ぬのなら一人で死ね

タピオカ

 

 失敗した。もうどうしようもないほどに、手の施しようがないほどに、俺の人生は終わった。今俺がここで死んだとして、この世に残るのものは借金の借用書だけ。何故俺がこんなに落ちぶれたのかは実に単純なことで、友人、具体的に言えば連帯保証人のせいだ。本当に何の面白味も、意外性もないありきたりな理由だろう。

 

 ある日唐突にもう何年も会ってない友人から連絡が入って、飲みに誘われた。その頃仕事に追われていた俺はあまり深く考えることなくその誘いに乗った。乗ってしまった。

 

 その日は外で夜遅くまで飲んでから、電車もバスも無くなっていた。忘れていた昔話に花が咲き、割と楽しかったのは間違いない。友人が飲み足りないと言ったので、特に断る理由もないし、一軒目に比較的近かった俺の家で飲み明かすことにした。

 

 そこから俺の記憶は一切ない。缶チューハイの横に、何故かスポーツドリンクのペットボトルがあったのだけは覚えているけれど。スポーツドリンクドリンクとアルコールの相性は最悪で、人を酔い潰すには持ってこいの組み合わせだが、その時はその知識が思い出せなかった。

 

 次の日の朝、二日酔いでガンガンする頭を我慢して、イヤイヤ起きたら友人は消えていた。さすがに不可解に思い電話をかけてみても繋がらない。一体どこに行ったんだと考えてた、その瞬間、玄関のドアが激しく叩かれた。そして鈍い金属音と重なる知らない男の怒号。ドアに付いている覗き孔から様子を窺うと、どう考えてもカタギではない、いわば裏社会の人が見たこともないような形相でコッチを睨んでいた。一気に酔いも醒めて、部屋から逃げようとしても俺の部屋は生憎、四階に位置していた。もしベランダから逃げようものならば全身の骨を折ってしまうだろう。逃げようとして逆に逃げれなくなるなんて本末転倒で馬鹿げてる。だから、もはや開けざるを負えなくなって、扉を開けた。

 

 そこから地獄……いや、地獄なんて言葉が当てはまらないほどの過酷な日々が始まった。

 

 俺の印鑑の位置が少し変わっていたのに気がついたのは、取り立て屋が帰ってからだった。

 

 扉を開ける前より先に、警察を呼んでおけばと後悔したこともあった。が、結果的には呼ばなくて正解だったのだろう。ふと違和感を感じて右腕を見てみると見覚えのない不自然な小さな穴が空いていた。

 

 多分、友人が俺が寝ている間に何かしらの薬を投与していたのだと思う。もちろん胃腸薬なんかじゃなくて、もっとアブナイやつだ。依存するぐらいのキツイやつじゃなくて良かったと、ポジティブに考えてみたり。

 

 ……とどのつまり、俺はあの誘いを受けた時点で詰んでいた。

 

 膨らみに膨らんだ友人の借金は既に数百万はあった。年収四〇〇万程度のサラリーマンには到底返しきれない額だ。会社だけじゃ足りなくなって、夜の工事現場のバイトも掛け持ちした。そんなに続くわけがなく、大事な会議の時に寝坊してしまって元々の会社はクビになった。そこからはもう色々な仕事をして食いつないだ。ゴミを拾って売ったこともあった。

 

 遠い所から、獣の叫び声のような音が近づいてきた。ゴォ、と俺の体を空気が叩きつけ、逃げていく。

 

 ここに来て、ちょうど四本目の快速電車が目の前を通り過ぎた。快速電車は、街の中心から離れたこの地域では一時間に四、五本しか通っていない。つまりもう小一時間はこの踏み切り前に立っているという訳だ。……死ぬ間際まできても本当に情けない男だ、俺は。

 

 少し経って、聞きなれた不愉快な電子音と共に踏み切りのバーが上がった。車の往来はやはり郊外だからか昼を過ぎても少ない。その上歩行者も、自転車も、誰もこの踏み切りを通らない。少し離れた所に黒塗りの外車が止まっているだけ。闇金は俺に生命保険や障害保険をかけている。ご丁寧なことだ。そう、俺のとれる選択肢はもう、たった一つしか残ってない。

 

 だからここに立っているのだ。……だけどその最期の一歩がどうしても踏み出せない。

 

 死にたいわけじゃない。でもこの世に未練などもはや、ない。何かもう疲れた。何のために生きてるのか分からなくなった。なんで俺がこんな目に合わなければいけないんだと思ったこともあったけど意味の無い妄想だ。でも、一つだけやり残したことがあるとするならば、どうせなら、俺をこんな風にした原因の友人を滅茶苦茶にしてから死んでやりたい。

 

 けれど、その相手がここには居ないし、多分海外に逃げているので見つけられないだろう。それ以外はもうどうでもいい。

 

 本当にどうしようもないんだよなぁ。クラクションが後ろから聞こえた。あからさまな催促だ。

 

 俺は何か最期に出来るかと思って割れたスマホを開いた。最初に目に入ったのは、ある事件に対する一言だ。『死ぬのなら一人で死ね』

 

 別にぐうの音も出ないほどその通り。けど、死んだ人間に言っても無駄でしかない。だから大抵の無関係な人がその言葉を発しても、それは道徳心や気づかい、同情からなどではなく、ただ自分自身のストレスを発散しているだけだ。正義感であっても正義ではない、何かほかの別物。

 

 何故、言葉がナイフである事を忘れるのか。今、嫌悪している通り魔犯人とまさに自分が同じ行為をしているのだと気づけないのか。

 

 その刃物が何処に向いているのか知りもしないで、不特定多数に向かって投げつけれるのか。俺には理解できない。

 

 死ぬ時はみんな『独り』で死ぬのだから他人を巻き込んで死んでも死ななくても犯人は『ひとり』では死んでいるには違いない。……まぁ、こんな考えも誰かの正義感の餌食になるのかもしれないな。

 

 そもそも、自分自身の命を大切に出来ない人が、他人の命を大切に思えるわけがないだろ?

 

 逆説的に言うと、他人の命を大切にしないやつの命なんて大切にしなくてもいい。この論理の最たる例が死刑だ。人を殺すことが正義として成り立つ唯一の例。

 

 あぁ、何となくスッキリした。そうだ、そうだよ、正しければ何をしてもいいんだ。何も出来なかった俺は、俺なりに最期に一つ大きなことをやろうと思う。覚悟を決めた俺はくるりと一周して来た道を引き返した。

 

 

 

『速報です。今日午後十二時頃、兵庫県神戸市西区の郊外で、暴力団関係者と見られる男が車内で殺害されているのが発見されました。犯行に使われたのは拳銃と見られ、犯人は未だ逃走中です』

 

 

 

『速報です。先程の事件の犯人と見られる男が、三ノ宮駅周辺に現れました。手には拳銃を持っており、中心に向かって真っ直ぐに歩いています』

 

 

 

『速報です。今男が何かを叫んでいます、ここからではよく聞き取れません。あぁっ! 男が発砲しました。二発、発砲しました。辺りは騒然となっています……』

 

 

『速報で……』