代替品を望む

 

れれれ

 

 

 

「おはようございます」

 

「ああ、おはよう」

 

 トーストをかじりながら新聞を読む父。ちらりとこちらに目を向け、また視線を「急な暑さ 熱中症に用心を」と書かれた紙面へと戻す。挨拶したときに新聞やテレビばかりを見つめているのは、機嫌の悪い証拠であるが、それもない。はあ、というため息とともに私は安堵する。時折聞こえる、はらりという新聞をめくる音を聞きながら、私は乾燥機の中の食器をかちゃり、かちゃりと音をたてて棚へと仕舞った。

 

 ふと棚を見つめれば、使う頻度が減って隅に追いやられた薄ピンクのマグカップが奥から顔を覗かせ、かすかな存在感を主張している。うっすらとした懐かしさに誘われ、恍惚として手を伸ばす。何も残そうとしなかった母の、唯一の形見だ。何ヵ月かに一度、父は使ってもないのに洗って見つめていたなぁ、などと思いながらそれを手に取れば、二年近くたった今でさえ、コーヒーを飲む母の横顔を思い出せる。

 

 私は両親のことを愛し、母は私を愛し、父は「母の愛する私」を愛した――最も適切な表現方法はこうだろう。子供が欲しかったわけじゃなかったのに、とは酔っ払った父から漏れ出た言葉である。全身を氷漬けにされたように硬直する私をよそに爆睡し始めた本人は、恐らくそのことを覚えてはいないだろう。もし覚えていたのだったら、わかりやすい父は次の日に私に笑いかけたりなんてできないだろうから。

 

 形見を大切に保存し、母の要素を愛することが父にとって、母を忘れていないということの証明になるのだろう。

 

 思わず寒気が走り、思考の渦の中から強制的に現実へと引き戻される。手に取ったカップは私の体温を奪って、手に取ったときのようなひんやりとした心地よさはもう感じない。指の力を抜けば、つるりとしたカップはいとも容易く手から抜け出す。

 

 床に打ち付けられた形見のカップは、ガシャンという音と共にただの陶器の破片と成り果てた。何も履いていない裸足の表面に跳んだ欠片は私へと小さな傷をつける。

 

「おい由香里、どうし――」

 

 異変に気づいた父はかつての私のように硬直した。信じられない、というような目で破片を見つめ、そっと手を伸ばして拾いあげ、またひたすらに見つめている。

 

 私はこの日、父の中の母をひとつ殺したのだ。

 

 

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

「気分を変えようと思って、ショートにしてみたのですけど、どう思いますか?」

 

「似合うと思うよ」

 

 

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

「今日の味噌汁、お母さんの作り方を真似してみました。どうです? ちゃんと再現できてますか?」

 

「ああ、母さんの味そのままだよ」

 

 

 

「おはようございます」

 

「おはよう」

 

「昨日の身体測定で、六センチも伸びてたんです。成長期だからかな、お母さんに似てきてますかね?」

 

「ああ、昔よりずっとそっくりになったよ」

 

 

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

「親子なのに敬語なのってやっぱりおかしいって言われちゃったんだ。これから普通に話すね」

 

「安心したよ。いや、なんだ、母さんが死んだ後から急に他人行儀に敬語なんて使い出したかものだからな、てっきりすぐ戻ると思ってたのにな……」

 

 

 

「おはよう」

 

「おはよう」

 

 ご飯を持ちながらニュースを見ている父は、昔の記憶と比べると、やはりどこか老けている。今の父を見て、母は――彼女はどう思うのだろう。父さんったらシワまでかっこいいねえ、などと茶化すのだろうか。テレビから聞こえる「冬はヒートショックに注意!」という言葉を聞きながらふと思ったのだった。

 

 暖房の熱の届かないヒヤリと冷えきった台所で、コーヒーカップを求めて棚へと歩みを進める。掴んだ黄色の無地のカップは数日前に買ったばかりで、傷一つ見当たらない。乾燥した手に馴染むことなく、こぼれ落ちた。

 

 ガタン、と大きな音を立てて床へと着地したカップは、破片を撒き散らすことなく原型を留めていた。「おい、どうした!」という安否を尋ねる声になんの返事もせず、しゃがみこんでじっとカップを見つめる。

 

「由利花! 大丈夫か!」

 

「うん大丈夫だよ、ちょいと手が滑っちゃっただけだから」

 

 にこりと笑ってひょいとカップを拾い上げる様子に安心したのか、彼はハッとしてある事実に気づき、気まずそうに謝罪した。

 

「由利花じゃないな、由香里だな……すまん」

 

「いいよいいよ、気にしてないよ。私から見たってお母さんとそっくりだもの、間違えても仕方ないよ」

 

 ね? と言って壁に貼ってある家族写真へと目を向ける。親子仲良く三人で写っている、色の褪せがいつ撮ったのかを物語るような写真だった。

 

 見る人が見れば「まるで、由香里ちゃん二人とお父さんが写ってるみたいねぇ」なんて言うのだろうな、と思うようなものだ。ふと次に口から出てきたのは父を試すような言葉。

 

「ねえお父さん、私のこと愛してる?」

 

「え? 何を急に言い出すかと思えば……そりゃそうだろう。愛してるよ」

 

「いやぁ、何か突然気になっちゃってね。そっかそっか、ありがとう」

 

 前に聞いたときの「……ああ」とぶっきらぼうに答えた反応に比べれば上々といえる。「ねえお父さん、私のこと好きですか?」と聞く、幼い娘への反応は、いささか無関心だった。今回とは反応が遥かに違う。

 

 愛を向けてもらいたくて、自身を見て欲しくて幼子らしく振舞ってわがままを言っていた頃の努力は、報われることは無かった。だから、目をつけたのは「愛される立場への成り代わり」。電車で空いた席に座って責められることなどないのと同じように、気づかれたとしても何も言われないだろう。

 

「ご飯の途中だよね、ごめん。冷める前に食べておいでよ」

 

「そうだったな、驚いてすっかり忘れてたよ」

 

 私の言葉で父は食卓へとのそのそ戻ってゆく。

 

 テレビの音がうっすらと届く台所で、手はコーヒーを入れながらも、頭だけ「愛されている」という実感の中にどっぷりと浸かっていた。

 

 意識を向けてもらえるようになったのも、愛されるようになったのも、成り代わりによるもので、私自身を見ているわけではない。でも、成り代わらなければ向けられることは絶対に無かっただろう。最善が駄目なら、次善で納得するのも必要だろう――そう考えて自分を満足の渦の中へと無理矢理に突き落とす。

 

 たとえ自分が母の代替品だとしても、今だけは関係なかった。