仮初のもの

 

れれれ

 

自分は異端である。都がそう自覚したのは、物心ついてすぐのことだった。

 

 なぜ話している友人が泣いたのかわからない、絵本の登場人物の感情が読み取れない。仮に読み取れても、なぜそう思うのかが理解できない。振る舞いもどこか周りの子らとは違ったのだろう、気味悪がって先生も子供らも彼女を避け始め、周りには誰もいなくなった。

 

 彼女は気にする様子をみせなかったが、気に入っていた貝殻を握りながらいつも一人でいる娘を、彼女の母はひどく心配した。人の感情が読み取れないとはいえ、しきりに「友達はできたの?」と尋ねるものだからなんとか察していたし、そろそろ何とかしなければとは思っていた。「いつ」「どんなときに」「何という感情を見せるのか」という観察を、貝殻を握りながら続けていた。

 

 そして彼女は簡単なことに気がついてしまう。人の感情がわからずとも、感情を向けられた人の表情や素振りさえ完璧に真似できればいいのだと。

 

 悲しいかな、彼女の学習能力は非常に高く、あたかも人の痛みを理解しているかのように振る舞うのに時間はかからなかった。

 

 「私も嬉しい」は口角を上げ、声を高めに。身振り手振りも普段より大きければなおよい。「私も悲しい」は眉を下げて細々と声を出す。スカートの端でもぎゅっと掴んでいれば、それを耐えているようにも見える。あれだけ避けていた周囲が次第に輪の中に入れてくれるようになり満足した彼女は、表面のみ人間味を増していった。

 

 

 

「やあ都ちゃん、今日は暇かーい?」

 

 教科書をしまっていた都が顔を上げると、にっと明るく笑った和音が目に入る。

 

「うん、何かあったの?」

 

「ちょっとねえ、都ちゃんに話というか相談というか……まあとりあえず女子トークしようや! と思ってさ」

 

 また恋愛相談か、はたまた女の子同士の秘密の話、というものか。

 

「今話すにしてはちょっと人が多すぎるから、放課後に……そうだ、海岸! 前に遊んだところあるでしょ、あそこに行こうよ!」

 

 人が全然いないし丁度いいや~と相変わらずの輝かしい笑顔で言う和音。思わず「了解!」と承諾する。

 

 半年ほど前に高校生という肩書きを得た頃、都はカバンに貝殻のキーホルダーをつけていた。それを見つけた和音は、全く話したことがなにも関わらず「海好きなの?」と尋ねたのだった。じゃあ今日海に行かない? もちろん一緒に! と、断る理由も言わせずに連れていかれたのが記憶に新しい。先程言っていた「海岸」とはそこのことだろう。

 

「わかった。じゃあ一旦荷物を置きに帰るね、また後で」

 

 いつも感情豊かな様子で、嬉しそうにばいばーい! と笑顔で手を振る和音を見て、眩しさを覚える都。さっさと荷物を置かないと、と雨が降りそうな暗雲の下を駆けていった。

 

 

 

「おまたせ和音。今日は何の話?」

 

 いつものように鍵とキーホルダーだけを持って、家から出てきた都。学校から家の近い和音は、先に荷物を置きに行った都よりも早く海岸へと着いていた。「今来たところ。そんな待ってないよ」というお決まりの文句を言いながら立ち上がった。

 

 あーだとかうーだとか唸って、どう切り出すのか迷いを見せつつ、「よし!」と言いながら都の目を見て、和音は話し始めた。

 

「会ったときから、どうも既視感があったんだ。どこかで会ったことあったのかな? って思ったけどそれも違う。でも今朝ね、はっ! って気づいたんだよね。中学生のときに仲がよかった友達に似てるって」

 

 まさか自分に声をかけたのは、その友達とやらを重ねていたからなのか、と考える頭を無理やり止めた。なんとかひねり出した「その友達ってどんな子だったの?」という声は震えていたかもしれない。

 

「人の気持ちがよくわからない。自らに感情がないわけじゃないけど……共感能力に欠けている、と言ったらいいのかなあ」

 

 目を逸らしてしまいたい衝動に駆られるも、それは肯定するのと同じだと思いながら、爪がくい込むほどに手を握りしめる。

 

「うん、やっぱりそうだったんだね。大丈夫だよ、都。ぜんぶ教えてあげよう。それも個性だと思えばいいよ」

 

 その言葉通り、和音は都にどういう様子を見せていれば、どのような気持ちをしているのかという知識を徹底的に詰め込んだ。同じ気持ちのときにワンパターンな反応をしていることが今回気づいた原因だ、と知らされて、まだまだ修行が足りなかったかと落ち込んだ。

 

「まあまあ、他の子には気づかれてなかったんだからいいじゃんか~、私達だけの秘密だよ!」

 

 そう言う和音の様子は、なぜか都が教えてもらった「喜び」だとかの行動パターンのどれにも当てはまらなかった。

 

 

 

「暗くなってきたからそろそろ解散しようか。それじゃあまた明日ね、都ちゃん!」

 

 手を振って走り去る和音へ手を振り返す。途端に静けさが周りを支配した。

 

 ぐっと貝殻を握る。今まで他人の感情が読み取れずに受け入れてもらえなかった都は、自分のことを理解しつつも、受け入れてもらえた喜びを噛み締めていたのだった。夕焼けを背に、都も歩き出した。

 

 

 

「その『友達』は私です、なんて言えないな。あーあ、こんな奇跡なんて起こらなければよかったのにねえ」

 

和音がこんなことを呟くのを聞いたのは、夕焼け空と彼女自身のみ。

 

 

 

 帰路につきながら、都はようやくいつもと僅かに違うような貝の触り心地に気づいた。

 

「ん?」

 

 もしやと思って手の中を見ると、握っていたのはいつものキーホルダーの貝殻でなく、中身入りの貝を掴んで持ってきてしまったらしい。巻貝の穴からはヤドカリの爪が覗いていた。海へ返そうと、踵を返して海岸への道を駆け出した。

 

 

 

お題

 

「奇跡なんて起こらなければよかったのに」

 

トリトン