し物

音呼

 

 真っ暗な建物、響く時計の音。カン、カンと規則正しい足音が側を通り過ぎるのを待つ。今日の職場はどうやらあまり親切ではないらしい。ぶーたれながら段ボールから這い出し、筋肉を伸ばした。前屈後屈、アキレス腱を伸ばし、軽くジャンプした拍子に、何時間か共に過ごした段ボールを蹴ってしまったのはご愛敬。となるはずもなく。

 

 カンカンカン――ガチャ

 

 間一髪、ドアの陰に飛び込む。精悍な顔つきの男が部屋を見渡し、首を傾げて出て行った。大きく溜息を吐き(勿論音は立てずに)、すでに笑いそうな膝を抱えてうずくまった。

 

 

 

 部屋を開け、何も見えない廊下を壁に手を当てながら進む。この先にある階段を使って二階に上がり、突き当たりにある獲物を手に入れなければならない。すでに何回かやり遂げては来たが、今日ばかりは冷静を保てないのである。それというのも。

 

(あいつ、今日は警備担当じゃねーだろ!)

 

 事前の予定では、今日は警備員は誰も居ないはずなのである。この百貨店では警備会社と半年毎に契約を交わしているが、担当者の不手際から更新が遅れ、今日だけは警備員は誰も派遣されていないはず。だからこそこうやって盗みに……ゴホン、仕事に入っているのだ。警備の日を間違えるようなポンコツは予想外だった。

 

(……だがここまで来たからにはやり遂げて出るしか道はない、か……)

 

 昼間、俺の入った段ボールを運んでいた英人によると初めの部屋は一階にある。つまり、一階上がって突き当たりまで行き、手に入れたら階段を下りて窓から出て行く。赤外線だとか窓のセンサーだとかは事前に無効化済み。

 

(大丈夫大丈夫、プラン通り、大丈夫、多分、うん……)

 

 あの間の悪いポンコツめ。二階に着き突き当たりまで歩きながら、汗がだらだら流れてくる。ついでに涙も溢れそう。この百貨店では来週から新しく宝石屋ができる。そこのオーナーは百貨店のそれと同じ、つまり新事業のようなものだ。そして、何を隠そう俺の獲物はその宝石屋の目玉――ドロッピン、つまり“天からの落し物”という名の黒いダイヤなのである。手に入れた明日のことを考えてにやつきながら突き当たりに到着した俺は、そこにある段ボールの山を前に、目頭があつくなるのを感じた。

 

 

 

 うっわー、どれだ? おいおい、宝石なんか全然見当たらないぞ……。ボソボソ呟きながらひたすらに段ボールを開けていく。流石に全部の宝石をこんなに無防備な場所に持って来るはずはないか。でもドロッピンはあるはずなのだ。

 

(くっそー……なんでこんな仕事を受けちまったのか……断れる立場じゃないけど……。なんかそこはかとなく臭いし……汗だくだから仕方ないけど)

 

 

 

 ついに最後の段ボールに手を突っ込んだとき、階段がほのかに明るくなったのが見えた。

 

「誰かいるのか?」

 

 くそ、ポンコツか! 真っ直ぐにこっちに歩いてくる足音を聞きながら、段ボールの中にあった物体を掴み上げ、空の段ボールを遠くへ投げた。

 

 どんがらがっしゃん!

 

「おい、誰だ!」

 

 何か別の物に当たったっぽいが今はそんな事は気にしない! 段ボールの落ちた場所へ駆け出すポンコツを横目に階段へ走る、走る。

 

「そっちか、逃げるな!」

 

 案の定気付かれたか、だがあのポンコツに追いつかれる俺じゃない。階段を三段飛ばしで駆け下り、一階の窓に突進する。気分はメロス、いやルパン三世もありかも。なにせさっきの明かりで照らされた、握りしめてるコレは、漆黒だった。この大きさといい形といい色といい、俺の獲物に間違いない! あとは一階の窓をぶち破って車で逃げるだけだ!

 

「お、おい、嘘だろ、待て……!」

 

 ガッシャーン――

 

 割れるガラス、衝撃に備える俺、慌てるポンコツ、衝撃に備える俺、滑ってこけるポンコツ、衝撃に備える俺、窓の下を見下ろすポンコツ、衝撃に備える俺、来ない衝撃――あ、れ?

 

 

 

 ドンッッ

 

 

 

「……お、おい何の音だ。って、お前! どういうことだ!」

 

 慌てている百貨店のオーナーの声を聞きながら、意識が遠のくのを感じた。

 

 

 

 ピーポー、ピーポー……――――

 

 

 

 俺は握りしめた宝石をオーナーに渡し、驚いたその顔にニヤリと笑いかけ、意識を手放した。

 

 

 

 

 

「おはようございます、先輩! 聞いてください、実は昨日あの百貨店に泥棒が入りまして、死闘を繰り広げたんですよ!」

 

「……死闘、ねぇ」

 

 ポンコツ、もとい俺の部下の佐藤はキラキラした顔で報告する。やっと退院し復職した今日、宝石の盗難保険金を手に入れ損なったオーナーに大目玉を食らって、俺は目玉を盗み損なった事を知った。折角設備の対策も整えて車も準備して頂いたのに。イギリスとアメリカ英語の違いとか知るかよ……。ちなみに二階の真上にあった店はペットショップだった。奇しくもドロッピンは手に入れ損なったが手に入れていたようだった。……あの感触も何もかも思い出したくもないが。

 

「いやー、三階から二階まで追いかけ、あと少しで捕まえられる――! という時に、ヤツは焦って、なんと二階から飛び降りたんですよ! 僕、唖然としましたね〜よっぽど僕が怖かったんでしょう!」

 

「け、結局逃げられたじゃねーか、ポンコツ」

 

「ちぇっ、まあそれはそうなんですけど……。でもまあ、アイツ、結局何も取ってませんし!」

 

 少し膨れながらもキラキラ度の増した瞳に見つめられ、俺は、俺は……。

 

「……まぁ、そうだな! よくやった」

 

 パアアッと明るい顔の佐藤。俺はくるっと椅子を回して佐藤から顔を背け――溢れる涙を、折れてない方の手で拭いたのであった。