献身
布団
帰り道、いつものあの人が橋の下にいる。
今日こそちょっと話しかけようかな、なんて思ってやっぱり素通りする。
と思っていたら、前からあいつらが来た。
僕が苦手な奴らだ。
暴力的で、人が嫌がることをして楽しむガキ大将とその取り巻き。
同じ小学五年生とは思えない。
この前は、僕が飼っていたオイカワで遊んで衰弱死させたし、その前はチラカゲロウを逃がされた。
だから僕は、そいつが来たら逃げることにしているのだ。
そして、僕は橋の下に逃げ込んだ。
橋の下から様子を伺いつつ、通り過ぎるのを確認してから、そーっと後ろを振り向く。
すると、案の定、あの人がこっちを向いていた。
言葉を発してはいないけど、誰?! みたいな顔をしている。
その顔が余りにも面白かったので、僕は思わず吹き出してしまった。
そしたらその人は、何笑ってるんですか! みたいな顔をする。
その顔が面白くて、余計に僕は笑う。
ひとしきり笑ったところで、僕は気になっていたことを聞いた。
「あなたは喋らないんですか?」
そうすると、こくりとその人は頷いた。
「なぜ?」
と聞いて、あ、喋らないから答えれないじゃん、と思ったら、その人がなにやらごそごそとポケットからスマホを取り出した。
そして、何か打ち込んでこちら側に向ける。
「……………………」
僕はあまりの状況のシュールさに、絶句する。
そこには「私、幽霊なんで」と書かれていた。
幽霊とか怪談とかの概念が崩れ去っていく音がした。
幽霊がスマホでコミュニケーションするってなんぞや。
ともあれ、これが僕とあの人との出会いだった。
それからは帰り道に、よく橋の下に行くようになった。
あの人と会話というか筆談をしている。
話して分かったのは、あの人は表情が面白すぎるということ。
コロコロ変わるから見ていて飽きない。
そういうと怒られてしまった。その表情もまた面白かった。
それと、あの人はすごく博識だ。
僕はよくこの川で、生き物を観察している。
だから生き物のことなら誰にも負けない自信があったのに、あの人には負けてしまった。
本当にすごいと思う。
なぜこんなに詳しいのだろう。
気になって聞いてみると、どうやら昔、ここで何かしらの研究をしていたらしい。
「何の研究?」
と、他愛ない感じで聞いたのに、その瞬間、あの人の雰囲気が凍り付いた。
「え……」
辺りを緊張が支配する。
何が起こったのか理解するのに、十数秒かかった。
すると、あの人はしばらく黙った後、スマホを操作してこちらに差し出す。
「知らなくていい」
そして、僕とあの人の間に、冷たい壁が作られた。
その時は、あの人の剣幕に押されて何も聞けなかったが、家に帰るとやっぱり気になってくる。
あの人が怒った理由が知りたかった。
でもそれ以上に、あの人の怒りの裏にあった恐怖というか、そんなようなものが知りたかった。
だから僕はインターネットで調べることにした。
でも、何にも見つからない。
研究どころか、そもそもこの時原川に関しての情報が少ないのだ。
もうこうなったら自分で調査するしかない。
翌日、あの人に研究する旨を伝えに行った。
「昨日調べたけど、研究のこと、何も出てこなかったんだ。
君が研究するってことは、多分生き物のことだよね。
だったら、僕がこの川の生き物を研究する」
するとあの人は、焦りと恐怖が入り混じった顔をした。
相変わらず分かりやすい表情だ。
だから僕は「君は何が怖いの」って言ったんだ。
そうしたら、しばらく迷う素振りを見せたものの、あの人は何やら決心したようにスマホを操作し始めた。
差し出されたスマホに書かれたことを見て、僕は何も言うことができなかった。
だけど、もっと決意が固まった。
「僕が明らかにするから。だから待ってて」
五年かけてこの研究は完成した。
初めはあの人もいい顔をしなかったけれど、次第に僕を手伝ってくれるようになった。
困っている僕を、あの圧倒的な知識で助けてくれたのだ。
そして、この研究がとうとう明るみに出る時がそこまで迫っている。
高鳴る鼓動を抑え、手の震えを殺し、マイクを持って壇上に立つ。
息を吸い込む。そして、
「この研究は、昔一度行われました。しかし、故意に消されてしまったのです」
あの時、あの人が差し出したスマホにはこんなことが書かれていた。
この川はどうやら汚染されているらしい。
そして、その原因は近くの大手企業の工場だった。
昔からこの近くに住んで、この川を見てきたあの人は、汚染に気づいたらしいが、確かな証拠もなく、何も言えなかった。
しかし大学に入ったのをきっかけに、この川を研究することにしたらしい。
そうして研究を進め、原因があの工場という証拠をあと一歩で掴むというところまでいった。
ところがその話を企業が聞きつけ、研究を潰して隠蔽しようとした。
その結果、あの人の家が燃やされ、大学に残っていたデータも圧力をかけ、消させたらしい。
あの人の研究はついぞ、世に出ることはなかった。
他にも異変に気が付き、声を上げた者もいたが、市にもみ消されたそうだ。
その事件から七年たった今も、まだ汚染は続いている。
「以上が僕、高石学と、協力者、高砂綾乃の研究でした」
発表が終わった後、しばらく沈黙が続き、その後、大きなどよめきが巻き起こった。
僕は晴れやかな顔で、壇上を後にする。
最後に一つ。
分かるだろうが、高砂綾乃はあの人の名前だ。