五文銭

 

仏谷山飛鳥

 

 

 

 私は真っ暗な一本道を、ただひたすら続くこの道を、一人きりで歩いてきた。辺りを見回しても、一寸先は闇である。まったく、なんということだろう。借金を抱えたまま、幼い娘と妻を残したまま、こんなところに来てしまうなんて。すまなかった。本当に、すまなかった。

 

 にしても、ろくな人生ではなかった。特に何かを残したわけでもなく、後悔の連続ばかりである。都に憧れ、必死に生きていた時代は刹那のごとく、歳を取った両親と苗を植えては刈り、同じような年月を繰り返した。十年ほど連れ添った妻には迷惑をかけてばかりであったような気もする。

 

 ふと顔をあげると、道の真ん中には一輪の花が咲いている。その地味で小さな花をよく見ると、幾重にもなる花弁がこちらを向いていた。こんなところで咲いて、ここでずっと生きていくだけ。この花は幸せなのだろうか。そんなことを考えながら、再び足を前へ進めた。

 

「死」というものを実際に迎えてみると、生前のことがばかばかしく思えてきた。人は皆死を恐れ、病を避けようとする。だが、それは本当に必要だろうか? そこまでして生にしがみつき、寝たきりになってもなお医者や家族の世話になる。なんておろかな動物だろう。

 

 この間まで人間であった者が神にでもなった気だろうか。生という鎖が解けたいま、どこからか自信に近い不思議な感覚が生まれてきている。

 

 

 

 二時間ほど歩き続けた。そろそろか、と思っていたその時、目の前にぼろぼろの着物を着た老人が立っていた。

 

「おい男よ、銭をくれぬか」

 

 老人は荘厳な雰囲気であったが、言っていることはまるで乞食だ。私は無視して、いったんその場を通り過ぎたが、なんとなく男のことが気になって引き返した。

 

「あなたはずっとここにいるのですか」

 

 はじめ老人は口を開かなかったが、しばらくの沈黙ののち話し始めた。

 

 長いことここにいる。一度は三途の川まで歩いたが、銭が足りずに帰された。かといってこれ以上生きる意味も見出せず、帰るにも道が長すぎる。だからこうして、ここで道行く魂を眺めているのだ。生前は辛いことの連続だった。学生時代は国を支えるだの変えるだのと言って、つまらん夢に向かってがむしゃらに走っていた。大学を卒業すると、すぐに戦争が始まった。他国との衝突が激しくなると、俺のもとにも赤紙が届いた。戦地へ赴き、最前線で戦闘を続けた。なぜ人は争わねばならないのか。苦しい日々が続いた。しかしついに、相手の砲撃によってこの片腕を失った。

 

 最初は気付かなかったが、確かに老人の片腕はなかった。老人は続ける。

 

 間もなく国は戦争に敗れ、俺の孤独な生活は日を増すごとに厳しくなっていった。その後は実家で両親の世話になることになったが、戦時中の事を思うと何か仕事に就くことも億劫になってしまった。何もかもがいやになった。父と母に寄生しながら、食って寝るだけの生活を続けた。両親が死んでからは、国からの生活保護で生活を続けた。戦争に行っていたため、国からの補助は、生きていくのには十分なもんだった。しかし、六十を超えたくらいに、生きることに一切の思い入れも無くなった。社会は俺を置き去りにし、俺の身体は朽ちていくだけ。そのとき、ようやく自分の使命に気付いた。ようやく社会に貢献することができたのだ。

 

 ふと老人の顔を見ると、彼の眼には涙が浮かんでいた。私は持っていた銭を一つ取り出し、彼に渡した。男は深々とお辞儀をし、感謝の意を私に伝えて、その場を立ち去った。いいことをした気になった。しばらく歩いて銭入れを確認すると、そこには銭が五枚しかない。渡すときに確認していなかった。気づいた時には、もう遅かった。そこには水の流れる音が聞こえていた。私は仕方なく、もと来た道を引き返した。