猫

もくう

 

 吾輩は猫ではない。嘘だ。猫である。立派な三毛猫である。名前はまだ無い。嘘だ。イヌと言う名前がある。普通さぁ、猫にイヌって名前つける? おかしくない? おかしいだろ。おかしいね。俺の飼い主は少々おつむが弱いのかもしれんな。いや、確実に阿呆だ。こんな絶世の美猫に変な名前をつけるなぞ、正気の沙汰じゃあないね。もっとこう、洒落た名前が、ほら、あの、ううん。……ミケとか。いかんな。あいつと一緒に暮らしていると阿呆が伝染るようだ。語彙力の低い猫はいけません。人間どもは猫は寝て可愛らしくにゃあと鳴くだけで良いから楽だねえなぞとほざくが、そんな訳がないのである。俺は世界で一番美しい猫だが、中身がすっからかんでは横の空き地のぶちに馬鹿にされてしまう。あいつは器量よしではないが頭は良い。外で生きるのはむつかしいからな。知らんけど。何しろ物心着いた時にはもうこの少々大きすぎる家に住んでいたんだもの。ネズミ狩り、野鳥狩り、やってみたいとも思わないね。まあその、テレビの中でちょろちょろされるとついつい叩いてしまうのはあれだ、本能というやつだ。俺もまだまだということさ。本能に抗えない愚かな獣では在りたくない。だからこうして縁側で精神統一しているのである。断じて日向ぼっこをしてうとうとなんぞしていない。…………ぐう

 

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 親譲りの無鉄砲で子供の頃から得ばかりしている。うむ、流石に過言か。損をしたこともあるな。屋根に昇って町を見渡していたら空き地のぶちがいくら威張ってもここまでは来れんだろう、やーいやーい(にゃーごにゃーごだったかも知れない)とダミ声ではやし立てたのでさてそっちまで行ってやろうと勢いよく屋根から飛んだは良いものの、ちっとこの屋敷の庭は広すぎたのである。まあ結論から言うと腰をしこたま打った。あの時の阿呆の慌てぶりと言ったら、忘れられんな。俺よりデカい図体をして、可愛い奴め。あの顔を見られたのは、無鉄砲のお陰なのでつまり、得をしている。ウンウン。ただ、その後から屋根に上がる為の道を全部塞がれてしまったのは少々痛いな。猫とケムリは高いところがお好き。ちなみに猫とホコリは狭いところがお好きという諺もある。これは猫の中では常識ですよ。前述の通り俺は博識な猫だ。世界一美しくて博識な猫とは、俺の事よ。だがお腹に泥は少々いただけないね。屋根に登っていたら、またやらかしかねない。そう阿呆に言った。だから俺の部屋は家の一番いい空気が通る素敵な場所にある。

 

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 こんな夢を見た。

 

 前足を組んで枕元に坐っていると、仰向けに寝た阿呆が、静かな声でもう死にますと言う。

 

 どうして、どうして、どうしてだ。阿呆なんてもう言わないから、死なないでおくれよ。ねえ、あの、ほら、名前なんだっけ、もうなんでもいい。いいから君、俺の主人、どうしてそんなこと言うんだい。お前がいなくなったら庭の百合に誰が水をやるんだ。お前がいなくなったら誰が真珠の髪飾りを作ってお店に並べるんだ。お前がいなくなったら誰が星の破片をとるんだ。お前がいなくなったら誰が動かなくなった野良猫を埋めてやるんだ。ご主人よ、答えてくれ。

 

 すると彼は真っ白な肌の上に乗っている薄い唇をそっと開いて、黒い眼を眠そうにみはったまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんだもの。仕方がないよといった。

 

 今にも、黒い眼がぱちりと閉じて、光が消えてしまうんじゃないかと思って、耳の傍で一生懸命呼んだ。お前、おまえ、阿呆、あほう、主人、ごしゅじん、今日も一緒に夕焼けが見たいよ。

 

 百合の露の香りがした。

 

 思わず、遠い空を見たら、夕焼けの中で星がひとつきらめいていた。めをぱちくりさせると、それがご主人の瞳であった。「俺は夢を見ていたんだな」とこの時始めて気が付いた。

 

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 俺はその人を常に阿呆と呼んでいた。だからここでもただ阿呆と呼ぶだけで本名は打ち明けない。その方が俺にとって自然だからだ。というか名前なんだっけ。いやほんとに思い出せん。なかなか酷い飼い猫だな。まあ許される。なぜなら俺は美しいからね。あいつがいかに阿呆かと言うとだな、こないだ俺を海に連れていきやがった。猫は知らないところも、水も苦手なのを知らんのか? 十年も猫と暮らしていてそれが分からんとは本当に阿呆だ。風呂の時に俺が騒がんのは俺が常に美しく在りたいと思っているが故だ。美しくない猫ならこうはいかん。兎角、海に連れていかれた俺は必死で迫り来る無粋なサザナミとか言う化け物から逃げた。しっぽの先は追いつかれた。つらい。阿呆のせいだ。銀之助の阿呆。あ、名前思い出した。ちょっときまりが悪いから、腹の中に隠しておこう。

 

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 僕はイヌを見つめながら、先刻入れたばかりの茶を飲んだ。流れるように生えているヒゲ。形のいい耳。完璧な色のコントラスト。本当に我が猫は美しい。僕以外の人を嫌うこと以外は、なんにも欠点のない最高の猫だ。いやもしかして僕人間だと思われてないのかも。まあどっちでもいいや。ありがたいありがたい。

 

 

 

 

 

〈お題〉

 

 猫(ハイパースーパーめちゃくちゃ非常に可愛い)