅行サービスを売り出すことも決まったのである。

 

「あと少しで夢の世界へご招待! 時空を超えた、素敵な旅に出かけましょう。ご希望の方は、OX社にお越しください。ただ今、予約は一年待ちです」

 

 日本中、いや、世界中が期待に胸を膨らませていた。明日、世界が変わる。より良い方向へ。そう信じて疑わなかった。

 

 

 

 事件が起きたのは、奇しくも夜の一一時五九分であった。

 

 社長が死んだ。

 

 世界が変わるはずの日は、永遠に来なかった。

 

 

 

 暗い独房に入れられた佐々木は、思えば昔から運の無い男だった。学校を休んだ日に限って、給食は好物が出たし。就職試験中に、お腹を下したし。やっとの思いで入った警備会社の警備先の社長が死んでしまうし。そして、なぜか俺が犯人として逮捕されるし……。佐々木は、頭を掻きむしった。俺が犯人だなんて、そんな馬鹿な話があるか!? 社長が死んだその日、確かに俺は部屋の警備をしていた。だが、その日は社長が直々に、「一人になりたいから、客室に下がってくれ」と言われたから、俺はそのまま下がったんだ。まあ念のため、何時間かごとに部屋に行って、声をかけたりはしたが。そうしたら、12時過ぎに返事がなく、鍵が開いてたから入ると、もう社長は死んでいたんだよ。そこからすぐに他の警備員にも連絡して、警察を呼んで……。めまぐるしい一日がやっと終わったと思ったら、突然俺は警察に呼ばれ、そのまま家にも帰れないのである。事情聴取で事実を話していても、何処と無く疑われてるようで落ち着かない。明日にはニュースで流れたりするのだろうか。ほとんどの人は社長の急死に衝撃を受けて、落胆してるのだろう。たかが社長と思うかもしれないが、実は社長だけがタイムトラベルに関しての情報を持っていたそうだ。つまり、社長が知んだ今、もはやタイムトラベルは夢の話となったのだった。佐々木は、一睡もできずに、自分のこれからの処遇について考えた。会社からはもちろん契約違反として給料など貰えないだろう。というか、そもそも刑務所に入れられてしまうのかもしれない。二○代後半にして、前科がついてしまうのか。自分がやった訳でもないのに。頭を抱えて小さくうめき声をあげた。

 

 これから、どうなるのか……。

 

 

 

 誰かが面会に来ているらしい。薄暗い廊下を歩きながら、誰だろうかと考えた。会社の人は来る訳が無いし、どうせもう解雇されてるだろう。家族はとうにこの世にはいない。OX社の弁護士だろうか。憂鬱になりながら面会室に入ると、見たことの無い女性が待っていた。女性は少し微笑むと、近くに寄るように手招きした。四○代くらいのその女性に警戒しながら、近くに寄った。

 

「あの、弁護士さんですか?」

 

「いえ、私はOX社の社長の母親です。はじめまして」

 

 あまりの意外さに、なぜ社長の母親が、と訊くことは叶わなかった。驚きのあまり固まる俺を尻目に、その人は口を開いた。

 

「すみません、二人きりで話したいのですが」

 

 警察官にそう言うと、警察官は渋々といった様子で部屋の外に出た。

 

 この人は何がしたいのだろうか? その思いが顔に出ていたのか、女性は静かに答えた。

 

「私は、あなたが犯人でないことを知っています」

 

「え?」

 

「あなたを助けようと思ってここに来ました」

 

 俺を、助けようと……?

 

 というか、なぜ俺が犯人でないと言いきれるのか? 疑問が頭に次々と浮かぶ。女性はそんな俺に淡々と語った。

 

「とは言っても、私はあなたの無実を証明はできません。このままでは、確実にあなたは犯人として有罪とされてしまうでしょう」

 

 俺は項垂れた。

 

 なぜかは知らないが信じてくれるこの人以外は、俺を犯人だと信じて疑わないだろう。絶体絶命と言う他ない。こんな俺を助ける方法などある訳がないのだ。

 

「ですが、一つだけ道はあります」

 

 えっ。

 

「俺が助かる道が、あるんですか!?

 

 ガバッと顔を起こした俺の目を見て、社長の母親は力強く頷いた。

 

「タイムマシンで、過去に戻ればいいんです」

 

「タイム、マシンで……」

 

「世間では、もうタイムマシンの情報は失われたと思われていることでしょう。でも、実際は違います。私はあの子から、タイムマシンに関する資料の保管を頼まれていたから」

 

 確かに、母親なら知っていてもおかしくはない。もしかしたら、本当に、俺はやり直せるのかもしれない。嬉しさからバンザイをしそうになったが、違和感にはたと気づいた。

 

「あのう、俺としてはやり直せるのは本当にありがたいことなんですけど。なんで社長のお母様が俺を助けようと……?」

 

 社長の母親は、少しの間俯き、バッと顔を上げた。

 

「……息子を守ってやってほしいからです。過去に戻してあげられますが、条件として、20年前に戻ってもらいます。そして、あの子が20歳になるまで、守ってあげてください。……本当は私が戻って守りたい。でも、タイムマシンを作る過程で、過去に戻れない体質だということが分かりました。だから、どうか、息子を守って下さい」

 

 息子、つまり社長を守る? 何から? 誰から? なぜ?

 

 疑問は尽きないが、社長の母親は、真っ直ぐな目で、ただただ若くして亡くなった息子を哀れんだ顔で、俺に守るように頼んだ。この人は、良い母親なんだな。親孝行もできなかった自分の母親と重ねてしまったら、断ることなんてできなかった。

 

 

 

 そこからは早かった。社長の母親は、当分の生活には困らない金と、偽造された身分証明書(それによると、俺は帰国子女らしい)、スマートフォン、そして小さな丸薬をくれた。戻るのは、条件通り20年前。つまり、丁度社長が生まれた年に戻るそうだ。説明によると、過去に戻る、とは言っても、厳密にはパラレルワールドに移動するようなものであり、過去での行いは現在にまったく影響は出ないらしい。過去を変えよう、というcmは客寄せのためだったのか。

 

 少し残念ではあるが、仕方ない。本当は、違う種類の薬でまた現在に戻れるらしいが、それは遠慮しておいた。現在に未練はないし、約束は守りたいから。また、スマートフォンは社長が20歳になった時に渡すように言われた。中にはタイムマシンの資料が保管してあると言っていた。また考え出すだろう、と言ったが、念の為らしい。そうこうして、社長の母親に会ってから丸一日で、全ての準備が整った。

 

 

 

「息子を、よろしくお願いします」

 

「約束は守ります。あんな事件、絶対に起こさせません」

 

 硬い表情の母親と握手を交わした。

 

「……あの、息子は、とっても良い子なんです」

 

「え?」

 

「長生きさせてやりたいんです。他の、世界では」

 

 両手をぎゅっと握りしめて、肩を震わせていた。

 

 俺は、ここにしてやっと、警備員として守れなかった後ろめたさを感じた。いかに後悔しようと、もう、この母親は息子には会えない。

 

「……今度こそ、俺は息子さんを守ります。心配しないでください」

 

 少しだけ安堵したような顔の母親ともう一度握手をして、薬を飲んだ。ほのかに甘い味がした直後、舌が痺れてきた。

 

「……うぅ」

 

 心配そうに覗き込む母親の顔を見ながら、静かに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 目を開けて最初に見えたのは、青空だった。ピロピロ、ピチチッと雀の鳴き声が聞こえる。ボーッと空を見上げて、昨日のことを思い出そうとした。確か、社長が死んで、逮捕されて、それから、えーっと……。

 

 

 

「タイムマシン!!

 

 一気に目が覚めて、座っていたベンチから立ち上がった。周りに見渡すと、ブランコと砂場、そこで遊ぶ子供と母親が目に入った。みんな半袖で夏服だが、佐々木だけ長袖の冬服であった。

 

「冬だったのに、夏になってる……」

 

 両手を眩しい太陽にかざした。

 

「ああ、俺、戻ってこれたんだ! 自由だ!」

 

 ひゃっほー、とかけ回ろうかとも思ったが、周りの視線に気づきやめておいた。砂場で遊ぶ1組の親子が、こっちを胡散臭そうに眺めていた。とりあえずここはどこなのか聞かないと、何もできないな。そう思い、その親子に近づいた。

 

「あのー、ここって何県のどこですかね?」

 

 変な男が変な質問を、とでも言いたそうな顔でこっちを見上げた母親の顔は、どこか見覚えがあった。

 

「……兵庫県の神戸ですけど」

 

 似ている、社長の母親に。こんなに若くはなかったけど。

 

「あのう、あなたは、もしかして……」

 

 ……あれ、名前が思い出せない。嘘だろ、つい昨日まで喋ってたのに。

 

「……人違いじゃないですか? 初めて会ったと思いますが」

 

 帰ろう、と子供を連れて行こうとする母親。

 

 駄目だ、守るはずが不審者扱いされてしまう!

 

「あの、ここに引っ越してくる佐々木です、よろしくお願いします!」

 

 ガバッ、と勢いよく頭を下げた。適当に引っ越してくる、とか言っちゃったけど、守るんなら近くにいないと仕方ないし、あながち嘘という訳でもない、はず。恐る恐る顔を上げると、眉を八の字にして笑う母親がいた。

 

「林です、はじめまして」

 

 これが、俺と社長の母親、もとい林さんとの二度目の‘はじめまして’だった。

 

 

 

 有言実行すべく、すぐに近くのマンションを借りた。これから生きてくために、働くことは避けられない。近くにある大きめのスーパーマーケットに雇ってもらうことになった。すぐに働けるところに行こうと思ったのが理由だが、週に一、二回林さんが来ることは、嬉しい誤算だった。レジをする短い間ではあるが、おはようございます、今日暑いですね、息子さん元気ですか、と少しずつ話をする仲になった。社長、というか息子さんは、勇希という名前で、今は近所の保育園に行ってるらしい。勇希くん、と呼ぶのはなんだか落ち着かないが、まさか社長、と呼ぶわけにもいかない。時々、昼休みに公園で弁当を食べていると、林さんと勇希くんが砂場で遊んでいるのを見かける。できるだけ話しかけて遊びに参加していたら、徐々に勇希くんも俺を覚えてくれるようになった。今のところ、何もおかしなことは起きてないらしい。結局、あの時、林さんは何から勇希くんを守って欲しいのか言ってくれなかった。

 

 何かしら事情があるのだろう。

 

 今の俺にできるのは、何か起きた時の為に、二人と仲良くなることだけなのだ。

 

 

 

 心配とは裏腹に何事も起こらず、勇希くんは小学生になった。

 

 さすがに入学式には行かなかったが、入学式の後に公園に寄ったらしい二人と会った。林さんは、いつも偶然ですね、と声をかけてくれるが、俺の昼休み時間に合わせてくれてるのかな、となんだか嬉しくなる自分もいる。勇希くん、学校楽しそう? と聞いてみると、意外にも照れくさそうに、頷いた。

 

「勇希、保育園の友達と同じクラスになれたんだよね」

 

「おっ、良かったな。学校楽しみだな」

 

 周りの人には、家族とか思われてるかもな。

 

 三人で笑い合いながら、最近はそんな事を思う。林さんの夫は、今まで一度も見たことがない。林さんは喋りたがらないし、勇希くんも何も言わない。なんとなく、いないんじゃないかな、とも思うけど。

 

 平穏な日々が続いていた。

 

 ‘現在’の林さんの約束のことも、忘れかけるほどの。

 

 

 

 勇希くんが二年生になった秋だった。

 

 仕事終わりの帰り道、林さんの家の前を通りかかると、嫌な気配がした。時刻は10時過ぎ、人気のない真っ暗な道に、怪しげな人影が見えた。

 

 誰だ? こんなところで何を……?

 

 少しパニックになりながらも、物陰から様子を伺う。怪しげな、体格からして男が、周りを見回して、おもむろにバッグから何かを取り出した。そして、投球ポーズをとり、飛び出した佐々木には目もくれず、一直線に林の家の窓へ投げ入れたのだ。

 

 ガチャンッ

 

「おい、お前今何を!」

 

 佐々木の制止の手を振り切り、男は一目散に逃げる。あとを追いかけようとしたが、その瞬間、林の家の中が明るくなった。林さんが起きたのか? と中を覗くと、小さな炎が、今まさにカーテンへと燃え移ろうとしていた。

 

「佐々木さん! 火事だ!」

 

 やばいやばいやばいやばい。

 

 佐々木の頭の中は、それしかなかった。割れた窓から強引に入り、火を踏み潰そうとした。

 

「火事だー! 林さん、林さん!」

 

 なかなか火は消えず、ついにカーテンが一気に燃え上がった。

 

 どうしようどうしよう。

 

「火事だ、林さん!」

 

 カーテンの火が、天井にも燃え移ろうとしたとき。

 

 バシャリ

 

 大量の水により、あっという間に鎮火した。後ろを振り向くと、強ばった顔の林さんがバケツを片手に立っていた。

 

「よ、良かった……。林さん、怪我はない?」

 

 声をかけるが、こっちを見るだけで答えてくれない。

 

「は、林さん……?」

 

 幽霊を見るような顔で見上げられる。

 

 そうだ、俺がここにいるのはどう考えてもおかしい。もしかして、俺が犯人だと思っているのかもしれない。

 

「あの、違うんだ。俺がここにいるのは」

 

「ありがとう。佐々木くん」

 

「え?」

 

 林さんに抱きしめられた。

 

「えっ、えっと……?」

 

「ありがとう。助けてくれたんだよね」

 

 林さんが震えているのが伝わる。

 

「最近、誰かに狙われてる気がするの。ドアの鍵を壊されたり、夜中に石を投げられたり……。火までつけられるなんて。……私、私、怖くて……」

 

 ‘現在’の林さんが言っていたことは、これなのかもしれない。

 

 泣き出した林さんを抱きしめ返した。

 

「大丈夫、俺が守るから」

 

 

 

 勇希くんは、中学生になった。

 

 あれからも何者かに付け狙われているようだが、一応これでも警備員の端くれである。窓のガラスを変えたり、防犯カメラをつけたりなど、できるだけ安全に整えた。あれ以来、少し林さんとの距離が縮まった気がする。何かあったら話してくれるし、頼りにしてもらえていると思うと、嬉しくて走り出したくなる。勇希くんは野球部に入った。毎日練習し、佐々木の昼休みに公園でキャッチボールの相手を頼まれるほど、努力をした甲斐あって、二年生ではレギュラーを取ることができた。レギュラー発表の日、家にいた俺のところに走ってきて、Vサインをしたあの子の顔は、生涯忘れないだろうな、と三十代半ばの俺は思った。今日はお祝いだ! 、と家でくつろいでいた林さんも連れて、三人で焼肉屋に行った。

 

「レギュラーおめでとう! 次の試合は見に行きたいなぁ」

 

「おじさん、見に来てよ! あ、お母さんタレ取って」

 

「はーい。佐々木くんも空いてるなら、来週の試合行かない?」

 

 近すぎると、家族と錯覚してしまいそうになる。‘おじさん’呼びに、ちょっとだけ寂しくなることが増えた。それでも、この場所は居心地が良すぎるのだ。

 

 二人の笑顔を守りたい、なんてくさいことを考えてしまうほどに。

 

 高校生になった勇希は、俺の背を軽々と越していった。

 

 友達と遊びに行くことが増え、俺と林さんは二人で会うことが増えた。林さんによると、勇希は絶賛反抗期らしい。愚痴もきくが、それでも毎日勇希のことを考える林さんは、どんな時も変わらない母親の姿だった。

 

 未来でも、‘現在’でも。

 

 不摂生な俺を心配して、よく夕食に招いてくれるようになった。さすがに旦那さんに悪い、と断ると、目を瞬かせて、少し笑った。林さんの旦那は、勇希が産まれる前に出ていったらしい。少しホッとしてしまったことは、林さんに気づかれたくないなと思った。夕食に行かせてもらうときは、勇希も一緒に食べた。お母さんとじゃ食べないくせにー、と林さんは膨れ、俺と勇希は顔を見合わせて笑った。幸せで満ち溢れた日常、と言っても過言ではなかった。

 

 勇希が寝た後、二人で飲んだ。林さんは、お酒には弱い方らしい。酔っ払ったのか、林さんは涙を堪えて喋りだした。

 

「佐々木くん、あのね、本当に感謝してる。私一人だったら、勇希もこんなに明るくならなかったかも。佐々木くんがいてくれて良かった」

 

 酔っ払ってるなぁ、と苦笑しながら、林さんの肩にタオルケットをかけた。

 

「俺も感謝してるよ。林さんに助けてもらえなかったら、今頃どうなっていたか」

 

「助けたって? なんかしたっけ……」

 

「……二人が、俺の心の助けってこと」

 

 俺も、多分酔っているな。遅くまでお邪魔しちゃったな、と帰る用意をした。

 

「帰っちゃうのぉ? 泊まっていったらいいのに」

 

 家すぐ近くだけどね、と苦笑した。

 

「……じゃあ、ここに住めばいいのに」

 

「……え?」

 

 振り返ると、林さんは眠っていた。顔に熱が集まるのを感じて、急いで家に帰った。

 

 それって、アレだよな、つまり……。頭がぐるぐるしている。酔っ払ってるせいだな、と誰かに言い訳をして、すぐに眠った。

 

 

 

 次の日は、昼過ぎに起きた。

 

 昨日のことを思い出して赤面しながら、窓から林さんの家を眺めた。すると、ここ最近はいないと言っていた不審者のような男が、林の家の中を覗き込んでいたのだ。驚いて跳ね起き、コートを引っ掴んで飛び出した。騒々しく現れた俺に驚いたようだが、逃げる前に手を掴み、自分の家に引き入れた。やめろ、と抵抗するも虚しく、あっさりと家に入れることが出来た。

 

「……つかぬ事を伺いますが、あなたは、あの家の子供が誰なのか知ってますか?」

 

 ビンゴであった。男は、目を白黒させて、慌てだした。

 

「な、お、お前、何を言って……!」

 

「とぼけるな。他の世界から来て、情報を盗むつもりだったのか? 二人を襲っていたのはお前達だろう!」

 

「違うんだ、俺はまだ襲ってない! 他にも、色んな世界から社長を目当てに集まっているんだよ!」

 

「まだ? まだってことは襲うつもりだったんじゃないか!」

 

 呆れた、と相手の顔を睨みつけた。

 

「お前に何が分かるんだ! ……俺のいた世界はな、タイムマシンのせいで、大戦争になったんだ。誰もがタイムマシンの薬を欲しがって。このままだと、この世界もそうなるんだ! それを止めようとして何が悪い!」

 

 戦争……。確かに、使い方を誤れば、それを引き起こすほどの力がタイムマシンにはある。だけど。

 

「……でも、それで社長を、勇希を狙うのは違うだろ。いつだって、どんな発明品も、使い方を誤れば最悪の事態を引き起こす。発明家を消すことでは、何も解決しない」

 

「……それは」

 

「それにだ。この世界では、このままいけば社長は存在しない。勇希には、他に夢があるからな。分かったら仲間に伝えて、全員帰れ」

 

 パッと顔を上げて、まじまじと俺の顔を見た。俺の顔から真実であると考えたのだろう、男は黙って出ていった。

 

 

 

「……疲れた」

 

 変に、あの二人だけ狙われてるな、とは思っていた。中流家庭で、特に恨みを買うような人達でもない。まさかとは思っていたが。

 

「……未来の林さん、気づいていたんだ」

 

 だから、未来で勇希が死んだ時も、俺ではなく、他の世界からの人が、と分かったんだな。さすが、タイムマシン発明家の母親である。いや、子を思う母親は、強いものだな。

 

 少し微笑んでから、ふと違和感を感じた。勇希は、タイムマシンを発明するんだよな……? 確か、未来で呼んだ雑誌のタイムマシン特集では、子供の頃から色々考えていた、過去に戻り父親に会いたかった、などと答えていた。でも、この世界ではタイムマシンのタの字も聞いたことがない。考えるまでもなく、ある可能性に思い当たった。

 

「……俺、だよな。変わった理由は」

 

 でも、この変化で、他の未来からの刺客も帰っていった。悪いことではない、はず。だけど、結局はスマートフォンを渡したら、すべてを知るのだろう。手の中でスマートフォンを弄んだ。

 

 渡すべきなのか?

 

 あと二年で、勇希は二十歳になる。

 

 

 

 勇希はついに高校を卒業した。

 

 近くの大学に進学したから、一人暮らしはしないそうだ。大学生活を謳歌しているようで、よく話をしに来てくれる。俺は、一日のほとんどの時間を林さんと過ごしていた。思い返せば、ほとんど二十年間、そばで過ごしてきた。それこそ、夫婦みたいに。二人でそんな事を喋った。そして、これからのことを話し合った。

 

 あと少しで、本当なら、俺は用済みになる。

 

 でもこの縁を切りたくなかった。

 

 お互いの気持ちを知って、約束した。俺にとっては、未来の約束からの更新であった。勇希が冗談な口調で言っていた、‘お父さん’に、おじさんから昇格した。

 

 

 

 勇希は、今日二十歳になる。

 

 最近は狙われることはほとんどない。このままでいいのかもしれない。無駄に、タイムマシンのことを勇希に吹き込んだら、また狙われるかもしれない。そんな事になるくらいなら、スマートフォンなんか……。この二年間、何度も捨てようとした。でも、その度に、あの時の林さんの顔が頭に浮かぶ。林さんは、今もあの時も、勇希の母親なのだ。父親になったとはいえ、母親の考えを捨てることはできない。

 

 

 

 友達と過ごしていた勇希が、夜に帰ってきた。

 

 林さん特製のケーキを食べて、欲しがっていた鞄をプレゼントした。ついに大人か、と感慨深いのは俺たちだけで、勇希は純粋に嬉しがっていた。テレビを見ていた勇希を呼んで、スマートフォンを手渡した。

 

「ん? 俺のはあるけど?」

 

 言いながら、起動させると、顔認証で開いた。

 

 ついに、ついに見せてしまった。緊張のあまり息をするのも忘れた。そのまま、数分、いや、数十秒だったかもしれない。勇希は、驚いた顔をして、

 

「ありがとう」

 

 と言いながら、照れたように俺に返した。予想外の反応に戸惑いながら、俺も目を通すと。

 

 

 

「幸せになってください」

 

 

 

 林さんは、どんな時でも、母親であった。

 

 不思議そうな林さんの顔を見て、俺は一人笑みを浮かべた。