約束は守らないとね。

布団

 

 彼は天才だった。まるで息をするように音を創り出し、その音は世界中の人々の心を震わせた。

 

 彼の才能は幼少期の頃から垣間見えていた。生まれた時から家のピアノをよく弾いていて、その腕前は幼子とは思えないものだったらしい。さらに彼は、既存曲ではなく、彼の心の赴くままに自由な旋律を弾くことが多かった。その旋律はわずか六歳児のものとは思えない素晴らしい出来栄えで、その時彼の母親は、わが子が天才であることを悟った。

 

 その一方で、小学校では教師が何を言っても聞かず、宿題は忘れ、授業が始まるというのにもかかわらず教室に戻っていない問題児だった。それだけならただのやんちゃな問題児だが、彼は誰とも話さず、ただ窓の外を眺めては旋律を口ずさんでいるだけの子供だった。そんな彼を周りの子供たちは気味悪がり「異物」として扱った。

 

 そんな状況に耐えられなかったのか、彼は次第に学校から遠ざかるようになり、やがて三年生の夏休み以降、二度と学校に顔を見せることはなかった。

 

 学校に行かなくなった分、彼が楽器を触る時間は大幅に増えた。毎日のように目を輝かせては楽器と戯れ、次々と彼の旋律を創り出していった。幼い彼にとって、音楽は最高の遊びだった。楽しくて楽しくて仕方がなくて、一日のほとんどを音楽に費やした。さらには、母親の勧めで出場したコンクール大会で最優秀賞に輝き、音楽界隈では「平成最後の天才作曲家」と騒がれることとなった。

 

 彼はやがて、音楽学校へ入学する。天才の入学ということで学校側も大きな期待を寄せていた。しかし、彼の学校生活では学友や先生とのトラブルが絶えなかった。トラブルの原因は、彼が人の意見を全く持って聞かないことにあった。幼いころから不登校で人と関わることが極端に少なかった彼は、人との関わり方を知らなかった。なぜ思っていることをそのまま言ったら怒られるのか、分からなかった。なぜ笑わなかったら相手は傷つくのか、わからなかった。やがて周囲の人間は彼と距離を置くようになり、誰もが彼を見放した。彼だって、周りの人が話しているのと同じように人と話したかった。けれど自分には出来なかった。その方法を、彼は知らなかった。そして彼は一人になった。

 

 その頃から作曲でもスランプに陥り、人生で初めて、全く旋律が思い浮かばない日が続いた。対人関係が上手くいかない苦しみ、人生で一番好きな作曲さえも上手くいかない苦しみ。その苦しみに耐えかね、学校からも、更には楽器からも遠のき始めた。家で沈鬱な日々を過ごすことが多くなり、彼の心は荒んでいった。人生が灰色に見えていた、そんな頃だった。

 

 彼は大学で一人の女性と出会った。彼女は校内の庭を歩き回りながら歌を歌っていた。その歌はそれほど上手くないにも関わらず、彼の心を掻き立てるような魅力があった。当時の彼にはそれが一体何なのか、全く見当もつかなかった。訳の分からない衝動に突き動かされ、彼は思わずその女性に声をかけた。「君の歌声が好きだ」突然のことに、女性は困惑しながらも「え、あ、ありがとう……」と返した。それが二人が初めて交わした言葉だった。

 

 後に知ったことだが、その言葉で彼女は救われたそうだ。その時彼女は歌に伸び悩んでおり、彼と同じように悶々とした日々を送っていた。周囲の人から「才能がない」「努力が足りない」等と言われ続ける苦しい日々を送っていた。彼女は歌で成し遂げたいことがあった。だから努力を続けていた。けれど、それでも苦しいことには変わりはない。先が見えなくて、この苦しみがいつまで続くのかもわからなかった。毎日毎日、終わりのない真っ暗な道を駆け抜けてるような気分だった。しかしこの時の彼の言葉が、彼女の真っ暗な道を少しだけ照らしたのだった。

 

 初めは他の人と同じように、彼女ともうまく話せなかった。けれど、彼女は他の人とは違って、彼を見放すようなことはしなかった。彼を理解するまで決して逃げず、正面から向き合った。時には一週間以上、同じ話を繰り返した。「それって何で?」「わかんない、もう一回教えて」。そう彼女に言われて答えていくうちに、少しずつ彼女と分かり合えるようになった。何度も何度もぶつかって、涙を流して、そして、少しずつお互いを理解していった。彼の持っていた誰も理解してくれないという孤独は、彼女によって溶かされ消えていった。彼は人生で初めて、自分の理解者を得た。

 

 二人は似ているようでいて実は真逆だ。彼は好きな事をすることこそが人生だと思っていた。だから彼は自分が好きな作曲をして生きてきた。けれど彼女と出会い、そうでない人生もあるのだと気づいた。もちろん彼女も歌が好きだが、つらいと感じているときも歌い続けているのは「目の前にいる人を感動させたい」という願いのためだった。幼いときに彼の曲を聴いて、自分が感動したのと同じように。彼女の歌にこの願いが込められていたから、彼は初めて出会ったときに魅了されたのかもしれない。彼は、彼女を通して新しい考えや生き方を知っていった。彼の世界は大きく広がっていった。

 

 その後二人は、互いに支え合いながら音楽に没頭した。自分が崩れそうになった時は相手に寄りかかって、もう一度歩き出した。彼が人間関係で悩んでいるときは彼女が話を聞き、二人で反省会を開いた。そうしているうちに、少しずつ人と話すことへの苦手意識は薄れていった。彼女が周囲の酷評に折れそうになっているときは、彼女の原点であるあの願いを思い出させた。二人はよき理解者であり、よきライバルであり、そしてよきパートナーとなった。

 

 しばらくして、彼はスランプから抜け出した。しかし元通りになった訳ではない。力強く独創的だった彼の音に、温かく穏やかな感情が混ざり合うようになった。そんな彼の曲は日本を飛び越え、世界へと響き渡ることとなった。彼の名は偉大な作曲家たちと並び、世界中に知れ渡っている。

 

 一方彼女は、長年の努力が実を結び、世界で活躍する歌姫となった。その歌声は世界中の人々を感動させ、勇気づけ、笑顔にさせた。彼女の歌は何億人もの人々を前向きにさせる力があった。彼女は「目の前にいる人を感動させたい」という願いを叶えたのだった。

 

 しかし、どのような人生にも必ず終わりがある。彼女が五十三歳の時、交通事故により意識不明の重体となり、その一か月後に儚い身となった。

 

 生前、僕たちは約束していたことがあった。「音楽と君がない人生は人生じゃない」音楽に人生を捧げ、そしてお互いに深く依存し合っている。僕たちらしい約束だ。

 

 今から僕は、その約束を守りに行こうと思う。君のいない人生なんて絶望でしかないからね。

 そう。この文章は僕のささやかな遺書であり、最初で最後の日記。