恋の痛み

 

新葉しあ

 

「つーくんは、好きな芸能人に告白されたら、どうする?」

 

放課後、昼下がりの緩やかな秋の斜陽が差し込む教室。委員長と副委員長の隔離されたような仕事部屋。今期の委員の最期の仕事中。ちーちゃんは、僕の意識を引くよう、ひらひらとプリントを見の前で揺らして見せた。

 

「んー、特に恋愛対象に選ぶ方向で好きな芸能人がいるわけじゃないし、普通に応援しているという意味で好きな女優は三十路で恋愛対象にするには年齢が離れすぎているからこの言葉には特に信憑性が含まれていないけど、仮にそういう状況がありえたなら、ちーちゃんから乗り換えるんじゃないかな? 多分だけど」

 

「ひどっ! 断言! つーくんひどっ! 私泣いちゃう!」

 

無駄に芝居掛かった演技で悲劇のヒロインよろしくよよよと泣くフリをするちーちゃんに少しイラっときて、僕はそっくりそのまま訊ね返した。

 

「だったら逆にちーちゃんならどうするのさ」

 

「え、私? そりゃ乗り換えるよ。守形和興君なんかに告白されたらつーくんにその日中に別れ話を切り出す自信があるよ?」

 

「えー、なにそれひどい、俺泣いちゃう」

 

あははははとちーちゃんは清々しく笑う。この笑みは彼女の最たる美点だ。整った顔立ちもサラサラの髪も、愛くるしい言動も全ては二の次である。この笑みを向けられると彼女にどんな不満を抱いていてもそれを許してしまいそうになる。彼女はそれを理解していて、僕の前では特によく笑う。

 

「ところで、どうして急にそんな話を?」

 

「んーっとね、私の知り合いが、芸能人に告白されたらしいの。前々から付き合いはあったらしいけど、告白されたらどうしたらいいかわからなくて返事せずに逃げちゃったらしいの」

 

「へー、すごいこともあったものだね。有名な人なの?」

 

「知り合いは一般人だけれど、その芸能人はそこそこ有名な人っぽい。知り合いには彼氏が既にいるらしいからどうすればいいのかわからないみたい」

 

成る程確かに、『好きな芸能人に告白されたらどうする?』と仮定の話をされたならば、『乗り換える』とかいう適当な返答をすることができるかもしれないが、いざ本当にそういう状況に陥ったなら、僕は一体、どういう判断をするのだろう。いや、考えるまでもなく決まっているか。

 

「やっぱりそこは、自分の気持ちに正直であるべきだね。今彼が好きならしっかりと断るべきだし、その芸能人が好きなら『あなたとはもう付き合えない』と今彼を元彼にするべきだ」

 

「だよね……。うん、わかった、そう知り合いにも伝えとくよ」

 

そう言ってちーちゃんは、紙の束を机でトントンと整える。

 

「よし、プリントの整理終わり! 今日もお疲れ様でした!」

 

「おー、お疲れ様。じゃあ帰ろっか。あ、プリントは俺が職員室に持ってくよ」

 

リュックサックを背負って、プリントを自分で持って行こうとする頑張り屋さんの委員長からプリントを横から奪いとった。

 

「教室の電気だけ消しといてくれる? 後はいつも通り校門前で」

 

「あ、えっと、言いにくいけど、つーくんに一個言っとかなきゃいけないことがありますのですよ……」

 

「ん? どうした?」

 

もじもじをして非常に言いづらそうな態度。いつもハキハキとしている彼女からは考えにくい珍しい行動。昔彼女が告白してきた時と同じような動きである。

 

「どうしたのさ」

 

「えーっと、本当の本当の本当に言いづらいのですが……」

 

「ですが?」

 

「…………『あなたとはもう付き合えない』」

 

「……………………………………え? それはどういう意――」

 

「そ、それじゃ! ちゃんと正直に言ったから!」

 

「え、おい、ちょっと待て!」

 

「正直に言ったからーーーー」

 

「待てって!」

 

僕の呼び止めも聞かず、脱兎のごとく逃げて行くちーちゃん。追いかけようにも彼女の足は驚くほどに速い。このままじゃ逃げられる。僕は、リュックサックと手に持っていたプリントの束を投げ捨て、彼女の後を追った。ポケットからスマホを取り出し、急いで彼女に電話をかける。

 

「『ただいま電話に出ることが出来ません。しばらく経ってから――』」

 

「着拒かよ!」

 

それから数秒。どこかに隠れたのか、追いかけた甲斐なく、見失ってしまった。

 

「え……、何、あれ自分の話だったの……?」

 

このまま闇雲に探しても見つかることはないだろう。少なくとも同じ学校同じクラスなのだ。これからまだまだ顔を合わせる。明日になったら問い詰めよう。…………。恐らく結果は変わらないだろうが。僕を振ったときのちーちゃんの目は、何か固い意志を持った目だった。それに、一度あんなことを言われてしまえば、冗談でしたなんてオチがつかない限り、復縁は難しいだろう。

 

「はぁ…………どっと疲れた」

 

ちーちゃん。初めて恋をしたのは君だった。君が僕に本物の恋を教えてくれたんだ。

 

そして君は、僕に本物の悲しみも教えてくれるんだね。

 

僕は、引き摺りたくなるくらい重い足取りで教室への廊下を歩いた。

 

心が痛くて痛くて、痛かった。

 

 

 

お題

 

「君が僕に本物の恋を教えてくれたんだ」

 

ヒース