禁忌

伽藍洞

 

「――であるからして」

 

 夏の終わりも近い昼下がり、ほんの(かす)かな涼風(すずかぜ)が教室を揺らした。つまらない郷土史を歌う社会科教師は、生徒が話を聞いてくれることを諦めているのか、やる気の(ひと)欠片(かけら)すら見えない。いつも通りの日常だ。

 

「新学期二週目には各自、郷土史についての発表を行う。テーマは全員違うものを選べ。今配っているプリントに二十七個のテーマが書かれている。今からの時間で全員のテーマがかぶらないよう話し合うように」

 

 新学期初めの授業が郷土史とはどうしたものか。だいたい話し合いと称して生徒に丸投げするあの教師が気に食わない。

 

「じゃあ、今から番号を言っていくので、やりたいところに手をあげてください。一番をやりたい人――

 

 職務放棄した教師の代わりに委員長が授業を繋いだ。

 

 ******

 

 結局、テーマ決めは話し合いが難航し、籤引(くじび)きで決められた。私が引いたのは、

 

「花散岳、引いたらしいな」

 

「ああ。花散岳なんてテーマを入れ込んだあの教師を恨むね」

 

 花散岳は町から程遠い山奥にある山で、背はさほど高くない。せいぜい五百(メートル)を少し超えたほどである。

 

「この辺にあの山の資料は無いもんな。どうすんだ?」

 

「仕方がないから、社に行ってあたさまに話を聞いてくるさ」

 

「ほぼ伝説のあの社か。それに、あたさまなんて祟られるかもしれないって、町の奴らは近づきゃしねえ」

 

「大丈夫だろ。一つ上の学年が肝試しをしにいって、何もなかったらしいしな」

 

「気をつけろよ。花散岳については昔から良い噂は聞かねえからな」

 

「花散岳に行った者は帰ってこないっていうあれか。心配ないさ、麓までしか行かねえよ」

 

 ******

 

「あたさま、あたさま。花散岳について教えてください」

 

 細い山道をたどってたどり着いた花散岳の麓には確かに社があった。切り立った岩肌に(かけ)(づく)りの社は、いつか写真で見た投入堂(なげいれどう)のように風景に溶け込んでいる。

 

「何故我にそんな事を聞くか」

 

「それより他に花散岳について知る方法がないからです」

 

 仄暗い社内に二人分の吐息が響いた。社の内部は岩を削って造られたらしく、ひんやりとした空気が身体を撫でていく。

 

「自身で登れば分かろう」

 

「それはできません。花散岳に登ったら帰れぬ者になるそうなので」

 

「それでは、お主には何も分からぬよ̶̶

 

 蠟燭の火が消えたのか、仄暗かった社内にいっそうの闇が落ちる。

 

̶̶あたさまは教えてくれないんですか」

 

「我が教えることではない。お主が感じることだ」

 

「あたさまは感じられたことがあると」

 

「我もまた、あたさまに」

 

「っ!」

 

『こう背中を押されたからな』

 

 ――目の前に広がるのはすでに仄暗い社内ではなかった。

 

『頂に至らなければお主は花散岳から出られぬ。勿論(もちろん)、お主が今いるのは花散岳の森の中だ』

 

 脳にあたさまの声が響いた。

 

 私の日常が音を立てて崩れ去った気がした。

 

 ******

 

 果たして、頂に至る一本の道は細い山道であった。町民が寄り付かない山道にしてはいやに綺麗で、それほど遠くない過去に誰かが通ったことは明白である。若干の気味の悪さを感じながらも、妙にくっきりと浮き出る道を行く。

 

 

 

 はらり、と音がした。

 

 

 

 今を盛りと咲く桜が、花弁をひとつ、ふたつと(こぼ)しているのだった。闇に浮かぶ満開の桜はただただ美しい。美しい、という言葉さえ烏滸(おこ)がましいほどに、完全な美しさだった。

 

 ――だが、その美しさが多くの犠牲の上に輝くものだと分かるのに、さほどの時間はかからなかった。

 

 桜の樹の下の土と思われたものは、(おびただ)しい数の死体であった。腐乱し、グズグズに崩れた死体の数々。眼球が飛び出し、爪が剥がれ、全身が透明な体液にぬめっている。幾千の人間の生き血を(かて)に、桜は咲いているのだった。

 

 不意に、幾千もの手が迫ってきた。驚きで腰が抜けていた私は容易くその手の群れに捕まり、桜の樹へと叩きつけられた。

 

 正確には吸い込まれたというべきか。叩きつけられる、と目をきつく閉じた瞬間、桜の樹にぽっかりと穴が開き、そこに吸い込まれたのである。

 

 樹の中には、不思議な空間が広がっていた。

 

 円形の空間に、測ったように木乃伊(ミイラ)が円を描いている。目が落ち窪み、髪が僅かに残り、肋の骨が浮き出し、全身が樹と同化した木乃伊たち。

 

『我等が仲間の誕生じゃ』

 

 一つの木乃伊が歯のない口を開けて、にたあと嗤う。

 

(あだ)(ざくら)の継承じゃ。五百年に一度のお祭りじゃ』

 

 また別の木乃伊が皺くちゃの茶色い手を叩く。

 

 いきなり、見えない力に押されるようにして、一つの木乃伊の前に突き出された。

 

 何故か二人の人間が合体した木乃伊。奇妙

 

 なことに、私はそれに既視感を覚えた。

 

「だから言っただろ、気をつけろって」

 

 耳元で声が囁いた。慣れ親しんだ声だった。

 

「何故あの時止めなかった」「どうせ、日常では結ばれない運命なんだ。非日常に踏み入れるしかないだろ。どれだけ愛し合っていたって、俺たちは、双子なんだから」

 

「これは私たちの本体か」

 

「ああ、そうさ。ちょっと前に俺たちが『あたさま』を継承することが決まった。あとはおまえの了解のみだったんだ」

 

「全て、おまえが仕組んだ必然だった、ということか」

 

「その通りさ。憎むか、俺を」

 

「神の降り立つ桜の桜守になれるとは光栄なことだ」

 

「はっ、それだけじゃないだろう」

 

「さあな」

 

 ******

 

 三日三晩、季節外れの桜吹雪が町を彩った。町の奴らは気味悪がって、花散岳の呪いだ、と口々に囁いた。

 

 ――だが、その桜吹雪を見て、私は悟った。

 

 背筋が凍るような美しさとは、限りなく完全に近い不完全なのだと。