天にのぼる汽車 

 

安堂なつ

 

 

 

 気が付くと、心は汽車の中にいた。 

 

  青い青い空の中を、汽車が天に向かって走っている。 

 

  汽車は心が知っている汽車とは少し違ってう。瑠璃色に輝く水が、どこからか注がれて、水車で動いている。 

 

  柔らかい風に髪を撫でられながら、窓から身を乗り出して、心は歓声をあげた。心が通う小学校と、いくつもの赤や緑の家の屋根が小さく見える。 

 

  と、突然、後ろから声がした。 

 

「だ、駄目だよ、こ、心君! ここに居ちゃ駄目。早く戻らないと……」 

 

  振り返ると、おどおどしたハリネズミがこちらを見ていた。 

 

  その隣には、気怠そうに毛づくろいする猫も居る。 

 

  「帰る必要なんて無いわ。ずっとここにいていいのよ」 

 

  今度は、猫が言った。 

 

  猫やハリネズミが言葉を喋っても、おかしな展開の夢を見ているすときのように、心はそれほど不思議に思わなかった。 

 

「どうしてここに居ちゃいけないの?」 

 

「この行き先が、て、天国だからだよ。君は生死のさかいをさまよってるんだ」 

 

  ハリネズミの答えに、心はぎょっとすると同時に、嫌な記憶へと引きずり込まれた。 

 

  意地悪な3人組、父さんがいないことに対する嫌な言葉、まとわりつく彼らを振り払う……。それから、彼らの母親が叫ぶ甲高い声、──辛抱強く下げ続けられる母さんの頭。ようやく家に帰って心は高熱を出した。 

 

「ここに居れば、そんな思いしなくていいのよ。帰るよりずっと楽だわ」 

 

  猫の言葉に、それでも、心は首を横に振った。楽をするのは、ずる休みをしている気がしたし、ちょっと怖かった。 

 

  すると、猫が呆れ声で言った。 

 

「なんてバカな子! わざわざ苦しい道を選ぶって言うの? ここならお前の父親にも会えるっていうのに」 

 

  (──父さん) 

 

  会ってみたい、それならここに居てもいい。心は猫の方へ踏み出した。 

 

  その時、がたん! と汽車に衝撃が走った。 

 

  水車を動かす水が突然増えて、汽車の速度を著しく上げている。そのうえ、溢れた水が、町を瑠璃色に浸して、水面が上へ上へと迫っている。 

 

「て、天国に近づいてきてる! 心君、死んじゃ駄目、生き……」 

 

「綺麗事言うんじゃ無いわよ! あの水は母親の涙よ。帰ることないわ、悲しんだせいで、子供が死に近づくような怪談より酷い世界!」 

 

  猫が遮ると、ハリネズミは瞳を潤ませて、カサカサ針を立てて、閉じこもってしまった。それでも、ハリネズミが泣き声で言った。 

 

「でも、涙のお陰で、飛び込んでちゃんと、い、家まで帰れるよ」  

 

(母さんが泣く……?) 

 

  大人が泣くなんて信じられなかった。 

 

「ぼく、帰るよ」 

 

  母さんが悲しんでいる。心には、帰る理由はそれで十分だった。嫌な人達にも、絶対に負けたりしない。父さんに会うのは、ずっと先でも構わない。 

 

  猫が寂しげな目で一言、バカな子とだけ呟いた。 

 

  心は、帰る場所を目指して、日の光を受けて輝く、瑠璃色の中に飛び込んだ。