反カタルシスの結論

布団

 

 いつからでしょうか、記憶が朧げなので幼少期のような気もします、もう随分と昔から話すのが怖くてしかたありませんでした。私が話すことを不得手としていることは、私自身も重々承知しておりましたので、話すことを避けておりました。他愛のない世間話から真面目な議論、ちょいとした恋話やはたまた相談事といった、あらゆる類の話を避けてまいりました。私の話などつまらないもので、聞いてくださっている皆さんに申し訳なく、またそのようなことばかりをお聞かせして厭われてしまうことが、恐ろしくてたまらない私がおりました。ああ、いえ、私が進んで話すことを避けていただけでありまして、皆さんが私にお話ししてくださることを聞くことは厭ってはおりません。まあとは言ったものの、やはり自らすすんで話さない人と関わりを保つことは難儀なことでしょう、私の周りにはほとんど人はおらず、ましてや私の内面を深く知る者は一人としておりませんでした。

 

 そのような浅瀬を揺蕩う日々を過ごしていたわけでありますが、台風というのはいつかはやってくるものでありまして、とうとう私の心をかき乱すような出来事がやってきたのです。いえ、皆さんからすればさして大きな出来事ではございません。何はともあれ、その台風により私の心は甚大な被害を被り、今にも崩れ落ちそうなまでになりました。そしてそのとき、私は初めて自らの苦しさを人に打ち明けたのです。

 

 話す、という行為は大変な優れものでありまして、話せば話すほど心が軽くなってゆきました。言葉という形にする、ということはとても大きな意味を成します。口に出した言葉には自らの魂の欠片が宿り、心を離れて勝手に泳いでゆくのです。相談であれば、そこに苦しさを込めて外へと送り出し、心の新鮮さを保つのことができるのです。しかしそれは、苦しさという自分の心を手放してしまう、という風にも捉えられます。酸いも甘いも人生とはよく言ったものでして、心地よい感情だけを受け入れ、苦しい感情は切り捨てて生きてはならないというのが私の持論でもありますゆえ、相談を重ねるにつれ己の魂が軽く、空っぽになってゆく感覚に恐怖を覚えました。そして、自分の心の全てを大切にしまっておきたいというな思いが一層強くなったのであります。そして私は、以前よりも人と話すことを避けるようになり、一人、深い深い海の底へと身を投じました。

 

もう、水圧で浮き上がることはできません。

 

 

 

 

 

〈お題〉

 

 孤高のアウトサイダー(一人で生きるためにトゲをつけたサボテンの花のような……)