アリス イン ザ パスト

 

ヒース

 

「ありすの部屋へようこそ! 今日は出張ありすの部屋だよ!」

 

私がそう言ってスマホに向かって手を振ると、たくさんのコメントが流れてくる。可愛い可愛いと私を褒める声。実に気持ちがいい。私はこのために配信をしているのだ。私は長い金髪を揺らし、にこりと笑う。

 

「今日は、通ると異世界に行けるという、噂の穴に来てみましたー!」

 

そう言って、カメラ部分を背後の大きな木の根元に向ける。そこには人が入れるほどの大きな穴が空いているのだ。

 

「本当のアリスちゃんみたいでしょ?」

 

そう言って、私は穴に近づいていった。

 

「今日はありすちゃんの格好で、この穴を通ってみたいと思いまーす」

 

その瞬間また、たくさんのコメント。私にとっては実にいいネタだ。私はそんな噂信じてないけど。

 

「じゃあ、いくねー?」

 

そう言って足を踏み入れると、体が吸い込まれる感覚がした。体勢が崩れ、座り込んでしまう。すると、どんどん下に落ちていく。まるで滑り台。スマホ画面を見ると、配信画面は消えていた。

 

 

 

 やがて地面に着く。かなり下に落ちて来たはずだ。なのに、目の前に広がるのはヨーロッパのような街並み。まさか、本当に異世界なのか? いや、違う。既視感がある。すると、目の前を黒髪の男の子が二人通った。

 

「これは、わた……。いや、僕?」

 

その片方は紛れもなく、小さい頃の自分だった。そしてもう一人は……。

 

「これは、俺?」

 

すぐ隣から声が聞こえる。そこには、同い年くらいの黒髪の男の子。顔を見合わせる。僕らは今タイムスリップしているようだ。

 

 

 

 大きく胸の鼓動が聞こえる。汗が止まらない。僕はそいつに背を向け、足早にその場を去ろうとした。

 

「雄大?」

 

当時より少し低い、しかし十分に面影をもつ声が僕を呼びとめる。

 

「だったら何? 隼人」

 

僕は覚悟を決めて振り向き、冷ややかにそう言った。

 

「やっぱり雄大か。それに、俺のこと覚えてたんだな」

 

へらりとぎこちない笑顔を浮かべる隼人。僕は熱いものがこみ上げてくるのを感じた。

 

「忘れるわけないじゃないか」

 

僕の鋭い声に、隼人の笑顔が凍る。僕は今度こそ、その場を走り去った。

 

 走りつづけてたどり着いたのは、当時の家の前。もう十年以上も経っていると言うのに、案外覚えているものだ。ここでの記憶なんて、捨てたと思っていたのに。この時間は家族はみんな出払っているはず。僕は遠慮なしに家に上がり込み、子供部屋へ向かった。扉を開けると、そこにはやはり僕がいた。しかも、だぼだぼの姉のワンピースを着ている僕が。

 

「お姉さん、誰……」

 

僕は無視して幼い自分に近づき、ワンピースを剥ぎとろうとした。しかし力が入りきらず、幼い僕の抵抗に負けてしまう。

 

「こんなもの、着るな」

 

僕は静かにそう言う。幼い僕がどんな表情をしているのかは容易に想像がついて、顔を見るのが怖かった。

 

「そんな事言ったらダメだ」

 

僕は驚いて振り向く。そこには隼人がおり、その後ろには幼い隼人もいた。

 

「お前が言えたことか! 僕はお前に否定されて、どれほど傷ついたか……」

 

隼人の存在を確認した僕は頭に血が上り、思わず叫んでしまう。はっとして隼人の顔を見るが、どうも表情が読み取れない。微笑みとも苦痛の表情ともとれるその顔で、隼人は幼い僕に近づき、優しく頭を撫でた。

 

「隼人は、少し驚いてしまっているんだ。でも、君を否定したわけじゃない」

 

僕が幼い頃の隼人を見ると、あの表情で小さな僕をみていた。記憶がフラッシュバックして、僕を吐き気が襲う。やがて隼人が幼い自分自身の背中を押し、僕の前へやった。

 

「このお兄ちゃん、可愛い?」

 

隼人がきくと、無垢な隼人が声を上げる。

 

「男の人なの? わかんない、可愛いね」

 

その言葉が、僕の堤防を決壊させた。熱いものが溢れてくる。隼人はこうなんだ。この国では目立つ黒い髪。自分もそれで虐げられているのに、僕をいつも慰めてくれた。どんな自分でも、自分だって言ってくれたのに、僕はそれを忘れていたんだ。

 

「じゃあ、雄大は?」

 

隼人がきくと、幼いながらも大人びた瞳の隼人が、小さな僕の瞳を捉える。

 

「驚いたけど、可愛いよ。いいね」

 

二人は子供らしい笑みで笑い始めた。隼人が泣き続ける僕の背中をさすってくれる。そして僕らは、柔らかい光に包まれた。

 

 

 

 眼が覚めると自室にいた。時計を確認すると、一時間ほどしか経っていない。僕は配信画面をひらいた。

 

「ありすの部屋へようこそ。さっきは途中でやめちゃってごめんなさい。実は、ご報告があります」

 

そう言って僕はウィッグに手をやる。幼い頃、僕はアリスに憧れていた。いや、アリスのように異世界に行きたかったのだ。うさぎでも、猫でも、芋虫でも、トランプでも、どんな姿でも認められるあの世界に。僕は画面の中にそれを求めているようで、求めていなかったんだ。

 

「実は私……」

 

 

 

お題

 

「僕らは今タイムスリップしているようだ」

 

安堂なつ