音楽室にて

音呼

 

 輝く日差しと柔らかい土を包み込むかのように、滑らかな音色が響き渡り、降り注いでいる。

 

 高校生活最後の一年なのだ。顔を俯かせて、心の底からの笑みを浮かべた。

 

 

 

 はためくコートが校門に吸い込まれていく。それを遠くで眺めながら、待ち合わせの教室へと急いだ。周回走の日だったから、で済まない動悸が止まらない。部活の友達には用事があるから、と曖昧に告げてきたが、それ自体は何度かあったことだ。問題は、今から会う人物にあるのだ。教室のドアを開けると、窓際に頬杖をついて座る、その人物に。

 

 長い前髪から覗く、黒いアーモンド型の目が此方に向けられた。丸い卵形の顔に小さな鼻と、大きな丸メガネが乗っかるその顔は、さすが噂の、といったところだろうか。これまで全く関わりのなかったその人を、六時に呼び出したのは、止むに止まれぬ事情があるからだった。

 

 なんと切り出そうか迷いつつ、一歩教室の中に踏み込む。相変わらず目だけ向けて、無表情に待ってくれている。一歩、また一歩、そして目の前に立つ。手を握り締めて、顔を上げ、意を決して声を出した。

 

「事件の謎解きを依頼したいんです!」

 

 

 

「なるほど、じゃあ整理するね。起きたのは昨日の六時分頃、一人で最後まで残っていた音楽部である君の友達が何者かに頭を殴られた。少しの間意識を失ったものの、気がついた彼女は家に直行、前後の記憶が無く、怖くて学校に来れないでいる。親友である君はその内容のメールを貰い、探偵の息子である僕に依頼した、と」

 

 音楽室前のバルコニーで、心なしか楽しそうな様子に怖く思いながらも頷く。いつもの無表情とは打って変わって、顔を上気させてメモを取っていく。

 

「それから、君が今日一日を使って調べてくれた情報。丁度犯行時刻頃、バスケ部のマネージャーが校舎の北側を通りかかり、音楽室の電気が一度消え、すぐに点いたのを見ていた。君の友達は毎日部活後の練習をしていたわけではない。鈍器は、そこそこ大きめの鉄パイプのようなものか」

 

 目で確認され、うんうんと首を振る。大した事じゃないけど、一応分かることは伝えとくべきだと思ったから。

 

 

 

「それじゃ、中に入ろう」

 

 真っ暗な部屋は、全くの闇だった。私はすぐにスイッチを押し、所々壊れた照明に少し安堵した。

 

 ふむ、と中を歩き回る姿は、本当の探偵のように見える。探偵の息子だと噂の彼なら、もしかしたら。そう考えながら、物色している探偵に声をかける。

 

「えーと……探偵さん、何か分かりましたか?」

 

 探偵、と言われたことに気分が良いのか、少し小鼻を膨らましつつ、口を開いた。

 

「ああ、まあ、あらかたはね」

 

「えっ……本当ですか!」

 

 にこり、と笑みを浮かべる、珍しい彼の仕草にまたもや驚きつつ、探偵の言葉に高鳴る胸を押さえた。

 

 

 

 まず、当時の彼女の動きを考える。自主練していたのなら、当然楽譜や水筒を置くために机を使い、その近くで練習をしていたのだろう。前後のドアから少し離れているとはいえ、他の人が入ってきたら気付くし、知らない人なら不審に思って警戒し、何かあったら周りの人も声とかで気付けたはず。ここから、殴ったのは、友達の顔見知りであったことが分かる。

 

 また、一度電気が消えて、すぐ点いたことだけど。自主練中に電気を消したりはしない、だから犯人との間で何か起きた時、つまり殴られた時に倒れ、スイッチに体が当たったと考えるのが自然じゃないかな。誰か顔見知りが音楽室に来たので、友達は音楽室のドア付近まで移動、そこで殴られてスイッチに倒れ込む。突然暗くなり驚いた犯人だが、直後に電気をつける。意外と暗く、三つもある電気のスイッチを素早くつけることができる、そして六時過ぎに音楽室に来ても変に思われず、ドアまで友達が来るような人。よって、音楽部の人が可能性が高い。

 

 

 

「え……そんな。同じ部活の人が……嘘でしょ……」

 

 ふらっとして、近くのパイプ椅子に座ってしまった。そんな。少し気の毒そうに眉根を寄せた探偵は、言いにくそうにまた、口を開く。

 

「多分、鈍器っていうのも、ここにあるパイプ椅子なんだ。予想じゃ一番ドアに近いパイプ椅子……これかな」

 

 ドアの近くにあるパイプ椅子を畳み、周りの銀色の部分を几帳面そうに見ている。私も、座っていたパイプ椅子に縋り付きながらも探偵に近づき、手元を覗き込む。

 

「ほら、多分ここ。擦られたような傷が角についてる。その日に自主練していたことを知っていたのも、凶器となるパイプ椅子が沢山あることも知っているのは同じ部の人だけ。辛いだろうけど……」

 

 眉尻を下げ、気遣わしげな声音で続ける。

 

「今のところは情報もないしこれくらいしか分かんないけど。いつでも相談乗るから。あんまり落ち込まないで。……実は僕、親父の探偵事務所を引き継げる力は無いんじゃないか、って丁度悩んでいたんだ。君に頼ってもらえて嬉しかった。ありがとう」

 

 はにかむ探偵。頬を染め、目尻を下げる探偵の姿に気恥ずかしくなって、パイプ椅子をギュッと握り締めながらも、笑顔で口を開いた。

 

「こっちこそ。貴方に頼んで良かった。本当に、ありがとう。探偵さん」

 

 

 

 

 

「高橋、浜口が三日前、自主練に残ったっきり家に帰ってないそうだ。お前は仲良かったし、何か聞いてないか?」

 

「いえ、何も」

 

「参ったなぁ、なんでも最近、他のクラスでも帰らん奴がいるみたいでなぁ」

 

「そうですか」

 

 

 

 

 

 高校生活最後の一年だった。ここまで耐えれたのも、全てこの結末が見えていたから。定めたラストシーンをかき乱すのは、どんな小説でも灰色の脳細胞だということすら。

 

 仕上げの土いじりを終え、見上げるともう部活が始まっていた。

 

 探偵の推理に、永遠の友情に賛美を送るかのように、滑らかな音色が響き渡り、降り注いでいる。

 

 地面を踏みしめ、力強く歩き出す少女は、柔らかな笑みを浮かべていた。