あなたは私の

 

雪村

 

 

 

 始まりがいつだったのかは、はっきりとはわからない。でも、ソレを意識し始めたのはあの日からだった。

 

 

 

 

 

 朝、目が覚めると、視界の端に黒いものが見えた。髪の毛だった。敷布団と掛け布団の間から生えるように挟まっていた。私の抜け毛、なのだろう。咄嗟に自分の頭を触った。大丈夫。触った手は、いつものようにフサフサとした感触を伝えた。それならば、なんの問題もない。布団なんて髪の毛がついているものだ。捨ててしまおうと指でつまんだところで、あれ、と思った。重い、抜けない。どこかに引っかかっているのかと思い、確認する為に少し布団をめくった。途端。背筋に何か冷たいものが走った。少し前までの朝のボンヤリとした怠さは跡形もなく消え、代わりに芯から冷えるような気味の悪さがやって来た。めくった事を、見てしまったことを後悔した。そこに有ったのは川だった。髪の毛の流れによって作り上げられた川。私の自慢の髪と同じ色をした真黒の髪の毛が、何十本も何百本も。その先に人の頭があるかのように、黒い川を作っていた。髪はさらに布団の隙間へと消えていた。私にはそこをめくる勇気が無かった。いまも私が被っている布団は、その中に何も隠していないことを証明するように、私の体に沿ってペタンと潰れていた。その日から、黒いソレは様々な所から出てくるようになり、私の自慢は艶を失った。

 

 

 

 

 

 次は家族団欒の時間だった。食事中、母親に、こら。足を蹴らないで。と、注意された。どうやら誰かの足が当たったようだった。私は心当たりを持っていなかったが、母親は怒ると面倒な人なので素直に謝った。しばらくすると、突然母親が怒りだした。やはり、さっきからずっと誰かが足を蹴ってくるらしい。相当頭にきたらしく、料理を作った人に対して、なんて事を。と言い捨てて、私室に戻ってしまった。私は兄と顔を見合わせ、続きを食べながら洗い物の押し付け合いをした。私は、椅子の上で正座をして食事をしていた。その日から、私がつまづいたり、物にぶつかったりする回数が多くなった。

 

 

 

 

 

 その次は、休みの日だった。リビングでテレビ見ていると、二階から降りてきた兄に驚かれた。兄は、いつの間に降りてきたんだ。気配無さすぎだろ。と言ってきた。何のことだと聞き返すと、お前さっきまで寝てたじゃねぇか。と返された。兄は、私に借りていた漫画を返すために部屋へ入り、そこで布団が盛り上がっているのを見てそう考えたらしい。テレポートの力でもあるのか。と、茶化してきたから、うわ、発想が馬鹿っぽい。永遠の中学二年生だね。と返した。兄は、このやろ。と言いながらも、仕掛けを見つけてやる。と意気込んで、笑い混じりに二階へ上がって行った。しばらくして降りてきた兄は私に、お前、人体模型とか好きだっけ。持ってたのか。と聞いてきた。顔は少し強張っているように見えた。あぁ。あれを見たのか。と思った。その頃にはもう、私には周りにナニかがいるという事が当たり前になってきていた。髪の毛が見えるどころか、物陰から手が見えたり影が二人分できたりという事も少なくなくなった。友達の中には、気味の悪さを感じたのか次第に寄り付かなくなった者もいたが、私は何も感じなかった。恐怖心は、とうに慣れというさらに恐ろしいもので消されていた。その日、私は溜めていたドラマの録画を見るために、朝からずっとテレビを見ていた。その日から、私の知らないワタシが目撃され始め、私はやけに眠たくなる事が増えた。

 

 

 

 

 

 最後は、ある金曜日の夜にあった。友達と、十三日の金曜日だよ。不吉だねぇ。と、ふざけながら、珍しく夜遅くまで遊んでいた。家に帰ると、もう皆寝てしまっていたようで、真っ暗だった。起こさないように足音を忍ばせて部屋へ戻った。もう寝てしまおうと、ベッドに向かうと、そこには、すでにワタシが居て、穏やかな寝息をたてていた。あぁ。なんて日だ。不吉なんてものじゃない。そう思った。家の様子に、違和感を感じなかったわけではなかった。母親は、普段どれだけ遅くなっても大抵全員が帰ってくるまで起きて待っていてくれた。どうしても起きていられない時は、電気を点けて書き置きを残してくれた。それらの情報を全て、眠かったのかな。と流したのは、慣れによって感性を鈍らせてしまった私だ。とにかく、ここに居てはまずい。きっとコレが目を覚ませば。そこまで思ったところで、ワタシの目がパチリと開いた。急に強い睡魔に襲われて、咄嗟に目を逸らして見た先には、大きな姿見があった。そこには、傷んだ髪に少しやつれた顔と酷い隈を化粧で誤魔化した私がいた。そこからも目をそらして、私は、これじゃあどっちがバケモノかわからないじゃない。と自虐的に笑った。そんな私とは対照的に、ベッドで眠っていたワタシはツヤツヤとしていて、キョトンとこちらを見る様子はとても人間味があった。ワタシは何かを言おうとしたのかスゥと息を吸った。それと同時に私は、まるで自分の周りの空気だけが薄くなってしまったかのような息苦しさを感じた。その息苦しさはどんどんと増していき、手足の感覚が遠くなっていった。それとともに消えていく意識で、私は私が何かを言っているのを聞いた気がした。私の言葉は、私に届かなかった。

 

 

 

 

 

 私は一度だけ、怪奇現象に出会ったことがあった。真夜中近く、寝ている時だった。ふと、目が覚めて側を見ると、幽霊のような女の子が立っていた。寝ぼけていたのか、不思議と怖さは感じなかった。ナニカに精気を抜かれたように突っ立っているその子は、よく見ると私ととてもよく似ていた。私の幽霊、とは違うか。そう思ったところで、より的確な言葉を見つけた。そうだ、今日友達に教えてもらったんだ。どうせなら本人に聞いてみようとスゥと息を吸った瞬間、その子が苦しそうな目をしたのが気にはなったけれど、私は好奇心に勝てなかった。だから聞いた。

 

 

 

 

 

「あなたが私のドッペルゲンガー?」

 

 

 

 

 

 その瞬間。その子は、空気に溶けるように消えてしまった。もう、現れる事はなかった。