世迷言

タピオカ

 

 ――ところで、名言とはいったい何処に刻まれるものなのか。

 

 日々、様々な場所で「名言」、及び「迷言」は生まれては消えていく。

 

 しかし残らなければただのスカした言葉遊びでしかないのが、名言と言われる言葉達である。まぁ、偉人と呼ばれる人々もその時代では頭のおかしい人なので、名言が奇をてらったものが多くなるのは仕方がない事なのだが。

 

 では、名言が残るのは人々の中の記憶か。それとも偉人達が記した著書の中か。あるいは、ネットのふとした書き込みか。

 

 色々あるが、こういうのもある。落書きだ。

 

「今眠るものは夢を見る。今勉強するものは夢を叶える」

 

 これはハーバード大の図書館に記された有名な落書き。ハーバード大の図書館には他にも名言が落書きされていて、勉強に関するものや、人生に関するものまで多種多様なものがある。図書館に落書きということが許されるのはハーバード大には賢い非常人が多いからなのだろうか。

 

 さて、ここ長田高校にもそれに倣ったのか、名言落書き板というのが百周年を記念して図書館に設置されたのである。

 

 流石に好き放題に書かれるのは困るのか、大きめの模造紙が近藤像の近く設置された。

 

 それが名言落書き板、通称「落ちスレ」だ。

 

 書いたやつが入試に落ちるとか、はたまた恋に落ちる、何ていうロマンチックな噂まで立つようになり、だんだんと書き込む人が増えていった。

 

 そして設置されてから二十年後、長田高校は創立百二十周年になり、落ちスレの数も三桁を超えた。増え続ける落ちスレの管理に困った教員からどうにかしてくれ、と言われ、処分するのも忍びないなぁということで、創立百二十周年記念という建前を使い、名言集を作ることになったのだ。

 

 さて、選考委員に選ばれたのは生徒会のA君と、文芸部のBさんである。一応だが、二人の間には何にもないことを書いておく。単純に二人は初対面だからだ。

 

 放課後、掃除が終わった後の図書館。埃被った大量の模造紙を前に二人は立っていた。窓の外は十一月にも関わらずまだ空は高い。

 

 Aの顔は死んでいた。想像の三倍の黴臭い紙が目の前にあったからである。

 

 とりあえず、一番上にあった茶色く焼けて丸められている紙を机の上に広げた。

 

 こういうのはどうかしらと、Bさんは模造紙の端っこを指差した。そこには、

 

『僕は人を嫌いになったことがない。人を好きになったことがないからだ』

 

「……え、いきなり重くない?」

 

 底知れない闇をその文章から感じ、初っぱなから飛ばしてくるなこの人と、Aは動揺した。

 

 Aの動揺をBさんは不思議に思ったようで、そうかしら、と、少し首をかしげてじゃあこれと、

 

『百の善意は一の悪意によって喰い潰される』

 

「……うん。さっきあんまりテイスト変わってないよね〜」

 

 何? この代の人達あれなの? 闇が深いの? ツイッターに嵌まりすぎて人間の汚い部分でも見てしまったのだろうか。

 

 よく見てみると、その横にも

 

『私を微分して、彼のいる世界に行きたい』

 

『勲章貰って上級国民になりたい』

 

 等々、酷い文面が並んでいた。いや、そらにしても上級国民になりたいは頭おかしいだろ。Bさんが選んだのが特殊なのではなく、逆に割りとマシな部類だったので、

 

「おおん……。じゃあ、Bさんが選んだ二つ入れよっかぁ」

 

 そうAは言うと、Bさんは満足げにうなずいて、まだ手を付けてない落ちスレに手を伸ばした。

 

 それから二人は完全下校時間になるまで、悪辣極まりない文章や、ただの盲言などをひたすら読み続けた。

 

 その結果Aは、精神を蝕まれた。と、言う体で、選考委員の仕事を放棄した。

 

 そして、締め切りの日。Aは草案を提出することなく、その日を終えた。案の定、Aは職員室に呼び出され、

 

「おい、もう締め切りを過ぎてるんだが」

 

 担当教室のC先生が、Aをジロリと睨む。

 

「あぁ、えっと、そうだ! 先生、これですこれ。見てください。僕はこれに倣って生きることにしたんですよ」

 

 Aの脳裏にあるアイディアが一筋の稲妻のように走った。咄嗟にAはあの日撮った、落ちスレの写真を先生に見せる。そこには、

 

『いつかできる事は今しなさい、は、いつか死ぬから今死になさい、と同意である』と。

 

「ならば今死ぬか?」

 

 C先生は冷淡に言い放った。

 

 その日、Aの姿を見たクラスメイトは誰もいない。