音呼

 

 

 

 うららかな春の日だった。

 

 わたしは、片田舎の列車に揺られていた。

 

 あまり整備されてない線路だからだろうか、ゴトン、ゴトン、と振動が伝わり、より眠気を誘っている。

 

 窓の外では暖かな光に包まれた、優しい色のすみれが咲いていて、きっと松尾芭蕉はこんな風景を見たのだろう、などと回らぬ頭で考える。

 

 しかし、わたしは松尾芭蕉とは違い、とある用事で急遽川に足を運ぶことになったというだけである。

 

 しかもその理由は、登山のようにわたしを楽しい気分にさせるものではなく、少々面倒くさい類のものなのだ。

 

 わたしは何度目か分からないため息をついた。

 

 そして、すみれから向かいの席に目を向けた。

 

 向かいに座っているのは、今風の若い男性である。

 

 長めの金髪に、だらっとした服装で、膝にリュックサックを置き、一心不乱に携帯を見つめている。

 

 近頃の若者は……などと思うのはきっと自分が年老いたせいだろう。

 

 またひとつため息をついた。

 

 ちょうどその時。

 

 ガタンッ

 

 急なカーブにさしかかり、体が横に大きく揺れた。

 

 慌てて体を戻してふと前を向くと、男のリュックが投げ出され、鞄から黒いもじゃもじゃしたものが顔を覗かせていた。

 

 

 

 いや、それは、本当に顔のついた、人の頭であった。

 

 

 

 次の日も、同じ列車に乗った。

 

 昨晩は一睡もできず、目の下にクマができていた。

 

 まさかまたあの男に会うなんて馬鹿なことはないだろう、それに何よりまだ用事が終わっていない。

 

 願わくば男のことすらも眠気による見間違いであってほしいが。

 

 

 

 駅に着いた列車には、当たり前のように男が乗っていた。

 

 わたしはなんだかおかしくなって、抱腹した。

 

 

 

 いつもの時間に駅に着いたわたしは、少し男に興味を持ち始めていた。

 

 結局、昨日は男が何か持っていたかは分からなかったが、わたしに見られるのを恐れたのかもしれない。

 

 だとすると、やはり。

 

 目撃から2日経ち、冷静になった今は、あの頭は本物だったと思うようになった。

 

 本物ならどうしようか。

 

 頭を店で買えたりする訳がないのだから、やはりあの男は殺人犯か。

 

 髪の長さからして、女である可能性が高いな。

 

 だとしたら、痴情のもつれが原因であろう。

 

 顔はちらっとしか見えてなかったが、彫りが深く、色が白かったと記憶している。

 

 これまで男を何人も手玉にとり、貢がせてきたのかもしれない。

 

 そして、女が誰かと浮気をして、逆上した男がグサッと……。

 

 正気に戻った男は、遺体をどこかに捨てようと、この電車に乗っているのかも……。

 

 三流のチープなドラマとかにありがちな話だが、ないとも言い切れない。

 

 いやいや、原因はお金かもしれない。

 

 元々二人はサークルかなんかで知り合った友達で、男は金に困っていた。

 

 男にせびられ、女は男の為にと金を貸すように。

 

 しかし、女は借りるばかりで返さず、返そうともしない男に見切りをつけ、返済を迫る。

 

 のらりくらりと言い逃れる男。

 

 ついに女は、弁護士に頼むと男に告げ、俺を売るのか! などと逆ギレして、グサリ……。

 

 お金と恋愛が殺人の原因である事が多いと聞くが……。

 

 いずれにせよ、男が事件に関与しているのは間違いない。

 

 わたしは警察に通報するべきか?

 

 いや、ただの老人の妄想と思われるのが関の山だろう。

 

 なにか確証が……。

 

「……さん、お客さん、乗らないんですか?」

 

「あっ、すみません、乗ります……」

 

 危ない、乗り遅れるところだった。

 

 まだ用事は済んでいないのだ。

 

 手を焼いたりしたが、まぁ、明日くらいで終わるだろう。

 

 終わった後のことを考えて、少し気分が明るくなった。

 

 よし、明日は少し冒険してみようか。

 

 案の定、席に座っている男を一瞥して、武者震いした。

 

 

 

 今日は、男が降りる駅まで乗ることにした。

 

 昨日、決意した通り、わたしは男の後をつけるという冒険をする事にしたのだ。

 

 殺人犯が、3日前頭を持って向かった先は、きっとアジトだろう。

 

 少し怖い気もしたが、好奇心の方が上回っていた。

 

 突き止めても、通報は匿名でしたらいいだけだし、やはりどうしても気になってしまう。

 

 わたしは、膝にリュックサックを乗せて、頭を抱えた。

 

「終点、神宮西駅です。お降りの方は、忘れ物のないよう……」

 

 立ち上がった男の後を追って、わたしも列車を降りた。

 

 駅の隣には、大きな川が流れていた。

 

 反射光に目を細めながら、ここにも川が……、などと思った。

 

 男は川とは反対方向に歩き出した。

 

 少し進み、男は路地に入った。

 

 わたしも緊張しながら、恐る恐る路地に足を踏み入れた。

 

 すると、パタッと男は歩くのをやめた。

 

 まさか、気づかれたか……!

 

 息を殺していると、男は建物の中に入っていった。

 

 少し経ってから近づくと。

 

「いらっしゃいませ、カットの方ですか?」

 

 深いため息が漏れた。

 

 いえ、と踵を返して、川のところまで戻った。

 

 美容師だったのか、ならあの首はマネキンか……。

 

 なんだか、拍子抜けしてしまった。

 

 馬鹿な自分に笑みをこぼしながら、わたしは最後の頭を、川に落とした。