永遠の国

星樹涼

 

 ……これは。

 

 目の前に広がる現実にその旅人は目を見開き、流れるようにフードを下ろした。深紅の短髪がサラリと風に揺れる。

 

「朱雀。これは……何だ? いや、ここは何処だ?」

 

 そのややたれた金色の瞳にその光景を映し、少女は呟いた。

 

 

 

 昔、人々がただ殺し合うだけの世界があった。食に飢え、暖に飢え、愛に飢えた、僅かな知能を持つ獣達が跋扈する世界。そこに降り立ったのが炎の鳥を連れた一人の少年だった。少年は作物を育てる術を知っていた。家の作り方を知っていた。愛の与え方を知っていた。獣の群れは人間のそれへと変わった。皆に請われ、青年へと成長したその少年は王の座に着いた。青年は深紅の髪を持っていた。故に「赤の王」と呼ばれた。その国は紅夜国と名付けられ、青年の連れていた炎の鳥――朱雀――を神獣として祀り、その加護の元、世に平和が訪れた。

 

 

 

 永遠のものなど存在しない。完璧に思われた政治形態も時が流れ為政者が変われば、多くがそうであるように形骸化していった。平和とは高位の人間の為の平和。富とは高位の人間のステータス。そして朱雀神獣や赤の王が是とした比翼連理の誓いは高位の者の野心の為の道具となった。

 

 赤の王が崩御してから約三百年。華やかな王都から遠く離れた辺境の地にその少女は居た。

 

 少女は普通ではなかった。世の女子が好むような綺麗な着物や可愛い歩揺、艶やかな紅を好まなかった。髪を伸ばすことも無い。友達との話に花を咲かせるよりも、大地に花を咲かせる方が好きだった。頬は肌を綺麗にみせる白粉ではなく、常に泥で汚れていた。

 

 何より普通でなかったのは彼女の身分。農民のような出で立ちでありながら彼女は赤の王の血を引くもの……紅夜国の第十四王女であるのだ。その紅い髪と金色の瞳、そして常に彼女の傍にいる朱雀がその証拠であった。

 

 

 

「ねえ、朱雀。王都、久しぶりだね」

 

 ガタガタと音を鳴らす荷馬車に揺られながら紅鈴は朱雀へ話しかけた。それに首肯するように朱雀は頭を紅鈴の白い指に擦り付ける。

 

「さすがに三百年も経ってたら僕の創った国、ボロボロだろうなぁ。だってさ、平民の暮らしがあの時より酷いんだもん」

 

 紅鈴はきゅっと眉間にシワを寄せる。彼女の普通でない点はもうひとつあった。それは前世の記憶があること、それも赤の王としての記憶があることだった。前世で王として国を治め、必要とあれば剣を取った彼女である。まもなく受ける科挙試験に対する不安などこれっぽっちもなかった。本来なら何度受けても緊張するものだ。なんといっても官吏の登用試験。首席である状元で合格すれば中央の要職に着くことは約束されたも同然。次席である榜眼、それに次ぐ探花で合格しても要職は約束される。男だらけのその試験にまだ若い女性が挑む、その事だけでも相当な重圧のはずだと周囲の人間が心配しているのをよそに彼女は呑気に口笛なんか吹いている。科挙試験と同時に、武官を志すものにとっての科挙試験である武科挙試験も受けるのだ。もう少し緊張してもいいのではないだろうか。相変わらずこの人は。朱雀は心の中でそっとため息をついた。

 

 

 

「紅鈴、よく戻った」

 

「有り難きお言葉にございます、兄上」

 

 一面赤と金で装飾が施された広間に、紅鈴は跪く。その先にある玉座には紅鈴の兄にあたる現皇帝が座っていた。周りを四人の女性に囲まれている。

 

(……絵に書いたような愚王ぶり。王道すぎて笑えてくる)

 

 王女とはいえ紅鈴は十四王女。上に十三人の姉と一人の兄を持ち、王位継承権は無いに等しい。しかし王女であるというだけで利用される可能性を鑑み、彼女は生まれてすぐ母子ともに辺境の地へとばされた。

 

(でも僕は幸運だった。男子に生まれていれば他の兄上と同じように生まれてすぐ殺されていた)

 

「ところで紅鈴。何故お前がここに召されたかわかるか?」

 

「……試験のことでしょうか」

 

「是。余は驚いた。今年の科挙・武科挙試験の結果に目を通してみれば。

 

 科挙試験状元彩紅鈴

 

 榜眼關白眉

 

 探花黃子誠

 

 武科挙試験状元彩紅鈴

 

 榜眼黎暁月

 

 探花蕗橙理

 

 どちらの状元にも生き別れの我が妹の名がある」

 

 どう言い逃れする。女の癖に男の世界へ首を突っ込んだ言い訳は。兄の黒い瞳がそう言葉を引き継ぐ。

 

「できそうだと。挑戦してみたくなったのです」

 

 本当のことは告げない。王家を滅ぼすため、などとは。……いや、初めから滅ぼすつもりではなかった。私や白眉、子誠が政治を建て直し暁月と橙理と協力して禁軍を立て直す。試験会場で彼らと語り合った時は確かにそう思っていた。しかしどうやら私は産まれるのが遅かったようだ……。この国はそんな所をとうに越えていた。袖の下を渡さねば何も動かず、政を執るべき高官の仕事はいかに自分の娘が優れているかを王に売り込むことで、王の仕事はその娘らを後宮に入れ、そこに入り浸ること。

 

(私の時代、最も忙しい部署は尚書省だった。普段は宰相が、戦の時は禁軍の中央将軍が、それぞれ目の下に隈を付けながら部下と共に駆け回っていた。しかし今はどうだ? 最も忙しいのは後宮で、駆け回っているのは主を飾り付ける女官と鼻の下を伸ばした皇帝。嘆かわしいことよ)

 

 これでは王家がある意味がない。都入りしてすぐに見えた現実を思い出す。王都でありながら道端に溢れる孤児、老人、病人、死人。ゴータマ・シッダールタも出家したくなるはずだ、と心から共感できてしまえる景色がそこにあった。ここは王都であるはずだった。しかしその様子は王都ではなかった。ここは何処だ。しかしそこは王都であった。

 

 

 

「……まあいい、紅鈴。部屋を用意してやる、王都に住め。科挙だけならともかく武科挙で状元を取ってしまった女を娶ってくれる家があればいいが」

 

「兄上、私は文官になりとうございます」

 

「許さん。女は嫁ぐものだ。嫁いで夫に一生をかけて尽くす。それが赤の王以来の比翼連理の誓い」

 

 まさかそこまで都合のいいように曲解出来るとは。違うだろ、と叫びたくなる。比翼連理の誓いはそのように男に都合のいい、一方がもう一方を支配するような関係ではない。

 

「天にあっては願わくば比翼の鳥とならん。地にあっては願わくば連理の枝とならん」

 

 どちらが欠けても成り立たない、相互補完の、二輪車の両輪。それが比翼連理の誓い。そのはずだった。

 

 三百年は、長すぎた。ここしばらく何度も繰り返した言葉をまた脳で呟く。僕が創った国は、僕が責任をもって潰す。それが王の責務である。

 

 

 

「姉上様に拝謁仕ります。紅鈴と申します」

 

 後宮の一角にある姉様達の部屋を訪う。国を滅ぼす第一歩として姉様達を王都から逃れさせる為だ。しかしそこに居たのは一人だけだった。他の姉は皆有力貴族に嫁ぎ、一番上の梨々花姉様だけが幼い頃に火傷をしたという手が原因で嫁げず後宮に残っていたそうだ。

 

「紅鈴……聞いたわ、科挙・武科挙試験で状元を取ったと。馬鹿なことを、王都に来なければ穏やかに過ごせたはずなのに」

 

「僻地も穏やかではありませんよ。僕……私のいた辺りの人々は皆満足な生活も送れていません」

 

「……やはりそうなのですね。何とかしたいとは、常々。されど私には」

 

「姉上もこの国を変えたいとお思いですか」

 

「それはもちろんそうよ。私が儚くなったとしても」

 

「僕はこの国を滅ぼす」

 

 声を落としてそういう。合わせて姉上も声を潜める。淑女の嗜みである、聞こえるくらいのひそひそ声。

 

「どうやって? 方法は?」

 

「兄上ごと王都を燃やします。多少乱暴ですが彼らを見ている限り……宰相らを含め、ですが……改心は見込めません。王都だけ燃やしても別の場所に王都を新たに創るだけ」

 

「……私は何をすれば」

 

 こちらを見つめてくる姉様の鳶色の瞳をじっと見つめ返す。迷いのない、強い瞳。

 

「王都を、離れて。混乱する民をなだめ、王家の支配から解放する旨をお伝え頂きたく」

 

 そう伝えるとすっと優雅に、梨々花姉様が立ち上がり拱手して私の前に跪いた。慌てて立ち上がり姉様を抱き起こそうとするが、強い瞳で射抜かれ動きを止める。見たことがある。かつて国をまとめた時、僕についてきた人々の目。変えたいという強い意志。

 

「仰せのままに」

 

 鈴のような声で姉様がそういう。

 

「どう、して……初めてあった妹の言うことを、そんなに、信じてくれるのですか」

 

 声が掠れる。

 

「夢を見たの。父が死に、兄上にここに押し込められ泣くだけだった日々に。赤の髪、金の瞳を持つ女の子が朱雀神獣と共に王都を燃やす夢。半信半疑だった。貴女に会って、貴女の話を聞くまでは……。まさか夢の子が妹だったなんて。私はずっと待ってたの。ただの夢かもしれない、でももしかしたらって。礼部の茉莉香と尚書の理楽が協力してくれるわ、すぐに。既に王都には兄上の家臣しか居ない。有識者は皆、兄上に飛ばされたから。……人殺しの汚名を着る覚悟も、できてる」

 

 凛とした姉様はただただ強く、美しかった。

 

 

 

 その日から四日後、翌日に建国記念日を控えたその日。大空を炎の翼が覆い、高い城壁に囲まれたその場所からは深紅の光が溢れた。永遠のものなど、存在しない。

 

でも僕の子供は、僕の手で殺した子供は、僕の中で。僕だけが。

 

 

 

 

 

〈お題〉

 

・長い歴史を経て腐敗した王国の第十四王女

 

・王国の民のためには、王国の滅亡と自身も含めた王族全員の死が必要だと考えており、その実現のために様々な行動を起こす

 

・王位継承順位は低かったが、自身が見つけ推薦した人材により軍と政にパイプを築き、王位継承争いでは二番手