隣の北川さん

 

アルミホイル

 

 

 

 ボクの隣の席に、北川朝子という女子生徒が座っている。きめ細かくて真っ白な美肌の持ち主で、男子達からは校内で五本の指に入る美人として位置付けられている。そんな彼女だが、実は彼氏いない歴=年齢で、校内で彼女を狙っている男子の噂は絶えないが、誰一人として交際に漕ぎ着けた者はいない。というのも、彼女はやや性格に難ありなのだ。成績も優秀な彼女は、自尊心が人一倍高くて誰の話も聞き入れず、偶然テストの成績で勝ってしまったボクにやたらと敵対意識を燃やしていて、数学のノートを真正面から強奪されるというあからさまな妨害行為を受けたこともある。怒りを通り越して呆気に取られた僕は、誰かに彼女の悪事を言い触らすことはなかったのだが、それ以来彼女を危険人物と認定して近づかないようにしている。定期的にノートを返せと言ってみるが、大体返ってくる答えは「記憶にない」とか「終わったことだ」とか。

 

 そんな北川さんの様子が、最近おかしい。別に今に始まったことじゃないけれど、授業中、休み時間問わず貧乏揺りをしたり視線を泳がせたりボクへの態度が妙に優しかったり、さらに、以前に増して感情の起伏が激しくなったような気もする。

 

 ボクが思うに、彼女の異変にはおそらく、今年の四月から転校してきた男子生徒、米田虎太朗が関係している。米田君は北川さんと割とよく似た性格で、頭脳明晰高身長、自尊心もすこぶる高い。しかし北川さんと違う所もあって、教師に平気で暴言を吐いたり、過激な言動が目立つのだが、カリスマ性とでも言うべきか、一部の生徒からは人気がある。

 

 北川さんの話に戻ろう。彼女が米田君を意識するようになったきっかけと考えられるのが、米田君で転入して一週間くらいで、会話の流れだったのだが、偶然にも近くにいた北川さんの前で言い放ってしまったあの一言だ。

 

「え、北川? そんな奴いたっけ? …………あぁ、あのチビか」

 

 前半部分で存在をほとんど認知していないと宣言した挙句、後半部分で『北川』=『チビ』という悪口以外の何でもない悪辣な評価を下したのだ。このセリフが自尊心の塊である北川さんをどれほど傷付けたかは想像に難くない。しかし北川さんは、一方的に屈辱感を抱いたまま終わるようなタマではないので、件の台詞を受けるや否や、即座に米田君に反撃した。それはまぁ、思い出すだけでも恐ろしい、暴言の嵐だった。有る事無い事(ほぼ無い事)を列挙して、怒涛の勢いで米田君を罵った。当然米田君も、烈火の如く北川さんを罵倒した。今までに見たことないほどの怒りようだった。

 

 それ以来だ。その頃から、北川さんの言動がさらにおかしくなった。

 

「これさ、米田の机に入れといて」

 

 あの一件以来、週一くらいの頻度で僕は北川さんに呼び出されて、丁寧に便箋に包んだ米田君あての手紙を渡されるようになった。中身がどんなものか考えたら恐ろしくなったが、彼女に目を付けられるのはもっと恐ろしいので、毎回大人しく米田君の机に忍ばせた。手紙を渡すようになってから三回目くらいで、中身が気になって仕方なかった僕はついに便箋の封印を解いてしまった。そこには案の定聞くに耐えない罵詈雑言の数々も勿論書かれていたのだが、なんというか、僕は想定していたものとは異なる印象を受けた。

 

 というのも、手紙の九割を占める罵倒ゾーンを読み終えたら、「謝れば許してやらなくもない」とか、「もし謝るなら仲良くしてあげてもいい」などと、北川さんなりの『仲直り』を要求する記述が入っていた。僕は誰よりも身近で彼女の被害を受けてきたので断言出来るのだが、彼女は絶対に譲歩はしない人間だ。僕が喧嘩などしようものなら、公衆の面前で土下座しながら頭頂部を靴で踏みつけられでもしない限りまともに会話すらしてくれないだろう。以上の根拠から、僕は一つの仮説を持った。――北川さんは、米田君に好意を寄せているのではないだろうか、と。

 

 僕が仮説を持ってから数日も経たない内に、米田君は北川さんを揶揄して『威嚇するチワワ』と言った。翌週から北川さんに渡される便箋の枚数が二枚になった。

 

 それからまた三週間が経過。相も変わらず、米田君と北川さんの関係は悪いままで、時々お互いについて他人を介してコメントすることはあったが、いつも決まって悪口の類だった。二人が近くに寄るだけで、クラス中に緊張感が走る。そんな状況下でのある日、米田君が僕に話しかけてきた。

 

「なぁ。お前さ、北川と仲良いんだろ?」

 

「仲良いって訳じゃないんだけど……それがどうかした?」

 

「いや、その、なんだ…………俺さ、実はアイツのこと全然嫌いじゃないんだ」

 

 驚きの新事実だった。僕は思わず目を見開いた。

 

 

 

「あ、あのさ、笑わずに聞いて欲しいんだけど」

 

 僕はゆっくりと首を下に傾けた。

 

「俺が大分前、アイツのことチビって言ったことあったろ? その時本当は、アイツの名前も覚えてたんだけど…………素直に言うのが照れ臭くて、言えなかったんだ」

 

 事態は僕の想像を優に跳び越える、劇的な展開を迎えた。

 

「俺、北川のことが…………好きなんだ。だからさ、彼女に嫌われたままは嫌なんだよ!」

 

 僕は無言で頷き、彼に北川さんと話し合う場を用意することを約束した。まさに、超展開だった。果たしてクラスの誰が、米田君の暴言がただの照れ隠しだったと予想しただろうか。

 

 米田君に仲介役を要請されてから、翌週の六月某日。僕はまず米田君を北川さんの数少ない友人である金田《かねだ》英菜《えな》と引き合わせた。目的は金田さんを通じて北川さんの怒りを解きつつ、僕ではとても立てられそうもない北川さんと米田君が一対一で会う予定を立ててもらうことだ。金田さんとの話し合いは上手くいった。

 

 そしていよいよだ。忘れもしない、六月十二日。

 

 

 

 学校付近の喫茶店、『星の港』でのこと。

 

「話って何? 米田」

 

「いや、あのさ……暴言とか吐いて悪かったな。だからさ、お前も……俺のこと悪く言うの止めろよ」

 

「別に。良いけど。あと、わたしからも一つ言うことあるんだけど」

 

「な、何だよ?」

 

「これからもよろしく」

 

「お、おう」

 

 二人が交わしたやりとりは、あまりにも短く、悪く言えばぎこちなくて、良く言えば初々しいものだった。一応仲直りという形では終わったものの、あれほどの紆余曲折を経たにも関わらず、恋仲は愚か、友人同士にすら進展しなかったのは少し残念な気もする。

 

 でも僕は、これで良かったと思う。二人の関係は、まだ始まったばかりだ。

 

「ありがとな、あべっち!」

 

 北川さんと会った後日、米田君から貰った感謝の言葉を、僕は多分一生忘れない。