現実
檸檬
十一月十三日
医者に言われたので日記を書く。今日は、体育の授業で気絶した。飛んできたバスケットボールが頭にあたり、よろけて体育館の床に後頭部を打ったらしい。異常はなかったようだが、これから症状が出てくるかもしれないため、記憶異常とかを見るために書くそうだ。昨日何書いたとかは見ずに、一週間分貯めて、一気に見て、覚えてないことがあったらマーカーで線を引くらしい。
何かを思い出して書くように言われたが、特に思い出すこともないので、昨日の夕飯を書く。
白米、焼き鮭、里芋の煮物、豚汁。鮭の塩が効き過ぎていて辛かった。
十一月十四日
二日目にして早くも飽きてきた。今日はクラスの人から心配されたりからかわれたりと散々だった。「絶対安静」って便利な言葉だと思った。おかげで周回走もサボれるし、体育も見学できた。どうせできないのだから思い切って授業免除してくれればいいのに。プログラム組みたい。あと、心配してくれるのはどうでもいいが、笑いながら「大丈夫か」とか言われると嫌味にしか聞こえないからやめた方がいいと思う。
昨日の夕飯は、白米、ハンバーグ、サラダ、トマトスープ。特筆すべきことは無い。
十一月十五日
もう書かなくてもいいんじゃないのか? 今日は久しぶりに生徒会室に行った。皆、口には出さないが心配していたようで、いつもなら、帰ろうとした時には「もう帰っちゃうんですか?」と言われるが、今日は「気をつけて」だった。帰り道はよーすけと一緒だった。
昨日の夕飯は、白米、ブリの煮付け、ほうれん草のおひたし、豆腐とわかめの味噌汁。ほうれん草は人の食べ物じゃないと思う。
十一月十六日
今日は休日だったから、ずっとパソコンをカタカタやってた。なぜかよーすけが遊びに来てた。結構進んだので楽しかった。
昨日の夕飯。パン、ビーフシチュー、温野菜。久しぶりのパン食だった。
十一月十七日
今日は日曜日。明日からの学校を思うとかなり憂鬱になる。体育をしなくていいだけまだマシだとは思うが、今大雨だからたぶん体育館で十分間走だろう。あれは見学のスペースがほとんどなくなるから嫌だ。休もうかな。
昨日の夕飯。カレー。美味しかった。
十一月十八日
月曜日ってだけでこんなに鬱屈した気持ちになれる日本人はすごいと思います。フランス行ってストライキしたい。あとぶっちゃけホームルームとかいらないと思う。さっさと帰りたい。体育は予想通り十分間走でした。よーすけを探したけど、学校には居ないみたいだった。風邪かもしれないから明日にでもお見舞いに行こうと思う。
昨日の夕飯。白米、肉じゃが、大根の煮物、かぼちゃの味噌汁。味噌汁にかぼちゃってどうなんだろう。
十一月十九日
火曜日。明日は病院なので、六日分の日記を読み返した。特におかしい所はなかったと思う。家に遊びに来たよーすけは、爆笑しながら読んでいた。笑いすぎて涙目になっていておかしかったけど、笑われたことがムカついたので頭を叩いた。病み上がりで叩かれると思っていなかったのか、とてもびっくりしていた。
昨日の夕飯。白米、豚のしょうが焼き、千切りキャベツ、えのきとわかめの味噌汁。美味しかった。
十一月二十日
病院に行く途中で、トラックが突っ込んできた。足というものは咄嗟に動くもので、今も五体満足だ。ただ少し気になったのは、妙に既視感があったことだ。筆箱が落ちる直前の、音になる前の音のような、ハッキリとは言えない何かが頭をよぎったような、そんな感覚があった。
検査の結果は「異常なし」だった。記憶の混濁とかもないからもう大丈夫だそうだ。でも、この日記はもはや習慣になってしまったので続けようと思う。
夕飯は、書く必要もなくなったのでやめようと思う。
十一月二十一日
昨日のことをよーすけに話した。予想してたよりも驚いてなかった。ありふれた話なのかと思って、生徒会の何人かにも話した。皆、血相を変えて僕の心配をしていた。怪我をしたならともかく、そこまで心配することでもないんじゃないのか?
十一月二十二日
「どうしてそこまで心配するのか」と、生徒会室で呟いた。よーすけはあんまり驚かなかったのに、とも。それが聞こえたのだろう。皆驚いていた。後輩なんて、零れ落ちそうなくらいに目を見開いていた。確かに普段のよーすけは過保護な気がするが、そこまで驚かれるとは思ってなかった。
十一月二十三日
前から思ってたけど、よーすけの存在感は薄すぎる。前はカバン盗られても気づかなかったし、今日はすぐ後ろに立ってたのにわからなかった。クラス行事とかサボりやすそうで羨ましい。
十一月二十四日
珍しく、明日生徒会で何かあるらしい。「明日放課後必ず来るように」と連絡があった。月曜日だから休みたかったのに、そんなことを言われたら行くしかなくなる。まあ、放課後だったら昼から登校すればいいかな。
十一月二十五日
皆おかしい。「よーすけはもう居ない」って、「もう死んだ」ってみんな言う。よーすけも一緒に生徒会室に行ったから、「ここにいるじゃん」って言いたかったけど、先に帰っちゃったみたいで、何も反論できなかった。ドッキリにしては最悪だと思う。
十一月三十日
よーすけがいない。どこにもいない。よーすけの家に行って聞いたら、よーすけのお母さんは泣いてしまった。母親まで、「よーすけくんはもういないの」って泣きながら言う。みんなおかしい。はやくみつけないと。
十二月九日
思い出した。全部。ちょうど一か月前、学校からの帰り道、トラックが突っ込んできたこと。咄嗟に動けなかった僕を庇って、よーすけがはねられたこと。ショックでしばらくまともに生活できなかったこと。体育館で頭を打って、一番辛かった、「よーすけが死んでしまった」という事実を、なかったことにしたこと。それから、別人のように「いつも通り」に生活していたこと。
日記を読み返してみたら、書いた覚えのない文字が、青色のペンで綴られていた。毎日、ずっと。内容は、学校に行くことへの激励だったり、僕が書いたことへのツッコミだったり。とても見慣れた、よーすけの字で。だから、
よーすけへ
君が見ていると思って、僕はこのページを書きます。
実は、二、三日前には、僕は君のことを思い出していました。その間、思い出したことを整理したり、これから僕はどうするかを考えていました。君は、「僕の人生と君の人生は違うから、囚われずに生きればいい」とかって、格好つけたことを言う気がするけれど、それを僕に言ってくれる君はもういません。だから、今日。君と同じ日に、君の月命日であるこの日に、僕は僕の人生を終わらせます。
僕は、君の意見には概ね賛成です。僕と君の人生は違う。でも、僕の人生は、誰がなんと言おうと僕のものです。だったら、「いつおわるか」くらいは、自分で決めたっていいと思う。この場に君がいたら、ものすごい剣幕で叱ってくれるだろうけど、残念ながら君はもう、この世にはいません。
だから、最期に伝えたいことを詰め込みます。
今まで、本当にありがとう。出会ってくれて、友達になってくれて、友達でいてくれて、本当にありがとう。大好きでした。大好きです。来世も、死後の世界も信じてないけど、君にまた会いたいと、心から思います。またね。
***
初めから、期限付きの逢瀬だとわかっていた。消えかけの意識の中、君の伝えたいことを全部受け取って、僕はゆっくり青色のペンを持った。いつもと違って、書くのはたった一言。手が震えて、いつもの倍くらい時間がかかって、ようやく書き終わった。
────またね。