宮野さんと津崎くんのカレー論争。
新葉しあ
「………………えーーっと……、宮野さんや、これは何ですか?」
「どこからどう見てもこれはカレーですよ、津崎さん」
目の前に、虹色のカレーがあった。
目の前に、虹色のカレー(?)があった。
仰々しく、毒々しく、なぜか常温で沸騰しているようにボコボコと皿底から泡が浮かんできては弾け、あり得てはいけない色の液体が机に飛沫を上げる。俺の服にも飛び跳ね、服に沁みた。うわーお、若者の服みたいなペイント柄の服になったぜ。
白いご飯に盛られたカレー(取り敢えず、カレーだと仮定しよう)から立つ白い湯気に乗った過激すぎるスパイスの香りが俺の鼻孔をくすぐる。匂いだけなら食えんことはない。食べたいとこそ思わないけれど、食べなければいけないというのなら食べてやらんでもない。
でもこの色は無理だろう。
口にしたら最後、五割を超える確率で死ぬ。というか、死ぬ。生き残れば、それこそ奇跡と言えるのではないだろうか。
「津崎くん、食べないの?」
「い、いや。食べる。食べるぞ。宮野が俺のために料理を作ってくれたことに対しての感動に身を震わせていただけだ」
「そう? ならいいけど、汗、凄いよ?」
「カレーが熱いからな! いや、湯気で食べる前からもう体が熱い」
だが、食べないわけにはいかない。
いや、俺が出された料理は食べないと気が済まないような人間だとかではなく、食べなければ、それこそ半分以上の確率で死ぬからだ。
宮野は俺の彼女だ。俺は彼女のことが好きだ。誰よりも愛している。だが、彼女は俺が彼女のことが好きである以上に十倍も、いや百倍も俺のことが好きだ。自信過剰とかそんなではなく、本当に彼女は過剰に俺のことが好きなのだ。世間一般でいうヤンデレとか狂愛とかそういったベクトルの重たい痛い愛を俺は彼女から受けているのだ。もしこの出来立てホヤホヤ原材料九割愛情一割劇薬のカレーを俺が食べないと言おうものならここら一帯に包丁の雨が降ることは間違いないだろう。
故に俺が今取れる選択肢はただひたすらの彼女への抵抗。延命治療だけなのだ。
「そ、そういや福神漬けがない。おい宮野、俺はカレーにはうるさい。俺は福神漬けが好きだ。愛している。うちのクラスの山田の死と福神漬けの一週間禁止令のどちらかを選べと言われれば一瞬の迷いもなく福神漬けを選ぶくらいには福神漬けが大好きだ。福神漬けのないカレーなんぞ、それはカレーにあらず。というわけでちょっと近くのコンビニで福神漬けを買って来てくれないか?」
「福神漬けと私、どっちが好き?」
「馬鹿だなー、宮野に決まっているだろ?」
「んもー、津崎くんったらー! わかった、すぐ買ってくるから待っててねー」
そう言って宮野は財布を持ち、驚きの速度で玄関から飛び出していった。
「さて……どうしますか」
正直福神漬けなんぞどうでもいい。
このまま何の対策もとらずにただ宮野が福神漬けを買って帰ってくるのを待っていたら死んでしまう。
小指の先で虹色カレーを掬って口に運んでみる。想像通り舌に痺れを感じたところで急いで口から吐き出した。やっぱりこの中には、致死毒のようなこの世界の卒業証書かなにかが入ってやがる……。彼女のことだ。俺を殺そうと思ってこのカレーを作ったなんてことはないだろう。殺すならそんな回りくどいことはせず、嫉妬に狂った表情で背後から包丁で一突きで殺した後に同じ包丁で自害するはずだ。故にこのカレーは全くの偶然の産物か調味料の中に本物の劇薬が入っていたかのどちらかだろう。どちらにせよ、宮野が料理下手なことは間違いない。
食べても大丈夫なカレーにすり替えようにそんなに都合よく彼女が帰ってくるまでカレーを手に入れることは難しいだろう。俺よりも先に彼女に食わす? もしあいつが倒れれば、救急車を呼んだりのてんやわんやで俺がカレーを食べることはうやむやになるだろう。だが、もし漫画の料理下手キャラよろしく宮野が自分の料理に対してのみ完全毒物耐性を保有していたら、その時は俺の詰みが確定してしまう。色々考えた結果、最善策は……。
「逃げるか」
彼女には後で急用ができたとでも報告すればいいだろう。これが一番生き残る可能性が高いのではないだろうか。なんならこれ以外生き残る可能性は残されてはいないのではないだろうか。よし逃げよう。
そうと決まれば行動は早い。自分の荷物をすぐに束ねて玄関へと駆ける。靴の踵を踏んでいようと知ったこっちゃない。とにかく早く。早く! 扉を開けて、コンビニと違う方向へ――!!
「あれ、津崎くん、どうしたの?」
扉のすぐそこに宮野がいた。もう、帰ってきていた。
「い、いや、買いに行かせるのも悪いから宮野を迎えに行こうと思って……」
「そうだったの、嬉しいな。でももう買ってきちゃったから、カレー、ゆっくり食べてね」
「………………………………………はい」
その日、俺は意識不明の状態で救急車で病院に搬送された。
自分の先祖に挨拶して回るという、夢か現かわからないようなそんなものを見た。